なごり雪
記憶にまつわる不思議な想い出がふたつある。
僕の通っていた仏教系私立高校の修学旅行は、長野でスキーからの京都でその宗教の総本山訪問と言う流れで、そっからバスで新大阪駅まで帰るというルートだった。
総本山のデカイお寺を出たバスの車内は、旅行の終わりに差し掛かった寂しさからか、余計にわいのわいのしてた。
多分高速に乗った辺りでバスガイドさんが、「それでは、クイズタイムです。新大阪駅に到着する時間を当てた方には、当バス会社特製バスフィギアをプレゼントしまーす!」
と言い出した。
いらん。
と、全員が思ったはずだが、一応お坊ちゃんお嬢ちゃんが大半を占める進学校の生徒達は、お行儀よく渡された小さな紙に超適当に数字を書いてた。
京都から大阪までの距離感なんて、田んぼと電信柱しかない超田舎から、イレギュラーでその高校に入った僕には余計にわかるはずもなく。
さらに適当な思い付きで書き入れた数字は、不謹慎かどうかもわからないが親父の命日で。
かくしてバスは、午後8時4分に新大阪駅に滑り込み、ニアピンの数人を弾き飛ばした僕はピタリ賞でバスフィギアを手に入れた。
前から回ってきたバスフィギアは思ってたよりもデカく、荷造りの終わったバックに入る余地は無い。
隣に座った親友のヒトラー(髪型が似てたので勝手にそう呼んでた)に押し付けようとしてたら、後ろの席に座ってた担任の先生が、5歳の息子にあげたいと赤福とのトレードを要求してきたので快く応じ、赤福は新幹線の待ち時間にヒトラーと食べた。
それから大体10年後、熊本の繁華街でバーテンダーになっていた僕の働く店に、当時の同級生が数人やって来た。
高校時代の想い出をあーだこーだと話していたら、ひとりの女の子が突然僕に向かって言い出した
「修学旅行と言えば、帰りのバスでカラオケ大会あったじゃん。バスガイドさんのトランシーバーみたいなマイク廻してさ。あの時君が歌った【なごり雪】よかったな。歌とか歌うキャラだと思ってなかったからみんなビックリしたんだよね。でもなんか、あの歌よかったんだよ。」
当時も今も、僕は人前で喜んで歌を歌うようなキャラではないし、そんな記憶も全く無い。
修学旅行の帰りのバスと言えば、バスフィギアと赤福の想い出しかないし、なんならカラオケ大会自体知らない。
確かになごり雪は当時から知ってるし、例えばゲームで負けるとかなんかで、罰ゲーム的に歌う羽目になったとかなら歌えはしただろう。
でもだったら余計に覚えてるはずだし、それを聞いた他の同級生達も「そんな事あったっけ?」みたいに首を傾げている。
ただ、その女の子だけがムキになって「絶対あった!なごり雪を私は聞いた!」と言い張り、なんだか変な空気になってその場は終わった。
修学旅行は1月で、数日前まで雪山でスキーをしてた。
なごり雪は好きな歌だったし、高校生にしてはやけに渋いチョイスだけど、当時の、「人とは違うんだよ俺」を地元の田舎でよく見る農薬散布の様に、周りにしゅーしゅー撒きながら生きていた僕ならいかにもやりかねない。
でも、その記憶はまったく無い。
多分、事実でもない。
あの同級生の女の子の記憶の中にだけ、数十人がシンと静まるバスの車内で、トランシーバーの様なマイクでなごり雪を歌い上げる僕は存在する。
照れ隠しにヒトラーの方を向いて歌う僕が、その向こうの真っ暗な外の景色に、なごり雪を見ているとしたら出来すぎだろうけど、他人の記憶なんであり得なくもない。
ちなみに僕は、カラオケでなごり雪を歌ったことはない。
これが、ひとつめ。
ふたつめは、もっと昔。
ピタリ賞でバスフィギアをゲットした親父の命日よりずっと前。
37歳で死んだ親父はえらく絵が上手い人で、アニメのキャラや趣味の釣りで釣ってきた魚とかを、Tシャツに描いてくれたりした。
僕は今仕事で絵を描いてるけど、当時はただ親父が描いてくれる絵を「ふへぇ、すげーなー」と見てただけで、教わったりした記憶は無い。
ただ、親父が好きだった絵は知ってる。
家には高そうな画家別画集セットみたいなのが本棚に並んでたんだけど、マネとかゴッホとかのヤツはピカピカで全く触った形跡がないのに、ピカソのヤツだけ何故かボロボロだった。
ピカピカは触ると怒られそうな気がしたので、僕は多少乱暴に扱ってもバレそうにないピカソの画集を、たまにこっそり覗いていた。
この人は絶対首が折れてる、と言うような絵が連発されるなか、理由はよくわからないけど、何となく好きだったのは「三人の音楽家」と言う絵で。
たまにこっそり覗くが、ちょくちょくじっくり眺めるに変わった頃、地元の美術館に「ピカソ展」がやって来た。
あれは親父が致命的な病気で、片道切符の入院にGOする前だから、まだ僕は小学校の低学年だったはずだ。
その僕を連れて、「ピカソ展」に親父が行こうと言い出したのは、多分画集を見てたのがバレてたからで、僕も行きたいとグズる3つ下の弟に「子供にはわからん」と振り切って親父とふたりで向かった美術館はまさかの休館日。
なにもそこまで、と肩を落とす親父はお詫びなのか帰りのうどん屋で「鍋焼うどんの上」を食べさせてくれた。
実はそんなに残念でもなかった僕は、海老が2本乗った鍋焼うどんであっさりと御機嫌になり、弟には内緒と言う約束を秒で破り、弟は泣き叫び、親父には殴られた。
鍋焼うどん。
そうそう、あれも冬だった。
親父はその後数年で亡くなってしまったんだけど、その時以外ピカソは来なかったし親父と2人で外出したこともない。
美術館なんて、なおのこと。
余命宣告のタイムリミットがだいぶ近づいた頃、見舞に行った僕に親父は「あの時見た三人の音楽家を、また一緒に見たいな」と言った。
美術館まさかの休館日話は、普段几帳面な親父のうっかりお茶目エピソードとして母親も知ってたので、やや怪訝な顔をしてたけど特に否定も訂正もしなかった。
僕も、そうだねと言う意味で、黙って頷いた。
そうだね、と口に出せば嘘だけど、頷くだけならギリセーフな気がしたから。
ちょっとキツ目の胃潰瘍には全く見えない、小学生が見たってわかるもうすぐ死んじゃうこの人にこれ以上の嘘をつくのは、小学生が考えたってあんまりにもあんまりに思えて。
黙って頷く僕を見て、親父は笑ったような気もするけど、あんまり定かではない。
と、言うわけで。
記憶にまつわる、ふたつの不思議な想い出の話は終わる。
同級生の女の子の中でだけ、僕はなごり雪を歌ってるし、親父は2人でピカソを見た想い出を持ったまま、想い出ごと消えた。
そして僕は、「絵を描くきっかけになった出来事とかってあるんですか?」とたまに聞かれる質問に、「子供の頃父に連れてってもらったピカソ展で」
と、
嘘をつくことにしている。