【MOVIE】『インターステラー』-愛は時空を越える
これほどまでの超大作でシンプルに感動した映画は初めてではないだろうか。
2014年公開の映画ながら最近AmazonPRIMEに追加されたので観てみた。
観たのは昨年末でちょっと時間が経っていますが、
さまざまな考察ブログ等に感化されながら、
感想文を書いてみたいと思う。
映画『インターステラー』予告編
●あらすじ
インターステラー – Wikipedia
言うまでもないことだが、以下はネタバレなのでご注意を。
序盤のこの時点ですでにストーリーについて行けなくて脱落する人が出てくるのではないかと思うくらいにやや説明が足りなかったり、疑問が湧いてきたりする。
そもそもそんなに簡単に最高機密であるNASAに入れるわけなかろう、と思う。
とはいえ、本作はかなりのゴリゴリのハードSFであり、
かなり科学的な部分での考証を行っているということだ。
メイキングはこちら。
まだ序盤なのでここはぐっとこらえて先に進もう。
壮大な最新科学と神話とのクロスステッチ
ここらで急激に科学用語が頻出する。
ワームホール・・・時空のトンネルのようなもので、我々の住む宇宙とは別の宇宙へとつながっている、と考えられている。
そこを通って人類が居住可能な星を見つけて移住する、というのがおおまかな計画のようだ。
ラザロ計画にはプランAとプランBがある。
プランAは今地球に残っている人類を新天地へ送り込む計画。そのためには巨大な宇宙ステーションを建設してそれをそのまま打ち上げる必要がある。重力をコントロールできればそれが可能だが、その方程式は未完成。
プランBは重力の方程式が解けなかったときのためのバックアッププラン。人間の冷凍受精卵を運び、新惑星で人口を増やしていく計画。種の保存のためのプランだ。
この場合、地球に残る多くの人類は見捨てることになる。
プランAの肝となる重力の方程式だが、ブラックホール(映画ではガルガンチュアと呼ばれている。ものすごい重力を持っている)の内側(特異点と言われている)を観測したデータが必要らしい。しかしブラックホールの外側(事象の地平線というらしい)からは絶対に観測できないものだという。
なので、ブラックホールの中に入って観測して、観測したデータを地球へ送る必要があるが、ブラックホールの内側に一度入ったらもう元には戻れない・・・・。
そもそも「ラザロ」とは何か?
ラザロとは、キリストの友人であり、一度病気で死んだが、キリストによりよみがえった、とされているユダヤ人。聖書では「ラザロの蘇生」という。
蘇生という言葉からすると、プランAではなくプランBが本命かよ・・・と思ってしまうが、後に判明するがブランド教授は重力の方程式が解けないことを分かっていて、プランBを推し進めようとしていたのだった。
ラザロ計画を聞かされたあとのクーパーの台詞「不吉な名前だ」というのは当たっていたのね・・・。
時空と親子の愛のねじれ
ワームホール(時空のトンネル)は”彼ら”が作った。
・・・・え? ”彼ら”ってだれ?
と誰もが思ったであろう。
”彼ら”とは、「超次元の未来の人類」であることが示唆されています。
”彼ら”ははるか未来にいて、三次元ではなくもっと高次元の空間に生きていると考えられています。
この”彼ら”はのちほど重要な役割で登場します。
「第二の地球」を求めて12人の探索者が送り込まれ、と聞くと何でもないような印象ですが、宇宙へ飛び立つということは地球の重力からは解放されることになります。
つまり地球とは時間の流れ方が変わる、ということを意味します。
もっと簡単に言うと、宇宙と地球とでは時差があり、場合によっては宇宙で過ごす1時間が地球では何年も、何十年も経過している、ということが起こります。
しかも、人類が生存可能な星を探すわけですから、とんでもなく遠い宇宙へ向かうということになります。
つまり、「第二の地球」を目指して旅立つということは、もう地球へは帰って来ることはできない、命を賭けた旅立ちということなのです。
12人の探索者、おそらく聖書の「12人の使徒」をモチーフにしているのでしょう。
主人公クーパーの名前は「ジョセフ・クーパー」。
ジョセフ = ヨゼフ = 新約聖書ではイエスキリストの父ですからね。
ん? まてよ。
ということは、マーフはキリストのメタファーなのか・・・?
