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森鴎外著『カズイスチカ』読書感想文


『父親』


翁の生活に対する態度に感銘を受けた。盆栽を眺めることも、煙管を吹かすことも、茶を飲むことも、私が知っているそれとは異なる時間を翁は過ごしているようだった。彼の所作には一つ一つに丁寧さが感じられた。日常の些細な事を意識的に行う、というのはとても難しい。何しろ私にとって日常とは永遠のようなものだ。勿論それは永遠ではなく有限であり、だからこそ人間は1日1日を大切に過ごさなければならない、と、言葉では分かっていようとも、実行に移すのはやはり難しい。それを翁は平然とやっている。或いは平然を装ってやってのける。彼は茶をすするように全幅の精神を以って患者を診察する。彼からすれば、それは意識するとかしないとかの話ではなく、もはや当たり前のことなのだろう。患者の死期を察する翁の能力は、そんな彼の日々の生活に対する態度から生まれ得た能力なのかもしれない。

何よりこの人物に惹かれたのは、そんな未知なる能力を持っていながらも、息子の覚えたばかりの理屈に耳を傾け、理屈はわしより偉いにちがいない(p.32)とまで言ってのけるところだ。自らの感覚、経験を頼りにしながらも、自分の知識の古さを自覚し、場合によっては新しい知識に頼る。決して謙遜を忘れないこの翁の姿勢は、私にとって理想的な年長者だ。

ある日、顎の外れた患者がやってくる。翁は終始ただ微笑んでいる。治療を終えた息子を褒め、さりげなく昔話をする。このまるで仙人の様な、貫禄さえ窺える余裕綽々たる翁の振る舞いに私は心底惚れた。

大人の定義は知らない。父親の定義も知らない。だが、翁は間違いなく大人であり、父親だ。

一時はつまらない老人だと見下していた息子も父への理解が深まるにつれて、その思いは尊敬の念へと変化する。

そんな息子へいつも微笑みかけている翁。

二人を見て、とっても良い親子関係だなと、思った。

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