久しぶりのプロダクションノート(愛という名の支配)
今やりたいと思っていることが明確になった。ので、プロダクションノートをつける。「暴力とは、そしてその連鎖を断ち切るには」という、22歳の頃からずっとやっているテーマに昨日、新しい発見があった。そのことを物語にしたい。ここで書いてしまうと満足してしまうので、今は書かない。(それはプロダクションノートなのか?!と言われそうだけど)
さて、田嶋陽子先生の『愛という名の支配』を今、読んでいる。一文、一文に傷つく。だけどもう喉元まで追い詰められてるって事実は、目をそらさずに認識すると、ああどん底だけど頑張っていこう、という力になる。
むかし、『光の祭典』を伊丹のアイホールで再演した時、初演も見てくださった女優さんから「全然元気が出る話じゃないんだけど、やっぱり元気が出る作品だと思った」と言っていただけて、とても嬉しいなと思った。『愛という名の支配』も同じような効果のある本だと思う。そしてわたしはこれからも、そういう効果のある話を書いていきたいと思う。
『愛という名の支配』を読みながらまた思い出したことがあった。
昨日書いた話題を引き続きなんだけど、
わたしをいじめていた女教師は家庭科の担当だった。
そしていわゆる女の子らしい女子児童(髪の毛が長くて、毎朝母親に結んでもらっていて、ナルミヤブランドの服を着ていて、でしゃばらず、ひかえめな、小さくガリガリの女の子)をかわいがり、いかにも男児らしい男子児童(乱暴で、ぐちゃぐちゃの服を着て、さわがしく、人をいじめてよろこび、勉強ができない、小さくガリガリな男の子)を溺愛していた。
わたしは髪が短く、しかも梳かさず、メガネで、当時からすでに現在の体型(157センチ・50キロ)だった。いやもう少し身長も体重も小さかったかも。でも30キロとかそこらの中にいると立派な、大人の体格をしていた。それでいて(それの何が悪いねんって感じだが)態度は11歳だったので、「女らしさ」とは全然関係なく存在していた。そのことにもう、とにかく、その女教師は拒否反応を示していたのだ。でも拒否反応がでるのと、いじめるのは全然ちげえ話だからな。わたしはおまえを許さない。
子どもの頃通っていた皮膚科と美容皮膚科がいっしょになった地元では有名なクリニックの先生は女の人で、見るからに子どもが苦手だった。だけど不親切にされたことはなくて、先生は苦手だ~という顔をしながら、何週間かかけて、わたしの足のイボを取ってくれた。大の大人が苦手だ~という顔をしながら職務をまっとうしてるのはなんだかとても、胸に残ってる。(ちょっとおかしかったということもあるが)
ともあれ、「女らしさ」からはずれた子どもをいじめる40代の女教師の担当教科が家庭科、というのも象徴的な話だよな~と思った。
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1000字を超えたので今日はここらへんでおわる。今日は家事もしたし、犬の散歩もしたし、やらなきゃやらなきゃで先延ばしにしてたほつれた服のなおしもできた。あとは原稿を書くだけ。夜には人と会う。あ~楽しみ!
明日も君にとって良い日でありますように。ではね!
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