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【読書録】バリントン・J・ベイリー『ゴッド・ガン』、飛浩隆『鹽津城』

自分の興味の核心にあるモチーフが「神殺し」だと気づく直前に購入していた、まさにドンピシャ神殺し物語「ゴッド・ガン」を表題作としたSF短編集。

バリントン・J・ベイリー『ゴッド・ガン』(ハヤカワ文庫;2016)

以下面白かった短編。

「ゴッド・ガン」
これぞSFといった衒学的なアイデア/ロジックで神を傷つけ殺そうとするロドリック(主人公の友人)が魅力的。結末も考えさせられる。

「そして、きみも知ってのとおり、純粋に一方通行の物理学的な創造などというものはない。もし神がわれわれを創造できたのなら、われわれが神にやり返すなんらかの方法があるはずだ。神を殺すことさえできるだろう」

p14 バリントン・J・ベイリー『ゴッド・ガン』(ハヤカワ文庫)

「大きな音」
序盤はどうSF的な展開になるのか分からなかったが、後半でグッと引き込まれる。ただNHKの音楽番組「クラシックTV」で「ヨハン・シュトラウス2世がアメリカ公演で2万人の演奏者と歌手を指揮した」というエピソードをちょうど知ったところだったので、現実で物語以上のことしてる奴いるやんけ……とはなってしまった。

「地底潜艦〈インタースティス〉」
偏極フィールドを張って実体をなくすことで地底を進む戦艦ならぬ潜艦〈間隙インタースティス〉。「実際ありそう」と思わせるルビまみれの機器やガジェットにSF心がときめく。結末も秀逸。一番好きな短編だった。

その他の短編は(執筆時期を考えるとしょうがないけど)テーマも展開も古臭いものが多くてそこまで好きになれず。

あまり意識したことがなくてwikipediaを見て気づいたけれど、SF好きを自認していながら今まで(無意識に)アメリカ人作家のSFばかり読んできていた。オーウェル、クラーク、ホーガンといった英国のSF大家を通ってないので、ベイリーは初めての英国SFだったかもしれない。


上掲の記事でも触れた飛浩隆の最新作品集『しお』。

飛浩隆『鹽津城』(河出書房新社;2024)

6作品すべてが独特の空気をもっていて圧倒される。

「ジュヴナイル」
NARUTOに出てくる幻術にかけられているような、映画「インセプション」のような、自分が今どこにいるのか分からなくなる奇妙さ。ディック感覚とは少し違うけど近い揺さぶられ方があって、久々に「文章でこんなことができるのか」と感動。

「流下の日」
ちょうど儒教に関心を寄せて本を読んだところだったので、作中に登場する総理大臣の家族観にゾッとする。

「鹽津城」
表題作なだけあって、重厚さがずば抜けている。「塩/しお/しおに襲われた/覆われた世界」というワンテーマで、こんなにも壮大な世界と歴史の物語を紡げるのかと読みながら感心の溜息が漏れた。

あの世界はすでに存在しているのです。

p259 飛浩隆『鹽津城』(河出書房新社)

他のSFやファンタジーなどに出てくる異世界(過去や未来を含む)・異次元(この現実や登場人物が創造した世界など)のどれでもあってどれとも違う独特の「世界同士の繋がりとズレ」の不思議さが全編に通底していて、気持ち悪くて心地よい。
(その後この感覚について考えていたところ、世界と世界をまたぐときに「扉」のような分かりやすい象徴/界面が登場せず、あくまで「言葉」のみで遷移するところに原因があるのでは?と思い至った)

現代/近未来の日本に対する批評性も感じるけれど、何より小難しいことを考えずとも物語にぐんぐん引き込まれる。ローコンテクストにもハイコンテクストにも読めると言おうか。

敬愛する作家・古川日出男の最近の作品が面白く読めなくなってきたのは(自身の知識や「読み」が足りないのはもちろんのこと)、この「作品としての批評性」に軸足を置きすぎているんじゃないかとふと思った。
正月に見た「令和ロマンの娯楽がたり」等で考察と批評の関係なんかをしばらく考えていたけど、一番腑に落ちたのは以下の記事。

次の積読SFはダン・シモンズの『イリアム』。まずは他の本を読み進める。

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