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【MOVIE】『インターステラー』-愛は時空を越える

自前のブログに掲載した映画感想文をnoteにも展開する実験です。

【MOVIE】『インターステラー』-愛は時空を越える – Crazy One – glad design blog –
映画『インターステラー』キービジュアル

これほどまでの超大作でシンプルに感動した映画は初めてではないだろうか。
2014年公開の映画ながら最近AmazonPRIMEに追加されたので観てみた。

観たのは昨年末でちょっと時間が経っていますが、
さまざまな考察ブログ等に感化されながら、
感想文を書いてみたいと思う。

映画『インターステラー』予告編


●あらすじ

地球の寿命は尽きかけていた。居住可能な新たな惑星を探すという人類の限界を超えたミッションに選ばれたのは、まだ幼い子供を持つ元エンジニアの男。彼を待っていたのは、未だかつて誰も見たことがない、衝撃の宇宙。はたして彼は人類の存続をかけたミッションを成し遂げることが出来るのか?

引用元:Amazon.co.jp: インターステラー | Prime Video

インターステラー – Wikipedia
言うまでもないことだが、以下はネタバレなのでご注意を。

ネタバレ注意

▼近未来。巨大砂嵐が日常的に発生する異常気象により地球規模で植物・農作物の大量枯死が発生し、人類は滅亡の危機に晒されていた。元宇宙飛行士クーパーは、義父と15歳の息子トム、10歳の娘マーフィー(マーフ)とともにトウモロコシ農場を営んでいる。マーフは自分の部屋の本棚から本が勝手に落ちる現象を幽霊のせいだと信じていたが、ある日クーパーはそれが何者かによる重力波を使った二進数のメッセージではないかと気が付く。クーパーとマーフはメッセージを解読し、それが指し示している秘密施設にたどり着くが、最高機密に触れたとして身柄を拘束される。

序盤のこの時点ですでにストーリーについて行けなくて脱落する人が出てくるのではないかと思うくらいにやや説明が足りなかったり、疑問が湧いてきたりする。
そもそもそんなに簡単に最高機密であるNASAに入れるわけなかろう、と思う。

とはいえ、本作はかなりのゴリゴリのハードSFであり、
かなり科学的な部分での考証を行っているということだ。
メイキングはこちら。

まだ序盤なのでここはぐっとこらえて先に進もう。

 

壮大な最新科学と神話とのクロスステッチ

▼そこでクーパーはかつての仕事仲間のブランド教授と再会し、大昔に無くなったはずのNASAが秘密裏に復活し活動を続けていることを知らされる。NASAは土星近傍のワームホールを通り抜けて、別の銀河に人類の新天地を求めるプロジェクト――ラザロ計画を遂行していたのだった。

ここらで急激に科学用語が頻出する。
ワームホール・・・時空のトンネルのようなもので、我々の住む宇宙とは別の宇宙へとつながっている、と考えられている。
そこを通って人類が居住可能な星を見つけて移住する、というのがおおまかな計画のようだ。
ラザロ計画にはプランAとプランBがある。
プランAは今地球に残っている人類を新天地へ送り込む計画。そのためには巨大な宇宙ステーションを建設してそれをそのまま打ち上げる必要がある。重力をコントロールできればそれが可能だが、その方程式は未完成。
プランBは重力の方程式が解けなかったときのためのバックアッププラン。人間の冷凍受精卵を運び、新惑星で人口を増やしていく計画。種の保存のためのプランだ。
この場合、地球に残る多くの人類は見捨てることになる。

プランAの肝となる重力の方程式だが、ブラックホール(映画ではガルガンチュアと呼ばれている。ものすごい重力を持っている)の内側(特異点と言われている)を観測したデータが必要らしい。しかしブラックホールの外側(事象の地平線というらしい)からは絶対に観測できないものだという。
なので、ブラックホールの中に入って観測して、観測したデータを地球へ送る必要があるが、ブラックホールの内側に一度入ったらもう元には戻れない・・・・。

