この世界に御呼ばれでないからさ
「人生…」と考えてしまう時間が多すぎて「人生…」となっている。
一体なんのために生きているのか、冷静に疑問だ。
朝起きた瞬間「あ、死にたい」と思うのに、人生を続けるって理にかなっていない。
幼い頃から疑問であったし、生きる意味なんてないのだと分かってはいるが、それでも生きるためにはモチベーションが必要で、それが一向に見つからない。
博論を書き上げて30代に突入してから、より一層「人生…」となっている。
博論を書き上げるということはひとつの生きる意味になっていたのだろう。
何にも意欲がわかない。
わくわくしない。
どきどきしない。
怒りや悲しみさえもなんだか嘘っぽい。
推しがいる人や作品鑑賞が好きな人はそれが生きるモチベーションになるんだろうか。
好きなこと楽しいことがある人はそれを楽しむために生きるよねそりゃあ。
守るべき存在がいる人はそれは大いなるモチベーションだろうなぁ。
自分がいないとどうにもならない存在に愛を与え受け取るって美しいよなぁ。
仲間がいる人とかいいなぁ。
同じ目的や志に向かって並走する仲間たちがいれば頑張れるよなぁ。
自分にしかできない仕事(究極的にはそんなものは存在しないのかもしれないが)に全力を注げる人とかいいよなぁ。
いいなぁ、彼らこそが世界の構成員だよなぁ。
この世界は美しいのだろうか。
私はこの世界のことを美しいと思えていない。
緑も花も山も火も星も月も海も多分美しいのだけれど、私の生きる理由にはならない。
それらの美しさは世界の構成員たる人々と共にあることで際立つ。
私はそれらの蚊帳の外にいる。
幼い頃からのこの感覚は一体なんなのだろう。
私はもうずっと世界と自分がちぐはぐのままだ。
いつまでこんな困難を抱えていなくてはいけないのだろう。
どうして困難のまま生きているのだろう。
ちぐはぐなまま愛を語り合えるなんてもうそんな希望も抱けないし誰かと笑い合っている人たちが眩しいし飲み会とか大人数でワハハできてる人たちって私と何が違ったんだろうかとかあぁこんな歳まで孤独だとか言ってるなんてまぁ想像通りっちゃそうなんだけどさ人間関係不得意なくせに仲間たちとか恋愛できないくせにパートナーとかそういうのどこかで求めちゃうのはまだ私が餓鬼だからなんだろうか十分に孤独に耐えたと思うんですがまだ許されないのでしょうかねえこの狭い空間で窒息死できたらいいのに全然生きてるしすごいよねえ。
どんな議論にも私は参戦できないのかもなぁと、議論している人を横目で見てみたりしている。
あらゆる議論はこの世界をより美しくするために行われているはずである。
そりゃあ私にもあるけどさ、なんだかこう信念が同じであるはずの人たちを前にすると自分のそれが嘘っぽく思えたりするんだよね。
この世界に爪弾きにされているという感覚を抱きながらこの世界を美しくしようと思うのは難しいのかもしれない。
さらには同じ信念の人たちに責められ怒られるという想像をしてしまうんだよね。
なんだろうねこれは。
疲れたなぁ。
宛てのない文章で食べてはいけないけれど、宛てのない文章だけが私を存在させてくれる。
それでもここから愛は生まれないから生きる理由にはならない。