いいねを押すだけのクリエイターはもうやめよう

クリエイティブな職種に就いている人も、そうでない人も、食事や歯磨きと同じような感覚で、今や生活の一部になっているsns。
普段、デザインやコーディングに携わっている自分もその内の一人で、毎日のようにあらゆるsnsをチェックしている。

その中でも特に、クリエイティブとビジネスの両方の情報を容易く探すことができるという面で、自分はtwitterを利用しているのだが、最近になって一抹の不安や焦燥感といったものを感じるようになった。

それは、
“ただいいねを押すだけで満足してしまっている自分がいる”
と気づいたからだ。

twitterのアプリを起動しては流れてくるフィードを読み漁り、目ぼしい情報があれば、いいねを押すだけの決まり切ったルーチン。

いいね をすることで

"新しい知識や情報を取りこぼさずに済んだ"

という安堵を得ると同時に、この行為には

"あとでゆっくり見よう"

という無意識も隠れているように思う。
そして更に言うならば、日々更新される情報のキャッチアップに追われ、自分がいいねを押したツイートのアーカイブは、見返されることのない化石になっていないだろうか。

特に、フォロワーが多く影響力のあるユーザーのツイートともなれば更に顕著で、ツイートされている内容の吟味よりも先んじていいねを押してしまうことも少なくない。

あらかじめ断っておきたいのだけれど、自分が伝えたいことは

いいねを押すことに否定的

ということではなく

意識をどこに置くか

ということだ。

これは自分への戒めの言葉でもあるが、もしあなたがクリエイティブな職種に就いていたり、あるいは発信者でありたいと思っているならば、闇雲にいいねを押して満足してしまっている日常は危機的である。

いいねを押した(押そうとしている)そのツイートを、果たして自分の中で咀嚼し理解できているのか。
実体験が伴わなければ、きっと明日も明後日も、本当の意味で血となり肉となる日は来ない。

-  感覚を研ぎ澄まさず、いいねを機械的に押すのが習慣になっている。
-「あの人のツイートだから」 という理由で安易にいいね を押している。

もし、自分以外にも上記に当てはまる人がいれば、僕は全力で呼びかけたい。

その後の行動に結びつかず、そこで一連の流れが途絶えてしまっているとすれば、そのいいねを押すと言う行為は、残念ながら意味を成さないだろう。

たとえ自身のフォロワー数が少なくても、あるいは、フォロワー数の多いクリエイターとは違う結論を見出したとしても、しっかりと自分が時間をかけて検証し発信できていれば、そのことの方がずっと価値があるはずだ。


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