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悩みについて

「人生上の悩み」というのはどういうものだろうか?

私は、はっきりとは覚えていないのだけれど、
10代の頃はよく、くよくよと悩んでいたように思う。

また、私自身はっきりと「嫌な事は嫌だ」と
言えるようになったのが最近で、
昔は比較的、他人に合わせて生きていた。

何でそこまで他人に合わせていたのかなど
分からない部分も多いのだけれど、
あまり、主体的な人間ではなかったように感じる。

おそらく、「他の人に嫌われたくない」とか
「他の人に合わせる事で嫌がらせや意地悪を回避する」とか
そんな思惑もあったように感じるのだけれど。。。

その当時、今となってみれば、くだらない事を悩んでいたなあとも思う。
例えば、友人同士の会話での些細な言葉の言い回しに気を使って、
気疲れしてしまったり、遊びに行く時の服装なども、どのようなものを
着ていけば良いかなど、悩んでしまったりという事も結構あった。

友人同士での(私と友人だけではなく、友人と友人同士でも)
態度や会話などで揉めるといった事も多くあり、私自身、
今思えば一歩引いてもう少し敷衍して物事が見られれば、
より対人上の困難を緩和できたのではないかと感じもするのだけれど、
10代の頃の見立てとして、あれが限界だったのかなあとも感じる。

昔を思い返してみると私自身、他人との距離を取るとか、和を取り持つとか
そういう事が出来れば良かったなあなんて感じる部分があった。

故に、何故彼らがそのような行動をとるのかを分析したり、
理由について理解しようとしたりするようになったのかもしれない。

また、悩みに悩んだ時期というのは私の中でとても辛くて、
その時期の苦難が原因で「絶体絶命のピンチ」に陥ったのだけれど、
何か大きなものに救われた事がきっかけで、今かろうじて生きている状態
でもある。

「絶体絶命のピンチ」の際、ある人が、おそらく私に大きな力を
貸してくれたのだけれど、そんな事通常ではありえない事なので、
その力を借りた人の気持ちに背かないよう一生懸命に生きていくしかないと
今は感じている。

私にとって人の気持ちというのはとても重要で、
なるべくなら緊張せず、気分を害せず、心穏やかに暮らせれば
なんて思うのだけれど、それがなかなか難しい。

そう出来れば、そうなれれば良いなあと思いながら、
明日も1日を過ごしてみようと決意してみる。

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