周囲を観察する眼
観察する事が人より得意だと感じる事がある。
私は生来、何か主体的な行動を取るのが得意なタイプではなかった。
その代わりに、幼少期の頃から、
何故か目の前を通り過ぎる物事がくっきり見えたり、
物事の背後にある理由が理解出来たりした。
その事は、今、生きる上でとても役に立っているような気がする。
私は、主に対人関係で苦労した。
人より勝気な性格ゆえ、その事がきっかけで
諍い(いさかい)が起こるという事もしばしばあった。
ただ、欠点のない人や過ちのない人というのは、まずいない。
故に、この歳になってくると、自分自身の欠点や過ちに関しても寛容になれる。
私は、欠点や過ちに対して寛容になれる事は、良い事だと感じている。
何故なら、自分自身の欠点や過ちを素直に認められるという事は、
相手の事を素直に見つめる事を可能にするからである。
(相手の事を素直に見つめた結果、)
相手の行動が理解出来たり、相手の行動の理由が分かったりすると
相手の事を心ならずも、許せたりするからでもある。
この事は、自分自身に対しても言う事が出来る。
私が自分自身を理解したい(分析する)時は、湧き出してくる
心の中のイメージを何の感傷も交えずに観察する。
そして、観察した結果、関連のありそうなイメージ同士を結びつけたり、
その背後にある理由を探ったりする。
すると、「そうか、そうか。この時、私はこういう事を思っていたのか」と
自分自身のモヤモヤを見つけ出す事が出来る。
見つけ出せたなら、そのモヤモヤを言葉で表現出来るようになる。
私は、「自分自身の言葉で、自身の行動のきっかけや原因を考える事」
それは自分自身を理解するために、とても重要な事であると感じている。
自分自身を理解した結果、より深く、この世界を理解する事に
つながると思うからでもある。
もし、あなただったら、何をきっかけにどんな行動を起こしたり、
どんな事を思ったりするだろうか。。。
その事を分析し理解するという事は、
自分自身の本当の心に触れるきっかけになるかもしれない。
「自分自身の譲れない事、やりたい事。夢や希望。将来のイメージ」など、
ふとした瞬間に、何故か頭に浮かんでは消えていくもの。
私は、「その理由を探ったり、原因を考えたりする」、
その事をとても大切にしている。
何故なら、その事が、相手の事を理解したり
自分自身を許せたりする「鍵」であると感じているのだから。
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