【BOOK】『宝島 HERO’s ISLAND』真藤順丈:著 宝は英雄が見た碧い夢
本作品は、1952年発効のサンフランシスコ講和条約から、1972年の本土復帰までの20年に渡る沖縄の史実をベースにしている。米軍基地から物資を盗み出す『戦果アギヤー』の若者たちの青春と葛藤を交えながら、沖縄が歩んできた苦悩を描いた第160回直木賞作品だ。
2022年は沖縄が本土復帰を果たした1972年からちょうど50年の節目の年に当たる。
1972年生まれのいわゆる「復帰っ子」と同い年の私には、いま、この作品を読むことに、ある種の義務感と偶然性と必然性を感じ、神様のいたずらにあえて弄ばれてみようかと思い本書を手に取った。
だが、沖縄の歴史については、これまでほとんど触れたことがなく、学校の勉強でもほぼ飛ばされてきた時代だった。沖縄に限らず、明治時代以降の近代はほとんど授業でも扱われていなかったと思う。あったとしても、本当にさらっと舐める程度で、なぜ日本が戦争をしなければならなかったのか、なんとなく分からないままこれまで生きてきた。
広島生まれの私にとっては、第二次世界大戦が終結する直前の広島への原爆投下、それ以降については自然に知識が身についている。それは広島に生まれ育った者であれば、「平和学習」の賜物と言えば、たいていが理解してもらえることだろう。ただ、それ以前の明治初期あたりからの歴史については、すっぽりと知らないままだった。沖縄以外の生まれだと、多くの人が同じように知らないことが多いと思う。THE BOOMの宮沢和史氏も「島唄」を作る以前はなんとなくしか知らず、ひめゆり平和祈念資料館で、学徒だった語り部の話を聞いて知ったそうだ。
<ウージの下で さよなら>琉球音階では歌えぬ 沖縄の無念に寄り添ったヤマトンチュの「島唄」:東京新聞 TOKYO Web
朝ドラでは「ちむどんどん」が沖縄本土復帰直前から復帰以後を描くドラマとして放映されている。他にもさまざまなメディアで本土復帰50年というタイミングで番組が組まれている。
しかし、それらメディアの報じる番組を見ていて感じるのは、そのほとんどが「日本(本土)から見た沖縄」を語っており、沖縄の、沖縄で暮らす人々の思いや声が反映された筋書きのものではないような気がしていた。
もっと沖縄の、沖縄で生きてきた人の生々しいほどのリアルな、痛みや辛さや、嬉しさや憎しみが知りたかった。
日本の歴史上、唯一の地上戦が行われた沖縄戦。「鉄の嵐」と呼ばれた砲弾の雨、それから逃れるために隠れて息を潜めたガマでの暮らし、島民の不満が爆発した「コザ暴動」、そして本土復帰から今に至るまでずっと続いてきた米軍基地との共生など。
本作品は、沖縄の息遣いまでが聞こえてきそうな、そんな内容を凝縮したかような物語が綴られている。
『戦果アギヤー』とは、どういった存在なのか。
「戦果アギヤー」とは「戦果を上げる者」という意味で、米軍統治下の沖縄各地にいて、米軍基地から生活に必要な物資を盗み出し、地域の貧しい者たちに配る、いわば「義賊」的な存在として、実際に存在していたらしい。
物語の主人公たち、オンちゃん、グスク、レイ、ヤマコは幼い頃から「戦果アギヤー」としての毎日を送っていた。
幼かった彼らにとっては、信じられる仲間との日々がかけがえのない幸せな時間として存在していた。
だが、コザの英雄と呼ばれていたオンちゃんがある事件から消息不明となってしまう。
やがて年齢を重ねる内に残された3人の運命が大きくうねりを伴って交錯していく。
「戦果」とは、直接的には食糧をはじめとした生活物資全般を指すが、いくつかの意味合いを持っていると思われる。
ひとつは、「沖縄の尊厳」とでも言うべきか。沖縄戦で踏み込まれ、結果的に米軍統治下に置かれてしまった沖縄にとって、支配する米軍から物資をかすめ取ってやったぜ、というカタルシスを伴っていたことは想像できる。
また、もう一段上からの、というとなんだか偉そうだが、俯瞰した見方をすれば、「戦果」とはすなわち「宝」であり、その宝は他でもない、沖縄で暮らす人々、そのものではないだろうか。
古くは琉球王朝の時代から、唄と踊りを愛し、隣人を、仲間を愛する平和な民族が、アメリカや日本から虐げられてきた歴史がある。それでも目の前の、毎日の暮らしを大切にしてきた民族の、「なんくるないさ」と前を向く民族の、平和な営み、そのものが宝なのだ。「戦果」として持って帰ってこなくても、いつもそこにあったのに、奪い返さなければならなかったのだ。
