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フェチ過ぎると生きづらい

こんばんは、突然ですが皆さんは人に対してなにを重視して好感を持ちますが?

外見、匂い、話し方、仕草、食べ方、服装、清潔感……

ルッキズムだのなんだのは置いておいて、口に出さなくてもこういう特徴の人は第一印象で好感を持つというものは、誰しも無意識に持っている価値観だと思います。

さて、そんな筆者が最も人に好感を持つ上で重視するものは声です。

いつからでしょうか。無意識に他人の声を心地よい声と苦手な声に分類し、後者とは関わりを持たなくて良いなら持たなくなりました。

声だけでなく貧乏揺すりの音や、膝をさすさすする音、虫除けの高音波なども異常な不快感を覚えるためもしかしたら聴覚が優れているのかもしれません。

逆に筆者は他人の外見には興味が無いのですが、これはずば抜けて視力が悪いからという可能性があります。

実際視力矯正具をつけていなければなにも見えず、いつ失明してもおかしくない筆者が人を外見で評価することは時間の無駄だと感じております。

同様に嗅覚が優れている人は匂いを重視するなど、どの五感が優れているのかで他人の評価基準って変わるのかもしれませんね。

話が逸れましたが、音に敏感で他人の声質を気にする筆者はおそらく声フェチというものです。

上述したように重度の声フェチというものは、時々行きにくいなと感じております。

まず声の好き嫌いが激しいため、動画サイトやアニメなどで苦手な声に会った時その作品をほぼ観れません。

声優や配信者だけでなく、一般人の声も例外なく好き嫌いが激しいです。

苦手な声の人と関わる機会があると、頭がぞわぞわして集中できません。別に意識していなくてもぞわぞわします。

大学時代は苦手な声の教授の講義は抜け出したりしていましたが、如何せん社会人になるとそういうことはできないのでぞわぞわしながら8時間を過ごすこともあります。

逆に心地よすぎる声というのも厄介です。現在の交際者は声が好きから始まって付き合いだしたのですが、それが完全に弱点になり良い声で謝られたりお願いされたりするとノーと言えません。

今までの人生で交際者以上に良い声の人には出会ったことがないのですが、もし同じくらい良いと思える声の人にせびられたら金をあげてしまいそうで怖いです。

声フェチだからこそ交際者と付き合えたというメリットがある一方で、いちいち他人の声を無意識に評価してしまう自分が少し嫌になってしまいます。

まあ声にせよ、ほかの要素にせよ人間が他人を評価してしまうのは仕方の無いことなんですけれどね。

群れを作りリーダーなどの階級がある種族は、遺伝子的にそうしてしまう習性があるとかないとか聞いたことがあります。

差別にあたる発言や行動をしない限りは無意識に評価する事は、迷惑にもならないし自分のことを許すべきなんでしょう。

それにしても脳のぞわぞわが多いのは生活に支障がでるため、なんとかそれをセーブして欲しいなと願う筆者でした。

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