パン職人の修造131 江川と修造シリーズ 製パンアンドロイドと修造
さて、製パンアンドロイドアンコンベンチナルβ750が世に出ることになった。
今までも製パン用のロボットはあったものの、とにかく故障が多くて困っていたがその原因の多くは粉の目詰まりによるものだ。その点β750は江川のしつこい要請により、ボディの周りを薄くて丈夫なシートでコーティングしてあるから目詰まりは防げる。
動きも滑らかになり、パン作りができるアンドロイドを平方は動画にとってあちこちに営業して回った。
昼前
修造は江川とプレッツェルをラヴゲン液に付ける作業中。
「とにかくチーズプレッツェルが人気がありますね」
「だな」
そこに「修造さん、基嶋機械の後藤さんがお呼びです」と岡田が声をかけて来た。
「わかった、今行くよ。登野さん、ここ代わってくれる?」修造は立花と作業中の登野にそう言って後藤と2階の事務所に行く。
「修造シェフ、お世話になります」
「どうも、おかけ下さい」修造は向かい合わせでソファに座った。江川が通販で買ったピンクのソファで、色は派手だが座り心地が良い。
「アンドロイドの展示会をやる事になりまして、シェフにお知らせに来ました」
「それは良かった。誰か使ってくれそうですか?」
「そうですね、好感触なお問い合わせがありますよ。ところでシェフ、その時に製パンアンドロイドと一緒にデモンストレーションをやって頂きたいのですが」
「え!」
「ステージでシェフと一緒にアンドロイドがパン作りをするんです」
「俺が?」
後藤は修造が断りそうなのを読んで立ち上がって言った。
「いやー基嶋もですね、世界大会の時は一丸となって修造シェフの応援をしたものですねぇ」
「えっ!あ、はい」そう言われて修造はちゃんと座り直した。基嶋が世界大会でのスポンサーになっていて、大会が終わったら講習会をしてくれと言われていた事を思い出したのだ。
「普通の講習会より難しそうじゃないか」
実際
アンドロイドと一緒の講習会とは?
一般的な製パン講習会はテーマを決めてやるものだが、大概は開催する企業の宣伝がついて回るものだ。例えばバターの会社ならその会社の製品を使うレシピを作って、それを受講者に配ってこんな風に使うとこうなりますとか、販売はこんな風にしてとか説明する。
機械の会社ならオーブンの機能やらミキサーの機能やらが際立つ様な製品を作って見せる。
「うーん」
俺が自分の動きと同じアンドロイドを人に勧めるのか?そもそも自分の意思じゃなかったのに一体どうやって?
いや待てよ
江川だ!
江川みたいに一緒にやって機能を見せるんだ。
製パンの動作から次の動作への横移動、これが難しい。そして次の作業の為の準備、製造。
となると俺は補助だ。
自分の仕事をしながらアンドロイドにも作業をさせる。
「成程」
修造は後藤と綿密な打ち合わせをした。
三輪と常盤にも細かい入力をして貰った。
実際に製品を使うのはお客であるパン屋なんだから、その人達が使いやすい様にしないとな。
大抵のパン工場は狭いんだ。機械が所狭しと置いてあってちょっとした隙間にも物が置いてある。
「普通に歩けるスペースは少ないんだよ」
「後藤さん」
「はいシェフ」後藤はいつもみたいに白い歯を見せて笑った。ほうれい線がクッキリと現れ目尻の皺が際立った。
「中々後手に回りがちなこの業界に光を当てる様な事をよくやってくれましたね。開発費も半端ないと思います。この計画が軌道に乗ってくれると良い」
「修造シェフ!ありがとうございます。講習会成功させましょうね」
「やるならやるで色んな人に便利に使える様に思って欲しい。俺はそう思います」
さて
デモンストレーションは製パン製菓の大型の展示会でおこなわれる。3日間あり、同じ会場では例の世界大会への切符が手に入る選考会もある。過去に修造も江川と一緒にここに来て、江川は助手の選考会を、修造は世界大会に出場する為他の選手と争い、2人してフランスに行き世界大会に出たのだ。
「懐かしいな」今日はパンの大会でなく、アンドロイドの補助なので、なんだか不思議な気持ちで会場に入った。
修造がアンドロイドと講習会をするとあって、そのブースの前は人が取り囲んだ。修造とアンドロイドが並んで講習を行い江川が司会進行。スタッフに大坂と登野が来ていた。
「今日は3人ともよろしくな」
「俺めっちゃ緊張してきました」「私も」と大坂と登野は変な汗をかいていた。
「練習した通りやれば良いよ。江川は全然緊張してないみたいだけど」3人は江川を見た。もうマイクを持ってイキイキとスタンバイしている。
ブースの後ろや横には開発の関係者が並んでいる。