そもそも「ラザロ」とは何か?
ラザロとは、キリストの友人であり、一度病気で死んだが、キリストによりよみがえった、とされているユダヤ人。聖書では「ラザロの蘇生」という。
蘇生という言葉からすると、プランAではなくプランBが本命かよ・・・と思ってしまうが、後に判明するがブランド教授は重力の方程式が解けないことを分かっていて、プランBを推し進めようとしていたのだった。
ラザロ計画を聞かされたあとのクーパーの台詞「不吉な名前だ」というのは当たっていたのね・・・。

 

時空と親子の愛のねじれ

▼48年前に”彼ら”と呼ばれる存在によって創造されたと考えられているワームホールを通過することで、人類の移住可能性が見込める12の惑星に1名ずつ探索者が送り込まれており、すでに3名の先駆者達が、入植が期待できる惑星から信号を送り返している。教授は、第二の地球となり得る惑星を探すミッションにパイロットとして参加するようクーパーを説得する。帰還できたとしてもそれがいつなのか不明なミッションに、マーフは激しく反対する。クーパーはマーフとの和解の機会を得られないまま、出発の日を迎えてしまう。クーパーはマーフに「必ず戻ってくる」とだけ言い残し、ブランド教授の娘のアメリア、リー、ドイルの3名の博士と共に、人工知能ロボットTARSを乗せた最後の探査船レインジャーに搭乗し地球を後にする。

ワームホール(時空のトンネル)は”彼ら”が作った。
・・・・え? ”彼ら”ってだれ?
と誰もが思ったであろう。
”彼ら”とは、「超次元の未来の人類」であることが示唆されています。
”彼ら”ははるか未来にいて、三次元ではなくもっと高次元の空間に生きていると考えられています。
この”彼ら”はのちほど重要な役割で登場します。

「第二の地球」を求めて12人の探索者が送り込まれ、と聞くと何でもないような印象ですが、宇宙へ飛び立つということは地球の重力からは解放されることになります。
つまり地球とは時間の流れ方が変わる、ということを意味します。
もっと簡単に言うと、宇宙と地球とでは時差があり、場合によっては宇宙で過ごす1時間が地球では何年も、何十年も経過している、ということが起こります。
しかも、人類が生存可能な星を探すわけですから、とんでもなく遠い宇宙へ向かうということになります。
つまり、「第二の地球」を目指して旅立つということは、もう地球へは帰って来ることはできない、命を賭けた旅立ちということなのです。

12人の探索者、おそらく聖書の「12人の使徒」をモチーフにしているのでしょう。
主人公クーパーの名前は「ジョセフ・クーパー」。
ジョセフ = ヨゼフ = 新約聖書ではイエスキリストの父ですからね。

ん? まてよ。
ということは、マーフはキリストのメタファーなのか・・・?

映画冒頭の仲のよい親子から、ここらあたりで娘のマーフとの断絶など、親子の関係も物語の横糸として絡み合います。
幼いマーフにとって母親はすでに亡くなっているので、父親にまでいなくなられてはたまったものではないでしょう。
それでも父クーパーは旅立ちます。
「必ず戻ってくる」と言い残して。
このときからクーパーは一貫して「生きて娘の元に戻る」ことに執着します。
生きて帰ることは、父親としての「愛」でしょう。わかります。わかりすぎる。
ただ、このときのマーフにはまだ受け止めきれないのでした。

 

孤独と秘密と

▼レインジャーは宇宙船エンデュランスとドッキングし、待機していたTARSの兄弟機CASEと合流する。ブランド教授は土星までの航行を2年と告げ、イギリスの詩人ディラン・トマスの Do Not Go Gentle Into That Good Night(穏やかな夜に身を任せるな)を今後も度々引用する。

この詩に関してはこちらが詳しく、非常に感慨深いものがあります。
『インターステラー』に出てくる詩の紹介と解説〜イギリスの詩人ディラン・トマスの 『Do Not Go Gentle Into That Good Night(あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない)』〜-Cinema A La Carte

「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」のあとには、
「老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ」
と続きます。

物語後半で、ブランド教授は重大な告白をします。
それはこの詩にも仄めかされています。
「賢人は死に臨んで 闇こそ正当であると知りながら
彼らの言葉が稲妻を 二分することはなかったから 
彼らは あの快い夜のなかへおとなしく流されていきはしない」

