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母の日記

めおとへんろのすすめ ~夫(わたし)のへんろエッセイ~


 明るい生活の家計簿に、母が書きためていた日記がある。
 
2013年7月15日(月)「○○(わたしの名前)達は遍路へ行っている様子」 
2014年2月1日(土)「○○(わたしの名前)は足ズリテルメ」 
2014年4月21日 (月)「一週間休暇でへんろだそうだ」
 
 そもそも2013年から始めたお遍路は、その三年前に亡くなった父親の供養の意味も含んでの巡礼だった。父親への思慕と感謝の思いを胸に、歩き、祈った。そして仕事と遍路の合間には、母親の遠距離介護のために、月一回程度の帰省をした。
 
 母親の日記は、2015年3月13日(金)で途絶える。最後の方のメモからは、老境に入って独りで生きることの切なさが伝わってきて、つらい。
 
 その後、様々な介護や看護の段階を経て、2022年夏、母親は父親のもとへと旅立っていった。85歳、老衰との診断だった。
 
 遍路に出かける時間があれば、もっと、もっと、してやれたことがあったのでは…という悔恨が残った。私は体調を崩し、自律神経失調に陥った。
 
 そして、看取りを終えた一年後、スペイン巡礼に出かけた。母親は、今回もまた、遠くから見守り、送り出してくれたのだろう。四国遍路とはまた違った、感謝の思いをかみしめつつ、歩を進めた。
 
 スペインでは、家族で歩いている人たちに会った。二世代、三世代、中には親戚一同36名というグループもあった。家族一緒にカミーノで過ごす時間は、人生の中でも、とても貴重で、豊かで、幸せなものに違いない。
 
 生前、父親と車で四国遍路を巡っていた母。2002年5月の日記に、83-88番札所のお賽銭と納経代の記載がある。2006年10月には高野山で満願したようだ。私が使っている菅笠と輪袈裟は、当時、父母が使っていたものの御下がり。過日の実家の整理中には、金剛杖も出てきた。
 
 これからも、カミさん、父母、お大師様と一緒に、お遍路歩きを続けていきたい。


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カミさんとわたし
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