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海のはじまり 第二話

冒頭、水季と海のシーン。
海がランドセルを開けたり閉めたり。
パパがいない子はいない、パパがいないとママもママになれないと言う。
水季は海に夏君に会いたい? と聞くと、「ママの好きでいいよ」と答える海。
海の相手に寄り添う性格は遺伝だろう。
それは間違いなく月岡夏の遺伝子。
ちょっとした仕草や嗜好が、否が応でも「親子」を感じさせてしまう。

水季の好みも海に遺伝している。
「鳩サブレ」が好きな水季。
多くの人がお土産として買う鳩サブレを自ら買うあたりも独特な感性を感じさせる。
大学の授業中でも隠れてこっそり食べるほど。
そしてここでも「選択肢」が出てくる。
同じ鳩サブレを何枚も差し出し、どれを選んでも「当たり」と言う。

夏くんのパパ、いつから始まるの? と海が聞く。
子どもの真っ直ぐな純粋さが眩しい。
「わかんない。まだ、わかんない」と答える夏の正直さは、なぜか胸が苦しくなる。

図書館のシーンで『くまとやまねこ』の絵本が登場する。
海の名前が裏表紙にあるということは、私物が紛れ込んでいたのか。
この絵本は意図的に登場させていることは間違い無いだろう。
内容は次のようなストーリーである。

大切なともだちの小鳥を亡くしたくまくんが、悲しみを乗り越え、やがてやまねこと出会うことで生きる希望を見つける再生の物語。
やまねこ以外の森の動物たちは、小鳥はもういないのだから、忘れなくちゃと励ます。
でも、くまくんの心の傷は癒えない。
やまねこはアドバイスなどすることなく、ただ静かに寄り添う。
大切なものを失ったことを、時間をかけて受け入れることが、どれほど大変か。
だが、そのイニシエーションを経なければ、前へ進むことは難しい。
本作の大枠の構造を暗示しているかのようだ。

夏は海が自分の子だと、弥生に打ち明ける。
妊娠したことを知らなかった、と解釈した弥生は「それは仕方がないよ」と夏に理解を示す。
だが、夏は妊娠は知っていたし、中絶に同意した。
それを「自分がその子を殺した」と自責の念に駆られていた。
8年間ずっと。

一方で、弥生も堕した過去があったことが描かれる。
おそらくそれは夏も知らないのだろう。
夏の自責の念は、同時に弥生の過去をも責める言葉となって弥生に突き刺さってしまう。
トイレでひとり静かに、上を向いて涙を流す弥生の、切なさが胸に迫る。
きっと、世の多くの男性が知らないだけで、多くの女性たちが、同じような涙を流したであろうことは、想像に難くない。

ひとりで、供養まで済ませた過去、墓参りしている様子も描かれた。
弥生は、夏が父親として認知するなら、自分が母親になろうと決意したのだろう。
それまでの葛藤を、あえて抑えて、詳しくは描かないことで視聴者の想像を掻き立てる。

ラスト近く、水季の遺言を水季の母・朱音が夏に告げる。
「これだけは絶対って言われたことがあって」
「海に選ばせてあげて。正解を教えるより、自分の意思で選ぶことを大事にさせてあげてって」
「手 引っ張ったり、横に張り付いたりしないで、後ろから見守ってあげて欲しいって」
朱音の立場では、そうしたい、そうさせてあげたいと思いながら、8年間何も知らなかった夏が、易々と父親の地位を得ることへの抵抗感もあっただろう。
海が帰ってきて、夏の胸へ飛び込んでいく。
その時の朱音の表情は、何種類もの複雑な思いが混ざり合った、なんとも表現し難い表情があった。
やはり父親には敵わない、なんで面倒を見ている祖母である私を差し置いて、手洗いうがいもせずに、その他諸々。
それでも、孫の気持ちを最優先にしてしまうのもまた、親の親である自分の役割なのだと。

海は夏に飛びつき、まるで水季のような、大人びた話し方をする。
子供に慣れていない夏は、オロオロするばかり。
不意に海が「手洗いうがいしてくる」と言って走り去り、すぐに戻ってきて夏に言う。
「いてね。そこにいてね」
第一話冒頭で、海が水季に言われたセリフに呼応する。
「いるよ。いるから大丈夫。行きたいほう行きな」
海の(夏との生活の)はじまりでもあり、夏の(海との生活の)はじまりでもあるのだろう。


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