映画冒頭の仲のよい親子から、ここらあたりで娘のマーフとの断絶など、親子の関係も物語の横糸として絡み合います。
幼いマーフにとって母親はすでに亡くなっているので、父親にまでいなくなられてはたまったものではないでしょう。
それでも父クーパーは旅立ちます。
「必ず戻ってくる」と言い残して。
このときからクーパーは一貫して「生きて娘の元に戻る」ことに執着します。
生きて帰ることは、父親としての「愛」でしょう。わかります。わかりすぎる。
ただ、このときのマーフにはまだ受け止めきれないのでした。
孤独と秘密と
この詩に関してはこちらが詳しく、非常に感慨深いものがあります。
『インターステラー』に出てくる詩の紹介と解説〜イギリスの詩人ディラン・トマスの 『Do Not Go Gentle Into That Good Night(あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない)』〜-Cinema A La Carte
「あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない」のあとには、
「老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ
死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ」
と続きます。
物語後半で、ブランド教授は重大な告白をします。
それはこの詩にも仄めかされています。
「賢人は死に臨んで 闇こそ正当であると知りながら
彼らの言葉が稲妻を 二分することはなかったから
彼らは あの快い夜のなかへおとなしく流されていきはしない」
重力の方程式が解けないと知りつつ計画を進めてしまい、いよいよ死の淵に立たされた時、この詩を思い出して告白するのです。
人は秘密を持ったまま亡くなることができる人間と、それができない人間とに分かれるのかもしれない。
ただ、「孤独」を覚悟できていない時には、やはり秘密を持ったままにはできないだろう。
例え嘘つき呼ばわりされたとしても、だれかにこの苦しみを分かって欲しい、という欲望が生まれてしまうということか。
この作品では「孤独」も大きなテーマの1つとなっています。
人間が普遍的に抱えている課題でもありますが、登場人物の多くがこの孤独との戦いに苦しんでいます。
クーパーは妻に先立たれた孤独を、トムとマーフは父クーパーがいない孤独を。
ブランド教授はプランAが不可能であることを共有できる存在がいない孤独を。
愛は時空を越える
アメリアはエドマンズ飛行士を愛していた。
だが、人類の存亡を賭けた旅というこの極限の状態で個人的私情で行動を決定してよいのか、という点で意見が分かれるのかも知れない。
しかし、ここにこの映画の主題が込められているのではないでしょうか。
クーパーはアメリアが私情をはさんでいると指摘します。
アメリアはその指摘を認めた上でこう言います。
愛は時空を越える。
男女の愛、親子の愛、さまざまな「相手を思いやる気持ち」は時間も空間も重力も越えていくのだと。
人間、それは意味を求める存在
ここで重要人物の「マン博士」が登場します。
マン = Mann = 人間・男性を想起させる名前です。
この名前に込められた意味は?