「皆さんようこそいらっしゃいました。本日はリーベンアンドブロートのシェフ田所修造さんと基嶋機械のアンドロイドのデモンストレーションを行います。こちらが我が社とNN大学理工学部が総力を挙げて開発した製パンアンドロイドアンコンベンチナルβ750です」と後藤の挨拶のあと、江川が「β750のニックネームはしゅうちゃんです。しゅうちゃーん」そう言って手を振るとしゅうちゃんも「江川さん」と手を振って返事した。
実演が始まった。
修造が台の上に生地を広げて「350gで分割して」と支持する。しゅうちゃんは「はい分かりました」と返事して秤を使わずスケッパーを手に持ち生地を同じ大きさに分割した。
「これを見て下さい」江川は分割した数個の生地を計って見た。
「同じグラムだ」
「そうなんです計りは要りません、見ただけで計測出来て、持っただけで重さがわかります。一般常識的な事や、労働するにあたっての立ち居振る舞いはデータが入っていますし、無限に学習していく事ができます。AI機能で記憶していきますので同じことを何度も教えなくていい。今はパンの基礎的な知識だけですが雇う人の個性あるパンを覚え忠実に再現できるようになります。つまり貴店だけの製パンアンドロイドができあがるのです」
修造とアンドロイドの動きを見ながら、江川の説明をアンドロイド賛成派も反対派も真剣な面持ちで聞いていた。
次に計った生地で「成形してバヌトンに入れて」としゅうちゃんに言うと端にあった丸めた生地から成形をしていく。ポンポン叩いてガスを抜いた生地を裏返して何度か端を中心に向かって折りたたんでいき、それをまた丸めてカゴに入れていく。
会場から「ほお~」という一般客や、パン職人達のため息が漏れた。
何種類かのパンの成形が無事終わり、大坂が焼けたパンをテーブルに並べていくと見物人は皆、観察したり写真を撮ったりどこかに電話したりしていた。
会の最後に「何か質問のある方」という江川の言葉に大木が真っ先に手を挙げた「このアンドロイドが職人並みに仕事できるかは今の内容では分かり辛いけど実際導入の手順はどうするの」
その質問にマイクを向けていた江川が「では後藤さんに伝えて頂きます」と言ってマイクを渡した。
「ご質問ありがとうございます。まず当社の方で基本入力を済ませたあと、働き先の歴史とレシピや工房の見取り図、働いてる方の顔が認識出来る様にデータを詳細に打ち込み、ベリファイ(検査入力)を行ってからの納品になります。納品後は何度でもバージョンアップできますからその点は安心です。初めは見習いですのでできることは少ないですが先程江川さんが説明してくれた通り無限に学習していきます」
他の職人がすぐ手を挙げた「パン職人の就職率が下がるんじゃないかと心配する声があるけど?」
「そうですね、全てのパン屋で導入するならそんな事になるかも知れませんが、基本は人の少ない部所や人手のない職場での仕事上のパートナー、労働の担い手として生まれたものです、そうは言っても皆さんが導入して下さるなら弊社としては願ったり叶ったりです」と、後藤が勢いよく言った。
「田所シェフの所でも使うのかい?」という質問に修造が答えた「実演までして言うのは何ですが、俺の所ではまだまだ必要ありません。ですが人手がなくて日々を何とか乗り切っている店は少なく無い筈です。あと何年頑張れるか分からないと思いながら営業を続けるのは辛い。延々と手伝ってくれる存在があるのは嬉しいが使いこなせなくては意味がない。なので導入後はミーテンリースの平方さんが手厚く面倒見てくれる様です」
皆一斉に平方の方を見たので平方は慌ててお辞儀をした「私にお任せ下さい」
「リース料の分も売り上げを上げないとな」と修造はしゅうちゃんに言うと、見物客からフフフと笑い声が上がった。
これを使うとこんな良い事があると理解して貰いたい、そう思って修造は続けた「パン屋のご主人を今の製パンアンドロイドが超える日が来るとは思いません。それは人間ならパン作り以外の心の深みや経験知識があるからです。お客さんの心がわかるから通じ合えるものがある。だけど永遠は無いんですから、例えば夫婦2人で経営していて突然ご主人が亡くなってしまったら残された者はどうなりますか?勿論一人でやっていけるならそれに越した事はない。でも雨の日もあれば照る日もある、挫けそうになった時、ご主人の代わりに手助けしてくれる存在が大事な時もある。いくらでも仕事ができて、力仕事をしてくれて、指示通り動いてくれて、もしそんなものがあったら夢の様でしょう。俺はそう思ってプロジェクトに協力しました。後藤さんの言う様に、もしかしたら高齢化のせいでどんどん無くなる店が増えるかもしれない。でもそれを少しでも遅らせる事ができたら良い」
アンドロイドのお披露目会の初日は無事終わった。
「いやー盛況でしたね。正直誰も来なかったらどうしようかと思っていました」
「ははは」修造も同じ心配をしていたのでホッとした笑いが込み上げた。
