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柚木麻子『BUTTER』感想
※この記事は、柚木麻子『BUTTER』の感想を、ネタバレを含まずに書いたものです。
内容紹介、考察を行うものではありません。
3人の男性を手玉に取り、殺害したとされるにも関わらず、若さも美しさも持たないことで世間を騒がせた容疑者・梶井真奈子(通称カジマナ)と、彼女に翻弄されながらも取材を重ね、気づきを得ていく30代の女性記者・里佳。
「魔性の女」をスキャンダラスに消費するのではなく、「生き方」にスポットを当てて、そこに生まれる光と影を登場人物自身の中に落とし込みながら次に進めていく描き方が良かった。
物語の随所に料理や食事の描写が事細かにになされており、涎が溢れた。
一方で、人が心の奥底に抱く孤独や愚かさも突きつけられ、ずっと読んでいるうちに消化しきれず胸焼けがしてきたこともあった。
何度か読むのを止めて言葉を咀嚼する時間が必要だった。
この物語では、「料理する」という行為が重要なポイントとなっている。
美しくないにも関わらず、カジマナが「魔性の女」であれたのは、美味しい料理で男たちの胃袋を掴み、細やかに世話を焼くことで家庭的な温かさに飢えた男たちを虜にしていたとされるからだ。
彼女を取材する里佳も、彼女が薦めた料理を作り、食べ、彼女の見た景色を自分でも見ようとする。
カジマナを知るための行動が、自らの過去や周囲の人々との関係に目を向け、変化を生むことにつながり、物語が展開していく。
本来、食事は自分の生命を維持し、食欲を満たすための、自己のための行為でしか無い。現代では、自ら料理をせずとも食事をする手段は沢山あるから、料理は必ずしも必要な行為ではない。
しかし、料理をすることで、自分の欲望を形にできる。
今の自分が食べたいものは?
より美味しく食べるには?
健康に過ごすに必要な栄養は?
考えながら創造していく時間は、自分と向き合う時間だ。
他者に振る舞えば、豊かな時間の共有もできる。
家族が好きなものを作って喜ばせたい。
恋人にお菓子をプレゼントしたい。
そんな出発からの食事であれば、両者は幸せだ。
しかし、妻だから、母だから、女だから…と「愛情」をよりどころに「役割」として取り組むには、料理はあまりにしんどい行為でもある。
「つくる人」と、「たべる人」が固定され、対等で無いままで過ごせば、「つくる人」の心は知らず知らずにすり減っていく。
そしてこの関係は「つくる人」に「たべる人」が依存している状態でもある。まさに「生命線を握られている」状態だからだ。
「つくる人」を失った「たべる人」は弱る。
…カジマナに翻弄された男たちのように。
『どのように料理を作り、食べるか』は、その人の在り方を象徴しているものの一つかもしれない。
里佳と伶子の会話で、好きなやりとりがある。
「(略)ロックだよね、掃除とか料理ってさ。愛情や優しさじゃなくて、一番必要なのは、パワーっていうかさ・・・・・・。なまくらな日常にのみこまれないような、闘志っていうかさ・・・・・・」
伶子の目がぱっと輝いた。
「そう、ロックロック!!権力への反発だよ」
(中略)
「こんな不平等でギスギスした世の中だから、自分の暮らしや自分の周辺くらい、自分を満足させるものでかためて、バリア張って守りたいって思うじゃん。お金かけなくても、工夫したり、 手間かけたりさー。それに、その時、食べたいものを、自分の手で作り出せるのは、面倒な時もあるけど、楽しいよ」
健やかな生活を送るために必要なのは、
愛情や優しさではなく、
性別や役割でもなく、
自分のくらしを自分の手でつくり、守るのだ、という意思だ。
物語を読み終えたいま、バターをたっぷり使った、焼きたてのパウンドケーキを無性に食べたい。