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【ザ・会社改造編10:上海に村をつくる】

本マガジンのこれまでの投稿は上記リンクに入っています。

本マガジンでは、本noteの最初に出てきた健が登場します。元々工場の課長だった健は本社に異動し、新規事業部長となり2年が経ちました。そして今回、既存事業の関連子会社に社長として出向するようになります。内示は本社副社長の哲也からです。 健の出向する子会社は、近年の中国競合企業による市場の価格破壊からシェアの激減・業績不振が続いているようです。健のミッションはその事業の立て直しと長期的な成長です。そのため出向前に哲也から三枝匡氏の「ザ・会社改造~340人からグローバル1万人企業へ~」解説してもらいます。今回は第四章「成長を求めて国際戦略の勝負に出る」の後半を解説します。


・・・・・・・・・・

👨‍🦳;おはよう。

🧒‍;おはようございます。中国に派遣されその後、加々美さんはどうだったのでしょうか?

◆社長現る

👨‍🦳;だいぶ、大変だったそうだ。まず、オフィスを開設することになったようなのだが、そこから、受注センター、倉庫と配送センター、オペレーターの採用と訓練が必要。さらには原理メーカーを探し出し、ミスミの品質基準と納期尊守を満たせる商品調達体制を構築しなければならない。顧客の注文システムを処理するための情報システムの構築、最後にカタログの中国語編集も必要になる。

🧒‍;もはや、何をいっているかわからないです・・。

👨‍🦳;だよな。それも初めての海外。土地勘もない、会社としての人脈もない。そして、前回話したように本社からのサポートがない状態だった。ほぼ何もできていない状態だったんだ。そんな中、ミスミの強みであるカタログをある時期までに作れと言われていた。もう八方ふさがりだ。

🧒‍;本社のサポートがない?あれ、前回それは三枝さんから直接号令がかかっていのではなかったでしたっけ?

👨‍🦳;それがまだ浸透していなかったし、三枝さんにもその情報は3か月間入らなかった。そして、いよいよ三枝さんが中国訪問をする。そこで、その事実を目の当たりにするんだ。

🧒‍;なるほど。それでどうなったのでしょうか?

👨‍🦳;まず、中国オフィスに三枝さんが着くと早速加々美さんが報告をする。そもそも、社長が海外に飛んで現地で事業プロジェクトの詳細の打ち合わせもミスミの歴史上、おそらく初めてだったそうだ。

🧒‍;そうなのですか。それだけ国内だけを見ていたということですね。

👨‍🦳;そこで、事件が起きる。

🧒‍;事件??

◆最低のカタログ

👨‍🦳;三枝さんは加々美さんの説明で初めて中国立ち上げ事業の詳細を知る。上司の荒垣さんの指示で加々美さんが計画している、カタログは140ページほどの薄さのものであった。日本ので出している1200ページを超えるカタログに比べればパンフレット呼びたくなるほど見劣りがするものである。

🧒‍;約10分の1なのですね。

👨‍🦳;しかも、報告では営業体制が整っていない。カタログ発行まで後1か月しかないのに、受注体制や出荷体制、商品調達先の選定もできていない。価格交渉、品質検査体制、情報システムなどもできていなり。つまり、成功のカギを握るはずの重要な準備項目は、「予定」「協議中」「問題あり」ばかりだったんだ。

🧒‍;カタログは出そうとするが、そのベースが何もできていなかったということですね。

👨‍🦳;だが、加々美さんはまだ強気に、「カタログ発売後、走りながら解決していきたい」と言った。だが、それは全く根拠がないものに三枝さんには見えたそうだ。そして、三枝さんは、「このカタログ最低じゃないの?これで本当に中国で勝負できるの?」といったんだ。

🧒‍;最低とまで言ってしまうのですか・・。加々美さんがんばったのに・・・。

👨‍🦳:ああ、だが、三枝さんは口から出まかせで言ったわけではなかった。3つのことを考えていた。

1つ目は、《 ミスミ グローバル 展開 の 概念図》 だ。 それ は、 これから の 海外 進出 先 の 国 の ひとつひとつ で《 ミスミ Q C T モデル》 を 忠実 に 整える こと を 目指す という 画期的 な 方針 だっ た。 その 事業 モデル において カタログ は、 最も 重要 な「 起爆剤」 として 位置づけ られ て いる。こんなカタログでは勝負にならないと思ったんだ。

2つ目は、日本との状況の違いだ。すでにポジショニングが出来ている日本であれば、薄いもので良いが、中国の最初にチャチものであれば、「ミスミは大したことがない」と思われてしまい今後浮上できなくなる。

