【『枕草子』感想文①】あはあはしき人
先日書いたように、『枕草子』を読み始めた。せっかくだから、ゆっくりでも読み続けられるように感想をnoteに書いていこうと思う。
ちなみに、『枕草子』を読む前に山本淳子先生の著書以下2冊を読んだ。
『枕草子』は定子と清少納言の美しい主従愛や、清少納言の美意識の話が中心なのかと思っていたが、いざ読み始めると清少納言は恋愛の酸いも甘いも経験している一人の大人の女性なのだと思ったし、それがなんだか意外だった。
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「あはあはし」という言葉が出てくる。意味を調べてみると、「軽々しい。軽薄だ。浮ついている。」という意味らしい。
語感からだと「淡淡」「泡泡」など「はっきりしない」とか「色が薄い。ほのかだ」みたいに取れるけど、「軽々しい」なんて意味だったとは。
「あはあはし」は貴族男性が女房を評して使う言葉だ。先に挙げた山本先生は「女房」についてこう書かれている。
上は帝から下は有象無象にまで、女房は顔をさらすことを拒めない。いきおい、「出会い」が多い。しかしそのことが、当の恋の相手である男たちにまで偏見を抱かせる。女房など所詮は尻軽なもの、大切に扱うには及ばないという蔑視である。
(『枕草子のたくらみ』第7章 女房という生き方)
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「召人(めしうど)」という怖い言葉がある。高貴な男と関係を持ちながら、女性のその身分の低さゆえ愛人の一人にも数えられない。いわゆるセフレである。
主人の身の回りを世話する女房(女性の召使い)が、いきおい召人になることが多かった。有名なところだと、『源氏物語』宇治十帖に出てくる浮舟の母がいる。
彼女は、親王であり源氏の異母弟の八宮の召人となり、浮舟を妊娠するが、八宮に無視される。人並みに扱ってもらえない。ひどい話である。まぁそれはさておき。
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『枕草子』「人にあなづらるるもの」の中にも「あはあはしき女」が出てくる。
人にあなづらるるもの 家の北面。あまりに心よきと人に知られたる人。年老いたる翁。またあはあはしき女。築地のくづれ。
人に馬鹿にされるもの 家の北側。あまりにお人好しだと人に知られている人。年を取っているじいさん。また軽々しい女性。土塀の崩れ。
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「暁に帰る人の」という章段には、自分の話か仲間の女房の話かは分からないけれど、女の元を訪れた男が翌朝帰っていく様子を述べている。
ばたばたと扇など自分の持ち物を探し当てて、帰っていく男の様子は全く可愛げがない。
帰らなければならないギリギリの時間まで女と一緒に過ごして、着ている着物もきちんと着付け直さず、昼間一緒に過ごせない不安を女にささやいてそっと出て行く男は女も名残惜しいものだ。
しかし、他の通いどころを思い出したのか、帯をしっかり結び直す男はたいへん憎らしいと語る。
それこそ、「あはあはし」と言われかねないエピソードも彼女は『枕草子』に平気で描いている。これは私の切り取った視線だという自負を持って。
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女房だった清少納言はやっぱり人から「あはあはし」と言われることが多かったんじゃないかな。
読み始めたばかりだから分からないけど、それでも清少納言は「あはあはしき」自分が結構好きだったと思う。知らんけど。(関西人風)
こんな風にあっちゃこっちゃ行きながら、のんびりと感想を書いていきたい。
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