▼地球出発時点のクーパーと同い年に成長したマーフは、ブランド教授とともに重力の研究を行っていた。重力の方程式に解を見つけられれば、巨大なスペースコロニーを宇宙に打ち上げ、地球に残された人間を宇宙に脱出させられると期待されている。しかしブランド教授は老齢で死の間際にマーフに自身の罪を告白する。実はブランド教授は何十年も前に重力方程式を解いており、重力制御は事実上不可能だとの結論を導いていたが、長年にわたって事実を隠蔽し続けてきたのだった。

重力の方程式が解けないと知りつつ計画を進めてしまい、いよいよ死の淵に立たされた時、この詩を思い出して告白するのです。

人は秘密を持ったまま亡くなることができる人間と、それができない人間とに分かれるのかもしれない。
ただ、「孤独」を覚悟できていない時には、やはり秘密を持ったままにはできないだろう。
例え嘘つき呼ばわりされたとしても、だれかにこの苦しみを分かって欲しい、という欲望が生まれてしまうということか。

この作品では「孤独」も大きなテーマの1つとなっています。
人間が普遍的に抱えている課題でもありますが、登場人物の多くがこの孤独との戦いに苦しんでいます。
クーパーは妻に先立たれた孤独を、トムとマーフは父クーパーがいない孤独を。
ブランド教授はプランAが不可能であることを共有できる存在がいない孤独を。

 

愛は時空を越える

▼燃料が少なくなっているエンデュランスでは、乗組員が残る二つの候補惑星のどちらを探査するかの選択を迫られていた。クーパーとロミリーは生存信号を発信し続けているラザロ計画の先駆者マン博士の惑星を推したが、アメリアは既に信号が途絶えているもう一方のエドマンズ飛行士の惑星がより良い条件であるとして強く推した。クーパーはアメリアとエドマンズが恋人関係であることを見抜き、彼女こそ決断に私情を挟んでいると批判する。結果、エンデュランスはマン博士の待つ、氷の惑星へ針路を取る事になる。

アメリアはエドマンズ飛行士を愛していた。
だが、人類の存亡を賭けた旅というこの極限の状態で個人的私情で行動を決定してよいのか、という点で意見が分かれるのかも知れない。
しかし、ここにこの映画の主題が込められているのではないでしょうか。
クーパーはアメリアが私情をはさんでいると指摘します。
アメリアはその指摘を認めた上でこう言います。

ええ…。正直な気持ちに従いたいの。私たちは理論に縛られすぎていた。聞いて。だって愛は人間が発明したものじゃない。愛は観察可能な力よ。何か意味がある。(中略)愛には特別な意味がある。私たちはまだ理解していないだけ。これは手がかりなのかも。(中略)10年も会ってない人に銀河を超え引き寄せられている。おそらくもう死んでいる人に。愛は私たちにも感知できる。時間も空間も超えるの。愛が未知の力でも信じていいと思う

愛は時空を越える。
男女の愛、親子の愛、さまざまな「相手を思いやる気持ち」は時間も空間も重力も越えていくのだと。

 

人間、それは意味を求める存在

▼マン博士はクーパーを惑星表面探査に連れ出し、地球に帰還することを諦めていないクーパーを不意討ちし、彼の宇宙服のバイザーを破壊する。マン博士は氷の惑星に着陸してすぐ、この惑星では人類は生存できないことを悟っていた。彼は孤独に死にゆく運命だったが、それを受け入れることが出来ず、氷の惑星が人類の新天地であるかのような捏造データを地球に発信していたのだ。

ここで重要人物の「マン博士」が登場します。
マン = Mann = 人間・男性を想起させる名前です。
この名前に込められた意味は?
メッセージがあるとしたら、それは彼こそが人間、作中もっとも人間らしい、という意味が込められているのではないでしょうか。

新天地を求めて命を賭けて旅立ったにも関わらず、到着した星が生存不可能だと分かると、ウソの情報を地球に送りだれかが助けに来てくれることを望んだ。
理性と倫理と孤独と恐怖とが入り交じった結果、とんでもない行動をとってしまう。
これこそが「人間」なのだ、というメッセージに見えます。

