【読書記】圧倒されるほどの祈り(クララとお日さま)
クララは、人工知能をもつ、AFだ。
AFの詳細は、2021年をいきる私たちからは大きく隔てられている。いや、実の所、いまの私たちのいきる地点とAF、あるいはそれを包括する世界との距離は、技術的にはそれほど大きくはないのかもしれない。それでも心理的に、それはずいぶん遠く感じる。
夢想より先に現実が来てしまって、誰しもが戸惑い揺れているような、AFのいる/ある作中の世界は、たぶんそんな世界だ。(そしてその構造じたいは私たちの今とそうたいして変わることはない。)
AFであるクララは「店長さん」の切り盛りする〈お店〉の中で、多くの仲間のAFとともにしずかにほほえみながら、自分が共に過ごすべき「こども」を待っている。ショーウィンドーの外の世界を観察しながら。
そして病弱な少女であるジェシーが現れることで、クララという物語は動き出してゆく。
3月2日発売のカズオ・イシグロ『クララとお日さま』を読んだ。
氏の得意とする、じっくりと丁寧な一人称による語り口は、クララという語り手の眼を有効活用し、今作も健在だった。語り手の設定も相まって、その綿密な観察は描写以上にクララの「人となり」をあらわしてさえいる。
氏の創作を好んで読んでいる読者のひとりとして、「今回はやられないぞ〜〜〜!!!」という意気込みで臨んだ。
仕事終わりの平日に読了していることからして察していただきたい。
今回は、なんとか防衛できた…(もちろん、主観で)
そも、なにを防衛したかといって、カズオ・イシグロの作品との対峙は、私にとっていわば防衛戦なのだ。絶対にやってくる〈語り手の知らされていない事実〉への衝撃に内臓をやられることなく、自分は自分としてリングに立つことができるか。意識が途切れるほどの強烈なアッパー、風を切るようなジャブ、という具合で繰り出されるあれやこれやそれに、人間をやめたくなったりする。(そもそも、人間って、なに…。)
今回は、作中に散りばめられたいくつかのポイントで息をつきながら読むことで、クララとほぼ同じ用意をしながら、なんとか、内臓をもっていかれずにスパーに耐えた、という印象。
きたきた! 準備してました! ですよね!
ただそれは作品の素晴らしさを損なうものでは一切なく、クララの眼差しが克明に描き出すものは、人間を的確に描写し、そして人間を問うていた。
前作『忘れられた巨人』と比較しても、世間様からはーーとくに日本の読者といういみではーーだいぶわかりやすく受け入れられるのではないかなあ?
そんな予感がしている。
ただ、受け入れられていくだろうことを前提として、私はこれを感動作とか、奇跡とか、ほんとにとても言って欲しくないんだけれど(たぶんこれからいろんなところで目にすると思うけど)。
ああよかったとか、かわいそうとか、そういう感情とか共感のはなしなんてもういい、そういうことじゃない、だからこそ、じゃあ人間のあんたはこれからどうするわけ? って、問われているような気がした。無論、クララにではない。クララの向こうの、なにか透徹としたまなざしの〈なにか〉にだ。(クララはそんなこという子じゃないのですよ、本当に!)
クララが象徴するなにかに、自分なりのアンサーというか、そういうものをやっぱり持ちたいし、あの眼差しをどこかに感じながら生きていたいなと、襟をただしたくなる、いい作品だった。
特別な何かはあります。
終盤で、クララはそう断言する。
わたしもそう言いたいなとこころから思うけど、本当にそうかなと思っている。うたがってるし、いまひとつ自信も持てないでいる。
本当にそういうものを培えてるのかな。だれかと。あなたと。わたしは?
うたぐり深い自分のことも、だれかのことも、時折信じながら、人間であることをやめないでいたい。
クララの眼差しにぜひ、感動や共感以上に、人間として揺さぶられてもらいたいと思う、とてもいい作品だった。
▼Amazon購入ページ
https://www.amazon.co.jp/クララとお日さま-カズオ・イシグロ/dp/4152100060
余談ですけど、装丁がとてもいいです。カバー外した感じもお気に入り。