メッセージがあるとしたら、それは彼こそが人間、作中もっとも人間らしい、という意味が込められているのではないでしょうか。
新天地を求めて命を賭けて旅立ったにも関わらず、到着した星が生存不可能だと分かると、ウソの情報を地球に送りだれかが助けに来てくれることを望んだ。
理性と倫理と孤独と恐怖とが入り交じった結果、とんでもない行動をとってしまう。
これこそが「人間」なのだ、というメッセージに見えます。
この映画の重要なテーマは「孤独」である、と考察するブログ『インターステラー考察|移動・コミュニケーション・孤独|『TENET』公開記念|映画解説レビュー | フラスコ飯店』では、
と論じています。
12人の「使徒」と呼ばれながら、実は孤独を甘受できない「人間」だった。
『エヴァンゲリオン』でも繰り返されてきた普遍的テーマですね。
「人間は欠落した存在である」キリスト教でいう「原罪」という考え方に通じるものがあるのでしょうか。
「人間、それは意味を求める存在」と言ったのは、
1987年公開の映画『ロボコップ』の原作小説版の作者エド・ナーハ。
彼は小説冒頭の扉にこう書き記した。
なるほど、ロボットという人間以外の存在から見ると、なぜ人間はこうも「意味」を求めたがるのか、ということでしょう。
愛は時間と空間を一瞬で飛び越える双方向コミュニケーション
クーパーは娘マーフとの再会をあれほど望んでいたにもかかわらず、それが無理だと悟ると、ガルガンチュア(ブラックホール)のデータをとって地球に送るという行動をとる。
いや、この時点でもまだクーパーは諦めていなかったのかもしれない。
ブラックホールの謎をマーフが解明すれば、時空を越えてまた会いに行けると、理屈ではなく理解していたのかもしれない。
四次元を映像で表現するとこうなるのか、という驚きと共に、やはりクーパーの愛(親の愛情)というのはどこまでも尽きることはないことを思い知ります。
そして、マーフもそれに気づくことで未来が開ける、という重要なシーン。
そう、親の愛に気づいたときに、それまでの価値観がぐるっと変わる、ということを皆、親になってから経験する。
そこから新たな未来が始まる、ということも。
コミュニケーションメディアとしての「本」
クーパーがマーフにコンタクトをとる際に、直接働きかけることができないため、本棚の本を落として気づかせる、というシーンがある。
ここで、未来の話なのに本ってアナログすぎじゃね? と思った方も多いかもしれない。
ただここにも監督クリストファー・ノーランの強いこだわりが感じられる。
まさにここにズバリ書かれてありますが、本(書物)は汎用性の高く、時間を越えることのできる伝達メディアであり、ひとつの世界でもある、と。
たしかに物理的に燃えない限りはかなり長期間にわたって保存可能ですし、且つコストが低く抑えられるメディアです。
本で学び、その学びを次代に伝えるのもまた本なのです。
「応答すること responsibility」はすなわち「責任 responsibility」
かつてクーパーはトムとマーフを地球に置いて、ひとり宇宙へ旅立つ。
地球時間と宇宙での時間の流れが違うため、クーパーにとっての数時間がマーフたちにとっての数年になり、次第に子どもたちは父親の年齢を超えてゆく。
その間、子どもたちは何度もビデオレターを送り続けるが、クーパーからは返信ができない。
何度メッセージを送っても応答がない、それが数十年と続くと、父はもう死んでいるのではないかという諦めと、でもまだ生きているかもしれないという希望とがせめぎ合う。
途方もない時間の中で、父は自分たちを置いていった無責任な存在、と考えても無理はないでしょう。
まさに応答することは責任を果たすということ。
英語ではどちらも「responsibility」という。
愛は地球を救う
本作のテーマはやはり「愛は時空を越える」ということに尽きるのではないかと思います。
クーパーが父親として娘マーフを信じて重力データを伝える、マーフは娘として父親のしたことを信じて重力問題を解き明かす。
アメリアは恋人エドマンズを信じて、彼が見つけた星へ向かう。
クーパーはアメリアを信じて迎えに行く。
結局のところ、信じた先には何があるのか。
それは、クーパーと父の年齢を追い越し死の床にあるマーフのお互いの笑顔と涙が示しています。
クーパーはマーフに必ず戻ってくる、と言い旅立ち、最終的に再会を果たします。
マーフは「だってパパは必ず帰ると言った」とずっとずっと信じ続けて地球を救う大偉業を成し遂げたのです。
「愛は地球を救う」はウソではない。
そう、愛は時空をも越えるのだから。
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