パン職人の修造121 江川と修造シリーズ 満点星揺れて
東南商店街にある由梨の両親が経営している着物屋『花装(はなそう)』では、明日の浴衣イベントに参加する為に準備で大忙しだった。
東南駅からは随分離れた大きな街の南会館という所で着物屋が集まって行う『夏の大浴衣市』があるのだ。
由梨もこの日はパンロンドを休んで、浴衣を着て手伝いに行く事になっている。
父親と由梨は車に着物やら小物やら展示用のグッズを沢山乗せて前日準備に出かけた。
「あ、ここはリーベンアンドブロートの近くだわ」父親の運転する車は笹目駅の横を通り過ぎ、三つ先の駅を曲がったすぐの所に着いた。
着物を展示しながら由梨は立花の事で頭がいっぱいになった。
こんなにクヨクヨするのならいっそ立花さんに会いに行こうか、それとも藤岡に聞こうかと迷う。
次の日、由梨は浴衣に着替えて親子三人で会場に向かった。
両親は傷ついた由梨の事をとても心配していたので、最近の沈んだ由梨の事が気になっていた。
会場では由梨の浴衣姿を見て同じ物が欲しいと言う客や、帯について色々聞いてくる客の対応に追われていて、しばらくは藤岡の事が頭から離れていた。
忙しい中、客に丁寧に説明して浴衣の種類や履き物まで見て貰った。
「由梨、後は私達でやるから帰って良いわよ。駅はわかるわね?」母親が声をかけた
撤収作業を終えて会場から帰ると夜遅くなるので、明日仕事の由梨を心配して少しでも早く返そうと思ったのだ。
「電車で」
急に笹目駅の事が頭をよぎる。
由梨は電車に乗ったが、三つ目の駅で降りてバスに乗った。
少し歩くと修造の店だ。
「来てしまった」
強い日差しの中、日傘を差して店へのアプローチを歩く。
それをパン粉が見つけて江川に言った「ねぇ、あの人パンロンドの人かな?」
「あっ由梨ちゃん」と言って江川が走って出迎えた。
「わあ、由梨ちゃん綺麗、素敵な浴衣だね」そう言われてまるで勝負服で来た様で恥ずかしい。
「浴衣イベントの帰りなんです。あの、立花さんはいますか?」
「えっ?知り合いなの?ちょっと待っててね、呼んでくるから」
江川は走っていって立花を呼んできた。
全く初対面の浴衣の女の子を見て驚いていた。
「はい、立花ですが何か御用ですか?」
「あの、私藤岡恭介さんと同じ店で働いている者です」
「えっ」
急に藤岡の名前が出てきて立花は驚いてベンチに座り込んだ。
浴衣姿の女の子が藤岡の名前を出してきた事も不思議でならない。
「どういう事か説明して貰えますか?」
藤岡さんは立花さんを探してパン屋さんを一軒一軒訪ねていました。その事はご存知でしたか?」
「いいえ、知らなかった。あなたはその事を知ってるのね」
「はい、だからって私達何もありません。藤岡さんはここで立花さんを見かけてから様子がおかしかった、今の立花さんみたいにこのベンチに座り込んでいました。でもその後藤岡さんが何を考えていたのかはわかりません」
「だからここに来たのね」
「長い間パン屋さんを見て回るのは大変だったと思います。それがあの人の気持ちです、もしご存知無かったのなら言わなくちゃいけないと思って、その事を伝えたくて来ました」
「貴方はそれで良いの?」
立花は由梨の気持ちを汲み取って質問した。
よくはない、よくはないが
このままにして良いのかもわからない。
由梨が困っていると立花が「わかったわ、一度藤岡くんと話してみるわね」と微笑んだ。
由梨から見た立花は凛とした立ち居振る舞いの素敵な大人の女性だった。
帰り道百日紅(さるすべり)の花の咲く駅への道を歩きながら「私は何をしてるのか」と情けなく思う。
そこへ車が追いかけて来てクラクションを鳴らした。
「由梨ちゃん」
「江川さん」
「由梨ちゃんが浴衣で来たって言ったら修造さんが送っていってあげてって」
「すみません」
「僕も久しぶりにパンロンドに行こうっと」
江川は由梨を乗せて、車を東南商店街に向かって走らせた。
「みんな元気にしてる?」
「はい、藤岡さんが杉本さんに難読漢字を沢山教えてました。この間は躑躅って言う難しい漢字を」
「へぇ、会いたいなあ杉本君や藤岡君」「修造さんのお店はどうですか?とてもお客さんが多いですね』
「車で来る人が多いよ。駐車場が広くて便利みたい」
「パン粉ちゃんがいましたね」
「そうなんだ、僕達仲良しになってリーブロを手伝っってくれてるんだ」
「段々パンロンドの人達の知らない生活になっていってるんですね」
「そう、色々あるけど乗り越えて行けると思うよ」
と、そこで車はパンロンドの前に着いた。
「親方ー!」江川が親方のところに飛んで行った。
「お!江川!元気そうで良かった安心したよ」
「はい、少し痩せたけど段々体重が戻って来ました。今はパンの味見し過ぎかな」とお腹をポンポンと叩いた。
由梨は江川の後ろに立っていて、あははと笑うみんなの向こうにいる藤岡と目があった。由梨にアイコンタクトを送っている気がする。
何故江川と帰って来たのか、一人でリーブロに行ったのか、そして立花に会ったのか?そう思っているのではないだろうか。
心の中で藤岡に
『私、立花さんと会って来ました。勝手にごめんなさい』と詫びた。
「江川さん、ここまで送って貰ってありがとうございました。私片付けがあるので帰ります」江川と皆に会釈して花装に戻った。
それを見送った藤岡は「一度立花さんと話をしないといけないな」と呟いた。
つづく
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