 3つ目は、いかに質の低いカタログでもそれを配れば、市場での競合反応に火をつけてしまう。それは最も致命的だった。もし、ミスミがビジネスを始めたとなれば競合はすぐに対抗策を取ってくる。

🧒‍:なるほど。それを考えた上での言葉だったのですね。

👨‍🦳;三枝さんは下記の戦略ロジックを持っていた。

・競合 反応 を 水面下 で 開始 さ せる 事前 露出 は、 できるだけ 遅らせ よ。
・露出 を 始め たら、 一気呵成 の 一本勝負 で 仕掛け よ。
・その ため に 必要 な 社内 の 戦闘 態勢 は 事前 に 完全 に 整え、 満 を 持 し て 撃っ て 出よ。 緒戦 で 一気に、 意味 ある 市場ポジションを確保せよ。

🧒‍;あらら、、加々美さんの動きは全く持って反対のことをしてしまっていますね・・。

👨‍🦳:そう。そして、もう一言三枝さんから「会社をつぶす気か!」と言われてしまう。

🧒‍:それは、ショックですね。

👨‍🦳;そうだろう。でも、加々美さんはその後、冷静に考えたら正しいことを言ってもらった。実はほっとした。誰かに止めてほしいと思っていたとのことだったんだよ。

🧒‍;なるほど。ダメ出しはわかったのですが、結局どうしたのでしょうか?

👨‍🦳:三枝さんは、カタログの延期を1年延期させた。その前に、まずは組織づくり、営業体制づくり、商品調達体制つくりに全力を尽くせと指示をだした。

🧒‍;なるほど、制約条件の解放ですね。これは窮地に追い込まれている組織に対して有効に働くと思います。トップが腹をくくるということですね。いずれにしろベースができてなければ何もできないですよね。

◆中国メーカーを訪問する

👨‍🦳;ああ、そこから営業体制など各種ベース構築は進んでいくんだが、肝心の商品の調達において中国メーカーを三枝さんが訪問している際に次の事件が発生する。加々美さんと上司の荒垣さんは、当時は現地での商品調達体制を構築する予定であった。日本で行ったように、協力メーカーを組織化しようとしたのだ。しかし、中国のメーカーの品質は想像以上に悪かったんだ。

🧒‍:日本では、QCTというほどで、品質に高い評価を受けることに成功していましたよね。

👨‍🦳:ああ、だがそうはいかなかった。ミスミのレベルに届く工場はなかったんだ。その中でも品質レベルの高い工場を確保して、それを出張してきた三枝さんにある時説明した。ここで、ある矛盾、難しさが明らかになるんだ。

🧒‍;矛盾、難しさ?

👨‍🦳;ああ、品質が高い工場を見つけたといっていたが、それは誰が指導したと思う?

🧒‍;それは、加々美さんや荒垣さんが地道な改善を行っていったのだと思います。

👨‍🦳;ミスミのノウハウが入っているということだよね。だとしたら専属契約を結ぶのかな?

🧒‍:それは無理じゃないでしょうか。その会社はミスミが中国に来る前から存在しているでしょうから、他の客先もあるでしょう。あ!

👨‍🦳;気づいたかい?

🧒‍:はい。ノウハウを与えたにも関わらず専属契約ができない場合、、品質メリットが他の顧客にも流れます。そうなったら、、中国企業は品質が高いものを安く販売してくる。ミスミは太刀打ちできなくなります。

👨‍🦳;そういうこと。これは多くの企業が失敗してきたのと同じ状況になりかけていたんだ。

◆驚愕の一手 「上海ミスミ村」の構築

🧒‍:でも、じゃあ一体どうすれば・・。カタログ販売も伸びたといっても1年しかない状態で。。

👨‍🦳;三枝さんは2つの重要な動きをした。一つ目は、「国際戦略会議 中国部会」の設置だ。それは本社の幹部を集めた新しい会議体であった。それまで、自分以外の事業には無関心だった。だが、これからはそうはいかない。三枝さんは今後は、本社の全部門が中国事業をサポートすることを求めた。そして、その会議は月に1度、東京か上海で開かれた。そして、もう一つは皆が驚く意思決定であった。下記である。

「ミスミ は 長い 年月、 日本 の 協力 メーカー と 連携 し て き た。 中国 チーム は、 それ と 似 た 体制 を 中国 で 中国 メーカー と 組む 構想 を 追求 し て き た が、 先 が 見え ない。 そこで それ を 中止 し て もらう。その 代わり、 日本 の 協力 メーカー 各社 に、 中国 に 進出 する よう 要請 する」