この映画の重要なテーマは「孤独」である、と考察するブログ『インターステラー考察|移動・コミュニケーション・孤独|『TENET』公開記念|映画解説レビュー | フラスコ飯店』では、

偉大な科学者と称され、マン MANN =人間 MAN という名前を冠した人物が、まったく孤独を覚悟できていなかったのです。ここにはノーランの「人間は真に孤独を覚悟することはできない」というメッセージを感じます。

と論じています。

12人の「使徒」と呼ばれながら、実は孤独を甘受できない「人間」だった。
『エヴァンゲリオン』でも繰り返されてきた普遍的テーマですね。
「人間は欠落した存在である」キリスト教でいう「原罪」という考え方に通じるものがあるのでしょうか。

「人間、それは意味を求める存在」と言ったのは、
1987年公開の映画『ロボコップ』の原作小説版の作者エド・ナーハ。
彼は小説冒頭の扉にこう書き記した。
なるほど、ロボットという人間以外の存在から見ると、なぜ人間はこうも「意味」を求めたがるのか、ということでしょう。

 

愛は時間と空間を一瞬で飛び越える双方向コミュニケーション

▼甚大な損傷を蒙ったエンデュランスは燃料と酸素のほとんどを失っている。地球への帰還、マーフとの再会は叶わなくなった。クーパーとアメリアはエンデュランスをガルガンチュアに接近させ、ペンローズ過程を応用してエドマンズの惑星に向かう運動量を獲得しようと目論む。エドマンズの惑星でプランBを遂行し、人類の絶滅を阻止するのだ。今度は五十年後の未来に飛ぶことになるが、もはやそれを気にするものは誰もいない。

クーパーは、エンデュランスをガルガンチュアに接近させ、アメリア一人をエンデュランスに残したまま、TARSを乗せたランダー、自分を乗せたレインジャーIIを切り離し、彼女一人にミッションの全てを託す。死重量を捨てて身軽になったエンデュランスはガルガンチュアを脱出する軌道に乗るが、クーパーとTARSはガルガンチュアへ落下していく。クーパーはTARSにブラックホール内部のデータを取り続けるように命じる。

クーパーは娘マーフとの再会をあれほど望んでいたにもかかわらず、それが無理だと悟ると、ガルガンチュア(ブラックホール)のデータをとって地球に送るという行動をとる。
いや、この時点でもまだクーパーは諦めていなかったのかもしれない。
ブラックホールの謎をマーフが解明すれば、時空を越えてまた会いに行けると、理屈ではなく理解していたのかもしれない。

▼その後、クーパーとTARSは”彼ら”が創造した無数の立方体が幾重にも折り重なった 4次元超立方体テサラクトの空間に辿り着く。クーパーはそこが、マーフの部屋を通じて地球の過去、現在、未来全ての時間と連結している空間であると気付く。クーパーは重量波を操作して本棚から本を落とす等して過去のマーフと交信を試みるが、それでも娘を置いてミッションに出発する自分の過去を変えることはできない。焦る中TARSが放った一言により彼は自身が過去を変えるためではなく、未来を変えるためにこの空間に送られたことに気づく。

四次元を映像で表現するとこうなるのか、という驚きと共に、やはりクーパーの愛(親の愛情)というのはどこまでも尽きることはないことを思い知ります。
そして、マーフもそれに気づくことで未来が開ける、という重要なシーン。
そう、親の愛に気づいたときに、それまでの価値観がぐるっと変わる、ということを皆、親になってから経験する。
そこから新たな未来が始まる、ということも。

 

コミュニケーションメディアとしての「本」

クーパーがマーフにコンタクトをとる際に、直接働きかけることができないため、本棚の本を落として気づかせる、というシーンがある。
ここで、未来の話なのに本ってアナログすぎじゃね? と思った方も多いかもしれない。
ただここにも監督クリストファー・ノーランの強いこだわりが感じられる。

