見出し画像

2ヶ月半ぶりのシャワーとアクテムラの減薬【大学病院血液内科29日目】

11月中旬に救急搬送されて以来、父の居場所は閉塞感のある病室が多かった。窓のないICU、4人部屋の廊下側。そんな中、車椅子でリハビリ室に移動する時に見える外の景色が気持ち良いと父は話してくれる。

閉塞感が堪らない入院生活。ちょうど10週間経過したこの日、隣のベッドの方が転院され空床になっていたのをいいことに、仕切ってあるカーテンをめくり、窓の外が見えるようにしてあげた。

父にはいろいろな「当たり前じゃない普通」を見せてもらった。そもそも生きていることすら当たり前なんかじゃないってことをまざまざと見せつけられたし、食事も歯みがきもトイレも景色が見えることも、日常の些細なことが「誰にとっても当たり前」ではないことを改めて知った。(1度目は東日本大震災)

それらすべてに感謝の気持ちを持ち続けることのなんと難しいことか。こうなって(失って)みて初めて実感する。何度体験しようが時が立てば忘れてしまうような弱い生き物なのだ。

画像1

カーテンを開け、外の景色を見ながら食べてもらった昼食。こんなに少ない量の食事を今の父は食べきることができない。(味が好みじゃないってのももちろんあるけど笑)元気になったら、好きなものを作ってあげよう。食事を「美味しい、楽しい」と思ってもらえるようにしてあげたい。料理が苦手で普段はできるだけ台所に立たないようにすることしか考えていない私がこんな風に思えるようになったのも、父のおかげかもしれない。

『明日、シャワーに入りましょうね』

病院では毎日「明日の予定」という紙が配られる。薬、点滴、検査、リハビリ、診察などの予定にチェックがつけられ、前日から心構えを整えることができるようだ。

週が明けて月曜日。もらった「明日の予定」には、父にとって久しぶりに目にする文字が書かれていた。

「本日シャワー予定」救急搬送以来なんと2ヶ月半ぶりのシャワーだった。

前にも書いたかもしれないけど、父は無類のお風呂好きだ。日帰り入浴、健康センター、温泉、お風呂と名のつくものはとにかく大好き。そんな父が2ヶ月半もの間お風呂どころかシャワーすら入ることができなかった。もちろんそれ以外の苦痛の方が大きかっただろうけど、入浴ができないことのストレスも相当だったと思う。

車椅子に座ってリハビリ室に移動できるようになった経過を踏まえ、椅子に座った状態でのシャワーが可能と判断されたのだと思うけれど、父は少し不安なようだった。良くも悪くも「期待をして裏切られたくない」という心情が働いているのだとわかった。

ただ私は、結果「もう少し様子を見てみましょうか」となったとしても「シャワーにチャレンジした」という事実そのものに意味があるような気がした。父が少しの不安を口にしたその時は言わなかったけど、もしもチャレンジがうまくいかなかった時は絶対にそう父に声をかけようと決めていた。

ちなみに「うまくいかない」ことはあんまり想像していなかったけど…こういう私の甘い考え(楽観的思考)を父は見抜いているのかもしれないね。

アクテムラ、2週間隔へ

前の記事で書いたワイルド先生からの説明通り、毎週月曜日に投与し続けてきたアクテムラを2週間おきの投与に変えてみることになった。

大学病院に転院してからずっと週1回のアクテムラを継続してきたから、その回数はもう8回になっていた。この薬のおかげで父は急性期を脱することができ、そして今後も症状を抑えていくことができる(はず)。減薬は慎重に、でも大胆にやっていくということなのだろう。

『アクテムラはリバウンドも起きやすい』とワイルド先生はおっしゃっていた。体内の薬がなくなると症状が悪化することがあるということだと思う。1週間おきに定期的に投与していたこの量だから父の症状が落ち着いているとすれば、間隔をあければもしかするとまた悪くなることもあるのかもしれない。

怖い。
(またICUに逆戻りするような悪化をしてしまったら…)そう思ったから。私なんかがそうなんだから、父はもっと怖かったかもしれない。

でも父も私もそれを口にすることはなかった。口にすれば現実になってしまうような気がして心の中にグッとしまい込んでいた。もしかしたら父も同じように感じているのかもしれない。

シャワーと同じだ。やってみなければ、結果どうなるかはわからない。そしてやってみたからこそ「次こそは」という気持ちが生まれたり、対策がわかることもある。

ワイルド先生を信じ、父の持っている力を信じ、乗り切るしかないんだもんね。

2ヶ月半ぶりのシャワー

翌、血液内科29日目、救急搬送から74日経って初めて父はシャワーに入れてもらった。

最初の感想は『すっきり!』ではなく『ぐったり!』だった。3ヶ月前には当たり前に毎日入っていたシャワーが、こんなにも体力を消耗するものに様変わりしていた。

それでも「自分で洗うことができた」という達成感を父は話してくれる。この前向きさが父の闘病のベースとなっているスキルであることは間違いない。私だったら当たり前にできていた頃と比べて悲観し「疲れた、もう嫌だ」と投げ出しているかもしれない。父の強さを見せつけられているような気がする。

さまざまなことにチャレンジをし、それを見事に乗り越えていく父。いままで大した病気もしたことがなかった父が、病気との闘いを通して今までぼんやりとしか見えていなかった「本来の父の姿」を浮き彫りにして見せてくれている。私にはそう映っている。

父と一緒にいられること、この自慢の父が私を育ててくれた親であること、当たり前なんかじゃない。ありきたりな言葉しか浮かばない自分がホント恨めしいが、1日1日を大事に噛み締めて過ごしていきたい。心からそう思っている。


いいなと思ったら応援しよう!