だから彼ら「戦果アギヤー」は「英雄」なのだ。
刑務所の中で、グスクとレイはそれぞれに英雄をこう定義した。
まだ若かったグスクとレイにとって、英雄とは、すなわち「オンちゃん」であった。
オンちゃんを見て育ち、オンちゃんに憧れて生きてきた二人にとって、オンちゃんが基地から「生還しなかった」ことは大きなショックだったにちがいない。
そしてずっと待つだけだったヤマコにとっても、生きていく上での大切なピースが亡くなったに等しい出来事だったのだろう。
若い頃、人によっては10代や20代で、そういった大切な人や大切な何かを失ってしまうことは、その後の生き方に大きく影響する。
グスク、レイ、ヤマコはそれぞれ、人生を大きく左右され、互いに交錯し、傷つき、でも離れられなくて、青春の日々を駆け抜けていくのだ。
読者は、彼らの息遣いが聞こえてきそうなほど生々しく、そして生暖かい描写に圧倒される。
米軍基地との共生と本土復帰の葛藤
本土復帰から50年という節目の年ということで、メディアではさまざまな「復帰」が取り上げられている。
(7) 【沖縄復帰50年】ryuchellと桝太一が沖縄を取材 50年たっても抱え続ける苦悩と葛藤『ベタバリ』 – YouTube
(7) [NHKスペシャル5min.] 沖縄返還に携わった人たちの思い | 証言ドキュメント “沖縄返還史” | NHK – YouTube
「沖縄に米軍基地が残り続けることになったのです」とナレーションではさらりと述べられている。これまで沖縄の歴史に関して、ほとんど知識がなかった私ですらよく耳にするフレーズだ。おそらく教科書などでもこういった表現にとどまっているのだろう。
だが、どうして米軍基地が沖縄に集中してはいけないのか。
基地が存在すること自体がストレスであるならば、無くせばよいのに、なぜ無くならないのか。それは日本は米国の核の傘下にあって、守ってもらっているからで・・・、という理由も知っている。
本当の問題は、それだけではないのではないか。
基地があり続けることで、米軍兵士による婦女暴行事件が後を絶たないという事実や、米軍機の離発着による毎日の騒音問題、戦闘機が小学校に墜落した事故もあった。
迷惑だけでなく、命や生きる尊厳すら脅かされてきた地元住民の苦しみがそこにはある。
一方で、基地があることで、米軍兵士相手の商売で生計を立てている者もいる。基地の中での仕事で雇用されることで生きている者もいる。
基地があっても困る、無くても困る人がいる、という現実をどう受け止めればよいのか。
(7) 機密文書から読み解く日米の思惑 沖縄返還交渉【本土復帰50年企画】(沖縄テレビ)2022/1/7 – YouTube
そうした米軍、引いてはアメリカに対する憎悪の念は、ある事件をきっかけに爆発する。
史実にもある「コザ暴動」である。
1970年12月20日 コザ反米騒動 – 沖縄県公文書館
本作品では、そういった理屈だけではなく、生きているキャラクターたちそれぞれの立場で、それぞれの言い分があり、それぞれの思いが交錯する様子を史実をベースに描いている。その善し悪しは読む者の判断に委ねられる。表面的なことではなく、その時代に生きていた人間にとっての判断を、本書を通して知ることになる。
米軍による施政権が沖縄にとっての「敵」と見るならば、もうひとつの「敵」は日本(ヤマトゥ)である。
沖縄の人は、沖縄の地元民を「ウチナンチュ」と呼び、本土の人間を「ヤマトンチュ」と呼ぶ。こうした呼び名がある、ということは、沖縄の人間と本土の人間は明確に違う、ということなのだろう。
ウチナンチュにとってヤマトンチュは、米軍と同じく、搾取する側として見ていたのだ。
そして、「本土復帰」という歴史的転換点でありながら、政争の道具として扱われ、アメリカ統治下と実情が変わらないままであったことを、当時も、今も、「おかしい」と声を上げ続けている。
(7) 【復帰50年】茨の道だった沖縄返還の時代の言論の自由を守るために闘った記者(沖縄テレビ)2022/5/17 – YouTube
タイトル『宝島』にある「宝」とは
「宝」とは、前述したように、「戦果」であり、沖縄人そのものである、と思う。
そして、それはここで語るよりもウタが最後に残した言葉に勝るものはないだろう。
沖縄の、青い空と碧い海。そして平和を愛する人々の暮らしがそこにある。
それを守るためには、「戦果」として奪い返す「英雄」が必要なのだ。