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3ヶ月ぶりの散髪と準無菌室への移動【大学病院血液内科6日目】
父には26年通い続けている床屋がある。若い頃は通勤に1時間半かけていて朝5時起きが習慣になっていた父。歳を取った今、起床はもっと早い。ところがその床屋、朝6時に予約なしで訪れても「はいよ〜」と開けてくれるほどの付き合いらしい。ハンパない。
2,3ヶ月に1度は散髪に行っていたと思う。現在、病室で見る父は私が知る限りここ数年で1番のロン毛だ。鏡はないが父も触って気になっていたのだろう「髪が伸びてきた」と看護師さんに洩らしたそう。
すると看護師さんが『下に床屋があって、頼めば病室まで来てくれるんですよ』と教えてくれたらしい。
早速予約。翌日に来てくれることになった。
血液内科5日目。出張散髪を利用した父。首のカテーテルのおかげで剃れなかった髭も伸びきった髪も綺麗に整えてもらいご満悦。ベッドを起こせるようになったからこそできたこと。嬉しいねぇ。流石に洗髪はナシ。ホットタオルでわしゃわしゃしてみたけどありゃ今夜はチクチクするだろうな…
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) January 10, 2020
出張代、カット、髭剃り含めて5,000円。とってもリーズナブル。さすがに床屋さんではベッドの上でシャンプーすることはできないらしく、病室にあるユニットシャワーでタオルを絞り、頭をわしゃわしゃ拭いてあげる。髪がたくさん落ちてくる。
そういえば、ステロイドの副作用に多毛がある。私も幼い頃に喘息の治療でステロイドを使っていた時期があったが、腕や足、口の周りの毛が人より多いように感じ、小さな乙女心を悩ませていた。今でも口の周りは剃ったりするけど、あの頃ほど気になってないのは乙女心を忘れたということなのか?
遺伝の影響もあるのか、随分薄くなった父の髪。もしかしたらステロイドで髪が増えることってあるのかしら…なんて思いながら、シャワーでタオルを絞っていた。
『精神科ってちょっと怖いと思ってたよ』
救命病棟にいた頃から、集中治療の環境とステロイドの影響もあり不眠を訴え、眠剤を処方されていた父。血液内科に移ってから精神科の先生による診察が開始されることになった。
『そうか、眠れなくてお薬もらっているからだろうね』と伝えると、『いろいろ考えすぎてしまって眠れないってことに最近気づいたんだよ』と父。
日中はお腹にガスが溜まってしまい苦しいんだけど、夜中になるとガスが出てくれるというリズムらしい。それに伴ってまだ下痢の症状も治まっていないので、夜中に看護師さんが排泄の介助をしてくれる。無菌室に来るまではそれが周りの患者さんに迷惑になるんじゃないか?とずっと気になっていたようで、ある日看護師さんにぽろっと弱音を吐いたそう。
すると看護師さん『みんな、おなじ!』と一蹴。『あのね、いびきもおならもお通じも、ここにいる人はみんな同じなの。気にして我慢されたら私たちも困っちゃうから遠慮はしないでね』と怒られた(笑)と父は話してくれた。
スター先生から「気にしい」という名誉の称号をもらっている父。どうも過剰なほど遠慮しがちだし、神経質。それでなくとも重症の疾患に加え、バンバン痛い治療をされ、入院なんて慣れない環境でどれほどのストレスを抱えていたんだろう。そりゃ眠れなくもなるわな。
『精神科の先生が来るなんて、ちょっと怖い』と父は言う。そうか、そんな風に思ってるのか。…ん?もしかしてその原因はウチら娘にもあるかもしれないな。
幸か不幸か、私たち娘ふたりともこれまで精神科には随分お世話になっていた。詳しく話せばたぶんこれまで書いてきたこのnote以上のボリュームになってしまうので割愛するが、服薬・診察・カウンセリング、入院も、数年にわたって経験していて比較的身近な存在になっている。
でもそのおかげで、父にはこれまで本当にたくさんの心配をかけてしまった。娘がふたりともわりと重めのメンタル不調や精神疾患を患い、おまけに時期も重なっていた。ひとり親である父の心労を思うと、寛解できた今も胸が痛む。
精神科と聞けば、父にとってはあの頃が思い出されるのかもしれない、と。
『大丈夫だよ。眠れないってことを先生に話すだけでいいんだよ。先生は眠剤がちゃんと効いているか、適量かを見るために来てくれるだけだから』
そう、父に伝えた。あんまり説得力ないかもしれないんだけど…。
突然の転床
血液内科に来て6日目、父から「今日、部屋を移ることになった」と連絡があった。個室だった無菌室から4人部屋の準無菌室への移動だった。
この10日ほどで父は4回、ベッドや部屋を変わっている。そのうち病棟が変わるのが3回。都度受け持ってくれるスタッフさんも変わり、環境に慣れない父のストレスは大きくなっていたように思う。
今回は血液内科の中での移動だからスタッフは変わらない。でも大部屋の廊下側はちょっと暗くて狭く、さらにまた他の患者さんに気を遣わなければいけない状況がやってきてしまった。
無菌室の数はそう多くはない。おそらく優先してそこを使わなければいけない患者さんが新しく入ってこられたのだろう、と父は話していた。文句を言える立場ではない、そんな風に自分に言い聞かせる意味もあったのかもしれない。
4人部屋は満床だった。どのベッドにもピチッとカーテンがひかれている状況はお正月にいた他科の病棟と変わらない。入口にあるナースコール時に点灯するネームプレートには患者さんごとに緑・黄・赤の記号が振ってあって、おそらく介助の度合いを示しているのだと思う。父は赤、全介助のしるしなのだろうと思った。スタッフステーションに近くしかも廊下側に移って来たのも、スタッフさんがすぐに来やすい場所ということなのかもしれない。
いつものように荷物の整理と置き場所決めをする。もうすっかりルーティンになった。
◇
父の状態は小康状態に見えた。少し息苦しそうにしていて酸素量は3L。お腹は腹水に加えガスが溜まりまだまだ臨月大。輸液や経管栄養、尿カテも継続している。それでも口内炎が酷くて会話ができないわけではないし、手足もできる限り自分で動かし、1日1回ベッド上のリハビリも続いている。お腹の苦しさと下痢症状が目下の悩みだった。
それでも血液検査の数値は少しずつ改善を見せていた。血小板は2.4万で輸血をしていないから自力で上がってきている。炎症反応CRPは0.11で正常値になっているし、クレアチニンも0.87とこれも正常範囲、腎機能も回復しているということだ。継続している週1のアクテムラと、点滴投与のプレドニンはちゃんと効いているということ。
唯一、D-ダイマーという数値が今まで見たことない高さになっていた。数値の脇には基準範囲に比べ高いか低いかを表すアルファベットがついているんだけど、この時のD-ダイマーには初めて「H」の文字がついた。(ちなみに血小板はいつも「LL」かなり低いよ〜ってこと)
なんだかわからなくて疑問に思っていたら、妹がLINEをくれた。すぐに義弟に聞いてくれたらしい。下肢に血栓ができている時に上がる数値らしいけど、骨折しても上がるようなものらしく、そんなに気にしなくても大丈夫だと言ってくれたらしい。こういう情報ホントありがたい。すぐ気になっちゃうからさ素人は。
あれ?私も父に似て「気にしい」なのだろうか?(笑)
あとは、お腹の状態と食欲(栄養状態)、そして廃用症候群。まだまだ道のりは長い。このまま症状が良くなってくれることを祈るしかできない。
ホント、家族にできることって少ないんだよなぁ…