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オクジーの成長に心が揺さぶられた話 〜『チ。地球の運動について』〜

これまで数多くの作品に触れてきたが、初めて感動を言語化したいと強く思えた。特に下記のシーンで鳥肌が立つほど感動した。

オクジー:———前、なんで本なんか書くんだって聞かれましたけど、
バデーニ:は?
オクジー:それは俺が地動説の意味を知った時、多分、感動したからです。そしてそれが日に日に強くなってる。
バデーニ:…。何が言いたい。
オクジー:つまり俺は、ちょっと前までは早く地球(ここ)を出て天国へ行きたかったけど、今はこの地球(かんどう)を守るために地獄へ行ける。

チ。地球の運動について(第4集 141-143頁)

オクジーの成長。彼の信仰が明確になった瞬間だったと思う。
地動説との出会いが彼の考えを大いに変えた。人は変わらない、と思っていたがそうでもないらしい。フィクションであっても「何か」に感動して人が変貌する過程は整理して考察する価値はある。

彼の変化を振り返る。彼の変化を理解するには、「受動的な恐怖」から「能動的な自由」への移行という視点が重要だと思う。ここが自分に深く刺さった。

物語序盤のオクジーは、希望を天国に求め、この世は「終わっている」と捉えていた。宗教的な教えをそのまま受け入れ、偉い人の言うことを疑うことなく従っていた。そのため、死後の世界が本当に存在するのかという疑念を抱きながらも、それを深く考えようとはせず、恐怖の中で生きていた。特に彼にとっての星空は、自分たち人間を見下ろす天界の象徴であり、「人間は下等な存在である」という意識を強化するものだったと思う。

転機となったのは二人の死。彼らは教義からすれば天国には行けないはずの人間だったが、最期の瞬間に満足そうな表情を浮かべていた。彼らは天国ではなく、この世界に希望を抱いていた。この経験は彼の中にある種の揺らぎを生じさせる。そして、彼は地動説と出会う。

地動説は、単なる天文学の理論ではなく、彼にとって「人間の可能性」を象徴するものだったのだろう。かつて恐れていた星空は、決して人間を見下ろすものではなく、地球もまたその一部にすぎないと知った。人間は考え、理論を築き、世界の仕組みを解明できる。その尊さに気づいたのだ。それまで抱いていた「人間は下等な存在だ」という認識を、地動説が根底から覆した。その事実に、彼は心を震わせた。

覚醒したオクジーは、もはや盲目的に教義を受け入れることはしなかった。新たな信仰は地動説にあり、それは「人間の可能性」を信じることと同義だと思う。彼は初めて能動的に世界と向き合えるようになったのだ。
彼が見出した希望は、かつてのように天国にあるものではなく、地動説の証明を次の世代へと託すことにあった。受動的に恐怖を抱えていた存在から、能動的に自由を求め、未来へと託す存在へと変貌を遂げた。彼の変化はまさに「人間の可能性」そのものだと思う。

脱線するが、ロバート・キーガンの成人発達理論(Adult Development Theory)によると、人の成長には段階があるという。

ステージ1(衝動的心):「本能のまま動く」(欲求のままに行動する)
ステージ2(道具的心):「損か得か」(自分の利益を最優先する)
ステージ3(社会的心):「周りが基準」(他人の評価や期待を重視する)
ステージ4(自己主導的心):「自分の信念で生きる」(自分なりの価値観を持ち、決断する)
ステージ5(自己変容的心):「価値観を超える」(自分の考えすら変化させ、他者の視点も取り入れる)

ステージ3までは「他人の目」を気にすることが多いが、ステージ4では「自分はどう思うか」を重視するようになり、ステージ5では「正解は一つではない」と柔軟に考えられるようになるという。

これを知った時、自分はおそらくステージ3にいると感じた。環境には適応できるが、受動的であり、自分の信念を持っていない。だからこそ、本心では「自分の信念を持って生きたい」「自分なりの価値観を築きたい」と願っている。しかし、現実にはその境地に至ることができず、ここ数ヶ月、ステージ4へ進もうともがく日々を過ごしていた。ステージ3と4の狭間にいる感覚。その葛藤の中で出会ったのが、『チ。地球の運動について』だった。

オクジーもまた、かつてはステージ3にいたのだろう。他者の価値観に依存し、盲目的に教義を受け入れていた。しかし、地動説という新たな視点に触れたことで、彼は変わった。自らの信念を持ち、それに従って生きることを決意した。そして最終的には、さらなる高みへと到達し、次世代へと託す覚悟を決めた。彼の成長は、まさにステージ4、さらにはステージ5へと駆け上がる過程のように見えた。その姿が、今の自分と重なり、強く感動したのだと思う。

人は「何か」に出会うことで変わる。その「何か」が何なのかは人それぞれで、一つとは限らない。フィクションであっても、作品の中にある「何か」に触れ、心を揺さぶられ、変貌していくことがある。その希望を感じることができたのが、今回の大きな発見だった。『チ。地球の運動について』は、真理の探究を巡る物語かもしれない。しかし、僕にとっては、「感動」が生む信仰の誕生人の変貌を描いた作品だった。オクジーが新たな世界の見方を得たように、僕もまた、心を震わせる「何か」に出会い続けながら、自分なりの信念を築いていきたい。


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