アンドロイドは会場の前に立ち、道行く人達が遠巻きに見たり話しかけたりするので後藤がすかさずパンフレットを渡しに行っていた。
そんな後藤を見て「あのバイタリティには感服するよ」と呟いた。
片付け終わって帰ろうとすると「修造さん、お店まで送っていきますよ」と平方が声をかけて来た。
「遠いのにどうも」
「ああ!僕も行きますよぅ」江川も一緒に帰る事になった、大坂達に店の車を任せて3人は車に乗った。
「平方さん今後は営業で忙しくなるんじゃないですか?」
「講習会で撮った動画を配信したり一軒一軒まわって営業する予定です。今度は展示会を計画中です。あ、ちょっと待ってて頂けますか?1軒だけ感熱シールを納品させて下さい」
東京に着いた頃
平方がパン屋の前で車を停めてダンボールを持って急いで入って行ったのを2人で見ていた「リットルパンですって、僕知らなかったな。中にはご主人とと奥さんが働いているんですね、あれ?」
江川は店の中で話している女性店員と平方の方をガン見した。「どうした江川」「僕の勘ではね、平方さんはあの奥さんに好意を持っていますよ」「なんでわかんの?そんな事。ほんとに奥さん?」修造も店の方を見た。青いエプロンをして、頭に赤いバンダナをしている店員と話している平方は確かに顔が赤い気がする。
「僕のお母さんぐらいの人ですよ」
「じゃあ平方さんと同じ年代じゃない?」
「ところでね修造さん、僕聞きたかった事があるんです」江川は平方を見ながら思い出した事を言った。
「和鍵さんてね、修造さんが好きだったんですよ、知りませんでしたか?」
「ええ?そんな事、でも和鍵さんの母親にもそんな事言われたなあ」
修造は遠い目をして言った。
「気がつかなかったしどうしようもない事だよ。勝手ばかりしてて申し訳なく思ってるのにそれでまだ他の女性に目移りなんてしたら俺はクズだ。律子に合わす顔がないし、それに律子って江川以上に凄く感が鋭いんだよ。ちょっとでも他の女性の事を考えてみろ」修造は背中がゾクっとしたのか身震いをした。
「それなら初めから何も気がつかない方がいいんだ」
「そういうものなんですかねぇ」
そこに平方が戻って来た「すみませんお待たせしました」
「平方さんって独身なんですか?」江川が聞いた。
「はい、もう50を過ぎましたがね。私はね、ずっと気になってる人がいて、とうとうこの年まで独り身のまま来てしまいました」
「え?それは相手の人は知ってるの?」
「いえいえ、それはとんでもない事です。ご存知ないですよ」
「もしこのまま気持ちを伝えないで終わっても良いんですか?それで平気なの?」
「言えませんよ絶対に」平方はアクセルを踏んで発進した。
江川は平方が気の毒で帰るまで車の中でずっとシュンとしていた。
ーーーー
リーベンアンドブロートの駐車場に北風が初めて吹いた日
修造達はシュトレンを、他の物は店の品を作っていた。
「すごい量ですねぇ、こんな時しゅうちゃんがいたらなあ」
「江川は愛着が沸いてたもんな」」
「だって単調な仕事でも何でも嫌がらずにやってくれそうでしょう」
「そうだ、それを今度鷹見教授に言ってあげよう」
その時建物の裏の倉庫から誰か入ってきて工房の扉をノックした。
立花が「興善フーズの納品じゃない?」と扉を開けて倉庫に納品に来た業者を出迎え数量をチェックしていると「ちょっと大坂くん」と呼んだ。
大坂はダッシュで倉庫に行ったが、その後なんだか立花に叱られている声がする。
「あの修造さん」
「どうした大坂」
「やってしまいました」と言って倉庫に大量に積まれたラズベリーを見せた。
先日アプリから注文した時に20と200を間違えて入力したらしい。
「あっ」修造はすぐ興善フーズに電話して詫びを入れて持って帰って貰った。
「何回もやったらお店の信用がなくなるんだから気をつけてね」と立花から注意されて小さくなっている大坂を見て「これがヒューマンエラーってもんだな」と笑って言った。
製パンアンドロイドと修造 おわり
読んで頂いてありがとうございます。
このお話は未亡人の目から見た『製パンアンドロイドリューべ』というお話に続きます。
少し未来にリューべは未亡人の所に現れて手助けします。
そして平方米男も。
そしてその何年も何年も先の話
修造はパンで作った小さな薔薇の指輪を平方に渡した。
「お幸せに」
平方は修造に作って貰ったパンの指輪を利佳に渡して「今度一緒に本物を買いに行きましょう。勿論前のを外す事はありません、二つすればいいんじゃないかと思っています」
「平方さん、ありがとう。これからはリューベと3人で仲良くやっていきましょう」そう言ったかどうか、それはまたいつか。
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