二重被災。1000年に一度の大地震と50年に一度の豪雨に同じ年に見舞われるなんてことは、統計上あってはならないだろう。豪雨被害が明らかになってきた9月22日の夜にボラキャンすずからメールが届いた。 私が長期ボランティアに行こうと決意できたのはボラキャンの存在が大きい。ボランティアは自弁である。遠方から赴く場合、交通費とともに宿泊費が大きなネックとなる。大きな被害を受けた奥能登ではホテルは稼働していない。金沢から奥能登までは遠く、ホテルも一泊10000円程度。これでは体験程
あっ、この人は。7月2日朝日新聞夕刊の記事が目に留まった。私がボランティアに行ったときにお世話になった方が、被災直前から金沢市に避難するまでの5日間のことを『地震日記』という本にして出版していた。 私がお手伝いした石川県珠洲市の銭湯は県外から移住した若者達が運営しているが、彼らもまた被災者だ。本を出版したのは運営者代表のパートナーの方で、早速取り寄せて読んでみた。「普通だったら終わりが見える揺れなのに」「揺れがおさまったときには心が透明で」「なぜか町がグレーに見える」など
5月半ばに能登から帰って来たが、ようやく筆を執る気になった。車中泊のひと月に渡るボランティアは思いのほかダメージがあったのかもしれない。二市二町で活動したが、大半は珠洲市の銭湯あみだ湯で薪作りなどを行った。あみだ湯を知ったのは3月9日の朝日新聞夕刊の記事。移住者の若者が中心となり銭湯を再開したこと、被災した高校生が手伝っていることなどを知り、何か役に立ちたいと思いボランティアの受入を依頼した。 行ってみて強く感じたことが二つある。一つは銭湯が地域住民の暮らしのターミナルと