自己否定をやめる(12〜19日目)ーー他者への批判、自分の頑固さ
↓こちらの実践の経過報告です。
あっという間に19日目。
100日って意外と短い。当たり前だけれど、20日たてば2割終了だものね。
経過は順調だと思う。
実践して、仕事がラクになった。
いや、いやなこともあるし、ミスもするし、「は??」ということもこれまで通りだけれど、なんだろうね、気持ちよくその日の全力を出せるようになったというか。
体調の悪い日は「これが今日の精一杯です~。あとは明日でーす!」と潔く終われる。
「こんなではだめだ」と思うのではなく、「次、調子の良いときに楽しくやります。今日の接客はこれでいいです。品出しタスクを終えました。授業づくりは明日です~。それでは!」というように、無理な日に粘らなくなった。
ひとつ楽しみな仕事?試み?の見通しが立ってうれしい。これは近年の出来事の中でも指折り数える大切な出来事だ。うれしい。
学生が授業後に質問に来てくれるようになってうれしい。
こういう「うれしい」も、しっかり感じていこうと思うなどしている。
という経過を踏まえ、本日のテーマは、他者批判。
私は自己批判が強いと同時に、特定の他者へ批判的な目を向けてしまうことがある。
これまでの経過報告でも書いた通り、私は「私を罵倒(否定)してくる具体的な人」をやはり見つけられない。
いくら考えても、批判者は私であった。
今日めずらしく母と話すタイミングがあり、この話をしてみたのだが、思いのほか盛り上がった。
母は最近、自身を批判する具体的な人が義父であったことに気づいてしまったのだという。母のライフヒストリーを聞けて良かった。
そして、私の話に戻る。
摂食障害はたいてい母親との関係が原因として挙げられるが、私はいつもそこにピンとこなかったということを改めて共有。
もちろん複雑な原因の中にそれがゼロではないだろうが、自家発電してしまっている何かがあると思うんだよね~みたいな話をした。
以下、自分の批判者としての私と向き合う手始めに、他者の批判者としての自分を分析した記録である。
頑固な子、逃げない子
私は、苦しみや辛さを骨の髄まで味わうまで納得しないタイプである。
それは昔から。納得できないと納得いくまで泣く赤子だった。
幼い頃から、要求で泣くというよりは、納得できなくて泣いていた。
基本、物事から逃げることができない。
逃げるという選択肢をそもそも持っていない。
意識的に逃げる人
痛みや苦しみや辛さから逃げるという処世術がある。
私は、意識的に逃げ、自分の世界を大切に守ろうとその処世術を使う人たちを尊敬している。
私の周りの尊敬する幾人かは、このタイプだ。
意識的に逃げることができる人たちは、軽やかに自分の心地よいものを選択してゆく。
彼らの身のこなしは美しい。
彼らと、似て非なる人たちがいる。
無意識的に痛みや苦しみを避けて見ないようにしてる、ということにさえ気づかず、人を傷つけたことを忘れる、もしくは忘れたふりをする、このような処世術で生きている人たちである。
逃げているという事実から逃げる「思考放棄の民」
私はどうしても、こういう人たちを尊敬することができない。
尊敬することができないと気づいてしまったとき、私はひどく絶望した。
自分を酷い人間だと責めた。
仮にここで、「無意識的に痛みや苦しみを避けて見ないようにしてる、ということにさえ気づかず、人を傷つけたことを忘れる、もしくは忘れたふりをする、このような処世術で生きている人たち」のことを「思考放棄の民」と呼んでみよう。
わたしはこの民の存在を、近年まで知らなかった。
これまで出会わなかったということは、ずいぶん小さな世界に生きていたということなのかもしれない。
ある日たまたま、私はこの「思考放棄の民」のうちのひとりと巡り合ってしまった。
そして、「この人とどう接するべきか」と一所懸命考えた。
考えて考えて、「あ、もうこの人のことを考えてはいけないんだ」と気づいてしまった。
優しいふりをした人の優しさは、ひどく空虚だった。
