もちゃも

「日々の気づきや思った事」をnoteに綴っています。読んでいただけたら、嬉しいです。h…

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「日々の気づきや思った事」をnoteに綴っています。読んでいただけたら、嬉しいです。https://motyamonote.jp/

最近の記事

小さな変化

小さな変化をコツコツと続けていくと、大きな変化へとつながる。 「それは本当らしい」と近頃感じる。 コツコツと変化させた長い道のりは、 思いもかけないほど綺麗な景色を見せてくれたり、 さまざまな人や物との関わりを作ってくれたりもした。 ただ、今でも人との関わりにおいて、 とても苦しくなる事もあるのだけれど。 ふとした瞬間、今まで起こった出来事が関わりを露わにし、 ちょっとしたきっかけから、物事の理解が深まりもした。 「答えや可能性がどこにあるのか?」 それは色々と試行

    • 空想する事の楽しみ

      私は、(自分自身や他の人の)アイデアや発想を 組み合わせる事が得意なんじゃないかと感じる事がある。 色々な人の発想やアイデアをパーツごとに見ていると すごく面白いなあと思ったり感心したりする事が多い。 ただ、そのパーツパーツの良さが分かったとしても そのままでは使い物にならないなあと思う時に、 私はよく考え事(空想)をする。 極端に言えば、ほぼ無意識的な部分での考え事(空想)なのだけれど、 それが上手くはまる事がある。 また、「ニュートンは万有引力というものを発見し、

      • アイデアや発想の面白さ、重要性

        ある問題を解こうとする時に重要な事の一つとして アイデアや発想の大切さがある。 論理的に思考するための力や 文章などを読解するための力、 物事を理解するために試行錯誤する力など 鍛えるための力はおそらく山のようにある。 その中で、「問題を解決する時の知恵や工夫の出し方」も 大切な事のように感じる。 問題を解決する時に重要な知恵や工夫の出し方は、 人により千差万別で、その事自体(人によって違うという事が) 私は興味深いなあとも思う。 私自身、「発想やアイデアがどう浮かぶ

        • 悩みについて

          「人生上の悩み」というのはどういうものだろうか? 私は、はっきりとは覚えていないのだけれど、 10代の頃はよく、くよくよと悩んでいたように思う。 また、私自身はっきりと「嫌な事は嫌だ」と 言えるようになったのが最近で、 昔は比較的、他人に合わせて生きていた。 何でそこまで他人に合わせていたのかなど 分からない部分も多いのだけれど、 あまり、主体的な人間ではなかったように感じる。 おそらく、「他の人に嫌われたくない」とか 「他の人に合わせる事で嫌がらせや意地悪を回避する

          パクったとか、パクられたとか

          私は最近、「人とは何かを交換しながら生きている」と 感じる事が多くある。 昔は、「人との関わりというのは、とても単純なものだ」と感じていたけれど、今、多様な背景を持つ人達の中で暮らす事で「人との関わりというのは、 とても複雑で、不可思議で、奇妙なものである」との印象に変わりつつある。 例えば、人と関わるとその人との間に関係が生じる。 それが良い場合も悪い場合もある。 つまらない会話や冗談で、ある人を傷つけたり、 逆に、元気づけたりする事もある。 また、ある人を元気づけ

          パクったとか、パクられたとか

          力を借りる時に

          人生とは、山登りのようなものだと感じる事がある。 どこをどう登って行ったら、目的の場所へ登っていけるのかを 考えながら、ある山を攻略する事の面白さを私は感じる。 ある高さ(標高)にある山を攻略する事の面白さは、 人生における醍醐味の一つでもある。 ただ、時として、自分一人ではこの山を攻略出来ないと いったような困難というものが生じる時がある。 「人生上の困難」とその人の歩んできた歴史というのは、 おそらく密接に関わっていて、その人の人生上の出来事や その人の人生におけ

          力を借りる時に

          ある創作物に関して

          「創作物とその創作者の人となり」は密接に関わっていると 感じる事がある。 創作物には、その人の通ってきた人生やその人の歴史が 関わっているような気がする。 おそらく、ある物語や、ある絵画、ある理論、また、あるプログラムなどは 「その人でなければ成立させる事が出来ない」といったような、 ある種の必然のようなものがあって、それは「こうしたらこうなる」という メソッド(技術論)を超えた部分があるからこそ、深い感動を与えたり、 優れているといった評価に繋がったりするのかもしれない

          ある創作物に関して

          考えるという行為と素潜り

          考えるという行為と素潜りは似ている。 何かに没頭し、ある物事を理解し、 何らかしらの結論を得るまで試行錯誤する。 もし、その一連の行為を頭の中で行うのであれば、 それは考えるという行為だろう。 考えるという行為を行なっていると、 特に何かを理解しようと頭を目一杯使うと、 頭の中のどこかがとても疲れる。 疲れを癒すために出来る事は、 健康的な生活と「特に睡眠だろう」と思う。 また、徐々に徐々に考えるという行為を行なっていかないと 考える事におぼれてしまう危険がある。