▼さらにクーパーがマーフに本を使ってメッセージを送るのには、おそらく本は任意の時間に読者が立てる時間移動が可能なメディアだから、ということもあるだろうと思う。本は最初のページから最後のページまでひとつの世界を形成していると言われているが、読者は途中で前に戻ったり、途中をすっ飛ばして先のほうを読んだりすることが可能であって、時間の流れにとらわれている人間は本の中であればその縛りから解放されうる。クーパーがマーフと本棚を通して交流するというのは本の時間移動的メディアとしての特性がほのめかされているのではないかと思う。
by 時を超える愛のためのメディアとしての「本」について〜『インターステラー』(ネタバレあり) – Commentarius Saevus

まさにここにズバリ書かれてありますが、本(書物)は汎用性の高く、時間を越えることのできる伝達メディアであり、ひとつの世界でもある、と。
たしかに物理的に燃えない限りはかなり長期間にわたって保存可能ですし、且つコストが低く抑えられるメディアです。
本で学び、その学びを次代に伝えるのもまた本なのです。

 

「応答すること responsibility」はすなわち「責任 responsibility」

▼クーパーはTARSに収集させた特異点のデータを、現在のマーフのアナログ時計の秒針を使ったモールス信号で表現する。彼女にそのデータの真意が理解できるのか?とTARSは疑うが、クーパーは「あいつはただの女の子じゃない。俺の娘だ」とだけ答えデータを送り続ける。旧家に戻ったマーフは、幼い頃に部屋で起こった重力現象が父親からのメッセージだったことに気付く。秒針の動きからそれをモールス信号だと紐解き、その特異点のデータを使い、マーフはブランド教授が成し得なかった重力問題に解を見つける。その瞬間、テサラクトが閉鎖し始めクーパーは土星に着いたときに入ったワームホールの中に吸い込まれる。

かつてクーパーはトムとマーフを地球に置いて、ひとり宇宙へ旅立つ。
地球時間と宇宙での時間の流れが違うため、クーパーにとっての数時間がマーフたちにとっての数年になり、次第に子どもたちは父親の年齢を超えてゆく。
その間、子どもたちは何度もビデオレターを送り続けるが、クーパーからは返信ができない。
何度メッセージを送っても応答がない、それが数十年と続くと、父はもう死んでいるのではないかという諦めと、でもまだ生きているかもしれないという希望とがせめぎ合う。
途方もない時間の中で、父は自分たちを置いていった無責任な存在、と考えても無理はないでしょう。
まさに応答することは責任を果たすということ。
英語ではどちらも「responsibility」という。

 

愛は地球を救う

▼クーパーは土星の軌道上に建造された巨大スペースコロニー内部の病室で目覚める。そのコロニーの名前はクーパー・ステーション。彼は宇宙に放り出され漂流中にたまたま探索中だった宇宙船に発見され、酸素の切れる直前にTARS共々救助されていた。マーフの功績でスペースコロニーの建造と打ち上げが成功し地球の人類が救済されたのだ。コロニーにはマーフの功績を称え、彼女がかつて地球に住んでいた頃の家が再現されていた。クーパーはコロニーの病室で年老いたマーフと彼女の大勢の子や孫たちとともに再会を果たす。マーフは約束を果たしたクーパーを、エドマンズの惑星へ一人で向かったアメリアを捜索しに行くよう、優しく諭す。クーパーは修理したTARSとともに小型宇宙船に乗ってコロニーを後にする。

本作のテーマはやはり「愛は時空を越える」ということに尽きるのではないかと思います。
クーパーが父親として娘マーフを信じて重力データを伝える、マーフは娘として父親のしたことを信じて重力問題を解き明かす。
アメリアは恋人エドマンズを信じて、彼が見つけた星へ向かう。
クーパーはアメリアを信じて迎えに行く。

結局のところ、信じた先には何があるのか。
それは、クーパーと父の年齢を追い越し死の床にあるマーフのお互いの笑顔と涙が示しています。

「あれは、俺だった。幽霊は俺だったんだ。」
「知ってたわ。誰も信じてくれなかった、全部私の手柄だと思われて・・でも・・・・私には分かってた。」

クーパーはマーフに必ず戻ってくる、と言い旅立ち、最終的に再会を果たします。
マーフは「だってパパは必ず帰ると言った」とずっとずっと信じ続けて地球を救う大偉業を成し遂げたのです。

「愛は地球を救う」はウソではない。
そう、愛は時空をも越えるのだから。

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