中身がない。
彼との約束は約束にならない。
人を思いやってるふりをして、「思いやり」を言い訳に自己中心的な行動をする。
え、矛盾しているよ?結局自分が可愛いだけじゃないの、それ。
生き方や行動に、中身と芯がない。
…と、このように私は「思考放棄の民」をジャッジするまでになってしまった。
もちろんそのジャッジを口にすることはないが、我ながら最低だなと思う。
はい、自己否定の完成です。
「思考放棄の民」をなぜ批判するのか
「思考放棄の民」は、考える力があるのにその力を使わない。
彼らは臆病なのだ。
不満だ不満だと言うくせに、その不満な自分にさえどこか酔っており、一所懸命に生きる人たちを少しばかり小馬鹿にし、茶化している…ように私には映った。
そう、これはあくまで私から見た彼らの像にすぎない。
彼らには、そうする理由と理屈があるはずだ。
私が巡り会ったその民のうちのひとりは、理由と理屈を話してはくれなかった。
そのため私の彼への理解は、「私のみた像」のままで止まってしまっている。
「若いときが一番いいときだから、輝いていたい」と言っていたのに、彼は疲れ果て、思考の隙間を捨ててしまった、ように私には映った。
悲しかった。
考えて、考えすぎて、いつの間にか批判的な視点でばかり彼を見つめてしまうようになっていた。
直接批判することは最小限にとどめていたものの、それが不満となって蓄積され、私のメンタルは不安定になった。
勝手に自分をすり減らしたのは、私。
彼は何も悪くない。
全てはタイミングで、彼とはタイミングが合わなかった、それだけ。
私が大股で進もうとしながら足踏みをしているとき、彼は私と違う場所をぐるぐる回っていた。
「進んでいない、進めない」という事実は一緒なのに、見てる方向が、感じている空気が違っていた。
人間と人間なんて結局こんなものなのだが、私は少々ロマンティストな部分があるため、「進めない事実を一緒に味わえる」と思い込んでいたようだ。
そう、私は誰に対しても、「何かを一緒に味わえる」という幻想を抱いている。
この幻想こそが、私が「思考放棄の民」を批判してしまう要因だと思う。
一緒に味わいたいんです!!
味わいたいんだよ〜〜(切実)。
少なくとも、いま関わりのある人たちみんなと、私は何かを一緒に味わうことができていると勝手に思っている。
これまで一緒に味わえる人たちとしか出会わなかったし、それは幸運だったのかもしれない。
「思考放棄の民」との出来事を踏まえ、幻想は捨てるべき…とも考えていたが、このような幻想が、どうしようもない世界においてはせめてもの希望の綱なのではないかと踏みとどまる。
結局、死を引き止めるものってその幻想しかないのではないだろうかとさえ思う。
他人は他人。
もちろんそうなのだけれど、どこか一部分でも共有や繋がりや結びつきを感じられるのが人間関係ではないか。
だからこそ、人は人と出会い、人のことを考え、言葉を交わすのではないか。
出会った人との「繋がりの可能性」を芽とするならば、「人を大切にする」とは、脆く壊れやすい繋がりの可能性を維持するために丁寧に水やりをし、手入れすることではないのか。
よっぽど土が栄養豊富か、根が丈夫でない限り、手入れを怠ればあっという間にその芽は朽ち果てる。
私には、手入れを怠る彼を理解することができなかった。
頑固な私は、このように、一緒に何かを味わうことに固執するがゆえ「思考放棄の民」を批判した。
でもねぇ、これ、今のところまだ諦められそうにない(笑)
ほらね、頑固でしょう。
苦しみは味わい尽くす
「思考放棄の民」との出来事に対して、やっとやっと味わいが骨くらいには到達した。
まだ髄まではしゃぶってないので、しばらくこの苦さを味わうことになるだろう。
また、最近気づいたのは、「思考放棄の民」への羨望である。
私も彼らのように少々自暴自棄に生きてみたい…と、心のどこかで思っているような…気がする。
人の感情は複雑で面白い。
もっともっと味わい深くなるさ。
楽しみだね。