パン職人の修造 145 江川と修造シリーズflowers in my heart
「初めまして、藤丸パン横浜工場長大和田です」大和田は2人に挨拶した。
「どうもね、俺はパンロンドの柚木阿具利」
「リーベンアンドブロートの田所修造です」
「今藤岡に話は聞いたよ」
「そうなんですね、私も全然気が付かずお恥ずかしいです。いつの間にか木田や足打(あしうち)が裏切っていたとは恐ろしいです。そもそも木田がメールのやり取りをしていて先に全員の取り分の20%を振り込まれたそうなんです。みんな借金があって金に困っていた連中ばかりで残りの金欲しさに実行犯になってあの様な事に」
「皆事情は違うけど金に困ってたんだなあ」親方が腕組みをしながらうなづいた。
「どこででも起こりうる話なのかなあ。知らない間に何かが蔓延してたり」
「中々分かんないもんですよね」修造と親方が目を合わせて頷いた。
「それで仲介の犯人が捕まったそうなんです」
「捕まったんですか?それもまだ仲介?その更に奥に企業とかいるのかな?」
「どうなんでしょう?実はそれも鴨似田夫人の部下が炙り出したそうですよ」
「歩田と兵山が?そんなできるタイプだったっけ?」修造はあの『ややお間抜けな2人』を思い出した。
大和田が説明した「鴨似田夫人は資産家の娘さんで、他にも有能な部下が何人かいる様です。投資専門、調査専門、不動産も実は手広くやってる様ですよ」
「へぇ、俺の調査なんて訳ないんだな、日光にも付いて来てたし」藤岡は納得して言った。
「それに」大和田が続けた。
「もしどの企業か知りたいなら本当に引っ掛かってみたら分かると言ってましたよ!冗談じゃない」
それを聞いて皆空虚な笑いを浮かべた。
「まだまだ調査は続きますね」
藤岡は気を取り直して正面に座っている2人に改めて向き合った。
「親方、修造さん、今まで藤丸パンの事を黙っててすみませんでした。俺、今回の事で反省しました。今度由梨を連れて親父に会って来ます」
「ん?由梨?」
「はい、俺達結婚する事になりました。先日プロポーズして」
「それはおめでとう」
「おめでとう藤岡」
「ありがとうございます。それで言いにくいんですが俺と由梨は同時に退職しないといけなくなって」
「由梨は家庭に入るって事?」
「いえ、横浜工場で一緒に働こうかなと思って。そうなると2人共色々と覚えなくちゃいけない事が多くて」
「ゆくゆくは藤丸パン全体を見なくちゃならん訳だな」
「はい、すみませんご迷惑をお掛けします」
「良いって事よ!楽な道のりじゃないかも知れないが大和田さんに教えて貰いながら仕事を自分の物にしていくんだな」
「これで社長も安堵なさるでしょう」
「大和田さん、よろしくお願いします」藤岡は頭を下げた。
「そう!由梨と藤岡を頼んます」
「お役に立てる様に頑張ります」
その後藤岡は言おうか言うまいか迷った挙句切り出した「修造さん、リーブロのガタイのいい、江川さんの助手をしてた奴がいるでしょう?」
「あぁ、大坂?」
「そいつと立花さんはどういう関係なんですか?」
「え」そんな立ち入った事は聞いた事ないし「知らないな、なんで?」
「いえ、なんでもありません」
「2人が何?」
「忘れて下さい」藤岡は立ち上がった。
「お、帰るのか?明日また話そうな」
「はい、修造さんもまた」
そう言って頭を下げた。
藤岡と大和田が帰った後2人は飲み比べをしてやはり親方が酔い潰れる。
「親方、帰りますよ」と言って水を飲ませた。
「うーん修造まだ飲めるぞ」
「もう無理ですって」
親方は机に顔を伏せ、唸るような小声を絞り出した。
「修造の次は藤岡がいなくなるのか、俺はあと何回こんな感じの気持ちを味わうんだ」
いつもはこんな事を絶対言わない親方が酔った勢いで本音を吐露した。
「今は親方の気持ちが分かります」
同じ空間で自分が育てたものが無くなってしまう
それは人でもあり、形作って来た技術とか人情でもある。
「寂しいですね」
「うん」
「またやり直しましょう。何度でもですよ、また煌めく星を見る瞬間がありますよ」
「なんだ煌めく星って」
修造に抱えられて親方は家路に就いた。
帰り道
夜風が気持ちいい。
今自分の所で働いている者達もいずれ何らかの理由で出ていく事もあるだろう。
「そう思うと寂しいな」
しかしこれは仕方ない事なんだ、それでも自分はパン職人を続けていく。
親方の様に「よし!分かった!これからも頑張れよ」って言わなくちゃ。
修造の目に何故か涙が流れた。
次の朝
泥の様に眠っている修造の腹の上に急にドスン!と衝撃が起こり顔面に釣るような痛みが起こった。
「うわ」っと目を見開くと大地がケラケラと笑って腹の上にまたがっていた。
「大地」
髭を引っ張ってくる大地の脇を抱えて顔を近づけたら今度は「くしゃい」と言って小さな手のひらで酒臭い修造の顔をペチペチ叩いて来た。
「痛い痛い」うつ伏せになって攻撃を避けていると今度は背中の上で立ち上がってグラグラしている。
「すごく可愛くてすごくやんちゃだ」
「修造ただいま、昨日はごめんね」と隣の部屋から声を掛けながら律子はなんとなく小綺麗になってる部屋や冷蔵庫の中を見まわした。
「助かるわあ」洗濯機を回しながら綺麗になって片付けられているベランダを見て言った。
日常の汚れは徐々に溜まっていくが中々綺麗にするのが億劫な時もある、それがスッキリ片付いていると気持ちいい。
修造の背中に乗り今度は「お馬さん」をしている大地は時々足で修造の両脇をポンポン蹴った「いてて」そう言いながらも息子の成長を背中で感じて嬉しい。
長女の緑は早速テレビの美少女戦隊シリーズを見ている「お父さんただいま」ちょっとだけこっちを見てまた画面の方を向いた「おかえり緑」
「律子、俺しばらく休みなんだよ、来週長野に帰らない?」
「長い休みなのね、お母さんに連絡しておくわね」
「うん」
大地を膝に乗せながらコーヒーを飲んでいると「お父さん、私お父さんのお城に行きたい、ねえお母さんいいでしょう?」と緑が言った「いいわよ」
緑はリーブロに来た時は必ずお城の様だと言っている。
「気に入ってくれて嬉しいよ、じゃあ後で出かけよう」
つづく
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