🧒‍:どっひゃ。無関係の私がびっくりしてしまいましたよ。

👨‍🦳:それでとどまらない。「上海に日本の協力メーカーを集めた、「上海ミスミ村」を造りたい」というんだ。つまり、工業団地の一部を確保し、そこに各社が工場を出し、ミスミが配送センターやカスタマーセンターを設置する。そうすれば上海の業務はすべてそこで完結するとね。さらに。「日本の協力企業で中国に進出する体力がないという会社には、ミスミが資金援助をする」といったんだ。

🧒‍;ものすごい発想と腹のくくり方です。常識、呪縛をすべてゼロベースにする決断ですね。確かに自動車会社が工場を作るときは同じような方法を取りますもんね。とはいえ、それを実行してしまうなんて。。

👨‍🦳;ここからは、電光石火ともいえる変化が起きていったそうだ。本社の幹部は海外事業への関与を深め、社長の指示に従い日本の協力メーカー各社に中国ミスミ村への進出を打診する活動を始めた。ほとんどが中朝企業だ。工業団地の中の用地選定や、進出に伴い中国官庁への手続きをミスミが代行した。その中では三枝さんの面前で話を断ってきた経営者もいたそうだが。一方、加々美さんたちは、工業団地の実査し、上海の南にある1か所を選び出した。

🧒‍;聞いていてテンポがいいですね。一気に変わっていった様子が感じ取れます。

👨‍🦳;結果、協力メーカー9社が参加することになった。

🧒‍;9社もミスミと共に社運をかけてくれたということですね。ここには書ききれないそれぞれの会社の意思決定のものがたりがあったと思います。

◆高速立ち上げ

👨‍🦳:集まったといっても実際に各協力メーカーの工場、配送センター、カスタマーセンターを立ち上げなければならない。ここで、各メーカーの進出の支援する仕事にあたった本社の中心人物は、その直前にミスミに入社したベテランの女性社員だった。彼女は海外での工場立ち上げやマネジメントに精通していた。最初 の 計画 づくり や 土地 探し から、 工場 の 操業 開始 まで、 通常 なら 最低 2 年、 長けれ ば それ 以上 かかる。 しかも、 中国 の 工業 区 は 広大 な 土地 だ。 日本 で 言う 団地 の イメージ と 違い、 各社 の 工場 が 近接 し て いる わけ では ない。 しかし、 ミスミ 村 で 立ち上がっ た。そうだ。結局10か月程度で、立ち上がったという。

🧒‍;ここにもキーマンがいたのですね。10か月で9社分の立ち上げ。。そんな高速立ち上げできないですよ。普通。ここでもいくつものストーリーがあったのでしょうね。

👨‍🦳;並行して、配送センター(建物の設計、オペレーション、ローカルスタッフの採用など)および、カスタマーセンターを立ち上げた。そして、この建物をミスミQCTセンターと命名した。そして、苦労しながら、情報システムの立ち上げも行っていったんだ。

🧒‍;簡単に書いていますが、ものすごい優秀な社員とそのマネジャーがいたということすね。ここまで垂直立ち上げなんて普通出来ないかと思います。

👨‍🦳;ああ、そして、準備が整いカタログの発刊のタイミグがやってくる。前回の延期決定から12か月経った10月6日であった。(それでも当初の予定よりも1か月遅れた)そして、1年3か月にわたった苦難を乗り越えたミスミの中国での商売が始まった。

🧒‍;たった1年3か月で準備をして始めてしまうのは、目を見張るものがありますね。

👨‍🦳;そして、中国事業立ち上げから12年間で売り上げは400億を超え、中国法人の社員数は1000人に迫り、ミスミグループ全体では2000人を超えている。巨大事業となった。そして、その後も海外展開を行い。カタログも21冊作成し海外展開をしていった。そして、社長就任13年目にして、海外売上高は962億となっていった。

🧒‍;なるほどです。ありきたりな言い方になりますが、いかに考え抜かれたシンプルな戦略を用意できるか、そしてそれを実行できる人・組織を配置できるかということですね。

👨‍🦳;よし。これで4章は終わりだ。やっとこさ半分だ。だが、ここからも重要な話が多い、気合いを入れなおして頑張っていこう。

🧒‍:はい。よろしくお願いします。

・・・・・・・・・
今回はここまでです。苦労に苦労に重ね戦略を練り、そしてさらに協力メーカーとミスミ村を作って実行・成功を収めるというダイナミックな内容でしたね。考え抜かれた戦略で自信をもって方向性を決める。そして、適材を充てて実行をゆだねるというフレームワークがカギになりそうですね。さて、次回は、第5章の「「買収」を仕掛けて「業態革新」を図る」に入っていきます。ぜひ、スキ・フォローお願いします。

なお、下記の固定記事に、このnoteのコンセプト、これまでのマガジンについて解説しています。

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