          考えるという行為と素潜り

          ある人のダンスを見て思った事

          生きていると、「何を提供された結果、今の舞台が生じているのだろう?」 と考える事がある。 ダンスにしろ、何にしろ、それが「生きるための場」としての 影響力を帯びるという事が何を意味しているのだろう、と。 「生きるための場」というのは、誰かが提供してくれたから成り立つものなのか?それとも、自然発生的に「場」が生じるものなのか。。。 この世界に関しては、どうなのだろう? 誰かが「場」を創った事が、人が生きるための条件を生成しているのだろうか? だとするなら、その「場」を創っ

          ある人のダンスを見て思った事

          自分自身にとって最も大切なものとは何か

          今、大谷選手がとても活躍している。 私自身、野球というスポーツがとりわけ好きという訳ではないけれど、 活躍しているスポーツ選手や将棋の棋士、一流の学者などの話を 聞いたり読んだりするのが結構好きでもある。 自分の事のために生きていられる時間が生じる人は、 とても羨ましくも感じる。 ただ、自分自身の人生上の出来事を見てみると、 「傷ついた人や力の弱い人、能力に見切りをつけた人の人生とは何か?」 それが、どうしても脳裏に浮かんでしまう。 何故、彼らは傷ついたり、人生を諦め

          自分自身にとって最も大切なものとは何か

          人生を通して学んできた事

          思い出してみると、 私自身たくさんの事を教わってきた。 私は、結構歳を重ねているので、 今の人の感覚についてあまり分からないのだけれど、 学問に関して言えば、かなり真摯に取り組んできたような 気がしている。 その中で今日は、少し面白かったなと 思う体験を話してみる。 教える、教わる、その関わりの中にも 膨大な量の情報や駆け引きがある。 生徒によっては投げ出してしまうような難問を、 どう教えようかと苦心しながら 熱心に教えてくださった先生から受けた印象が 私の中に鮮明に

          人生を通して学んできた事

          推理が好き

          私は、点と点を結んで線にする作業が好きである。 自分自身で言うのも照れくさいのだけれど、 推理で言い当てられる人間の機微は結構たくさんある。 「どうして、彼や彼女はそんな行動を取るのか」とか、 「何を目的として、私に対してその様な態度を取るのか」とか、 その瞬間では分からない事も、なんとなく背景となる材料と その人の人となりが分かれば、分かってしまう事はたくさんある。 人間の行動の目的や動機について考えると、 とてもシンプルな理由があったりする。 ただ、それだけでは説

          推理が好き

          星と宇宙人

          宇宙に行った事がないので、宇宙人にあった事がない。 宇宙へ行ったとしても、宇宙人に会える保証はないのだけれど。 私は、「宇宙人がいるなら、何処に、どの様にして暮らしているのだろう?」と 考える事が結構好きである。 そして、宇宙人の方から地球人へ交信してくれたら、 どれだけ面白いだろうとも思う。 地球は、これだけ高度な文明が発達しているのに、 争いや戦争が絶えない。 月で暮らす事さえ、ままならない。 最近やっと、本気で月へ行って暮らそうと しているらしいけれど。 そう

          あなたが見つめているもの

          ある人はある人の光を見つめている。 ある人はその人の闇を見つめている。 偶然、同じ人物を見つめていたとしても。。。 人生とは、その人の「何」で出来ているのだろうか? その人の持っている希望だろうか、 それとも、その人の持っている絶望だろうか。 見慣れていた景色がただ、考え方や見え方の違いで 表情を変えるのは何故だろうか? かけがえのないものを受け取る、かけがえのないものが通り過ぎていってしまう。 それは、人から受け取る「優しさ」だろうか? それは、人から拒絶された

          あなたが見つめているもの

          周囲を観察する眼

          観察する事が人より得意だと感じる事がある。 私は生来、何か主体的な行動を取るのが得意なタイプではなかった。 その代わりに、幼少期の頃から、 何故か目の前を通り過ぎる物事がくっきり見えたり、 物事の背後にある理由が理解出来たりした。 その事は、今、生きる上でとても役に立っているような気がする。 私は、主に対人関係で苦労した。 人より勝気な性格ゆえ、その事がきっかけで 諍い(いさかい)が起こるという事もしばしばあった。 ただ、欠点のない人や過ちのない人というのは、まず

          周囲を観察する眼

          生きる事の意味

          「何のために生きているの?」なんて言われたら、 なんて答えるだろうか? 私自身、何と答えよう。。。 本当の所、何のための世界なのかなんて分からない。 この「世界の分からなさ」が「世界の不思議」だと思う。 その世界と対峙して、「どう答えるのか?」が、その人なのだろうとも思う。 「何故、人として生まれて来たのか?」とか、 「何故、人の中のこの両親のもとに生まれて来たのか?」とか、 「何故、この私として生まれて来たのか?」とか、問えば問うほど、 答えなんて出てこない。 そ

          生きる事の意味