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エッセイとイタリアからのおいしいもの

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日々の何気ない事柄、ふと道で思いついたことを書き綴っている、そのエッセイとともに繰り出されるイタリア料理のレシピ。色々と考えていると結局何かおいしいものにたどり着きます。Prim…
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#日記

幕開け

 ベランダのプランターで房なりに育ったトマトが、赤く色づいてきた。友人は自分の子供にそれを指差し「しゅうかく」という言葉を教えようとしていた。1歳10ヶ月なのに助詞も正しく使うほどよく喋れる子で、小学生の頃に読んだ「天才えりちゃん、金魚を食べた」という本を彷彿させる。お母さんが、地味ながらも丹念に子供に話しかけをしているのをよく見ていたし、ご両親共々才能のある人たちだから、他人の私まで期待を寄せてしまうような女の子である。いつも綺麗な色のふわっとしたスカートを着て、あのウィス

La torta di limone (レモンのケーキ)

 昨日は子供の一歳半記念だったので、レモンのケーキを焼いた。最近What'sappを始めた母にその写真を送ったら 「いつもそういうもの作ってるけど旦那さん太らない?」 というメールが返ってきた。孫への祝福の言葉も無かったことに加え、私のケーキの出来栄えに関する反応がそれのみでやはりちょっと嫌な気持ちになった。  やはり、というのはこれは彼女のお決まりの反応パターンなのである。安直な言葉で言ってしまえば、彼女は少し変なのである。私は表現の使い方が違うことを重々承知で、これ

なんてDolce!(さつまいものガトーショコラ)

 マスクをする生活になって残念なことがある。子供に対して私の表情がわかりにくくなったことだ。それにせっかく話しかけても、多分聞き取りづらい、それに話している時の口の動きを見せてあげることができない。これは子供の言葉の発達に酷く悪影響なのではと、気になっている。  しかし、外でもマスクを致し方なく外す瞬間が最近2つある。子供にたんぽぽの種を吹いて見せる時と、シャボン玉を吹く時だ。今子供と遊ぶ手段が限られている中、毎日の日課になっている。  この家に住んで3−4年になるが、最

AC:シンプルウーマン(野菜ストック術)

 今日は晴れた空の下、バリカンで髪を切った。なんて爽快。髪を切ると言う行動はどうしてこんなにもすっきりするのだろう。やっぱり髪って何かついているのかしら、と珍しくアミニズム的なことが頭をよぎるぐらい。  昨今行動範囲が限られて、経済的行動が限られるので、自分の身の回りにあるもので出来るだけなんでも解決するようになった。気づけばこれは私の理想的な姿にかなり近い。シンプルな生活の予感。  例えば、買い物に週1回しか行かないので、ビニール袋が減った。(マイバッグを持っていても、

Farinaが肌に触れる(北イタリアのパスタ)

 今朝は子どもと一緒に屋上へ出て、ヒッチコックの裏窓で覗かれるダンサーみたいな格好でストレッチをしていたら、やっぱりこの気持ちいい陽射しがもったいないなと思いはじめて、かけ布団を洗うことにした。真っ白の羽毛布団を四つ折りにして、浴槽の中で足踏みして洗うのは、うどんの生地が素肌に触れる感覚を思い出すような、そういう心地よさがあった。  私は粉が大好き。食べ物として好きなのもあるが、やはり自分でこねる時の感触がたまらない。いつもまとめて10kgぐらい様々な種類を買いおきし、和洋

AC:ヒッチコック裏窓チック(ポレンタのフリット)

 昨日も「ヒッチコックの『裏窓』でジェームス・スチュワートに覗かれているダンサーみたいな格好して、私は屋上でストレッチをしていた」みたいなこと書いたが、たぶん最近自分がよその人のうちを覗くことが多くなったから、知らず知らずのうちにそういう気分になっていたのだと思う。たぶん覗いているし、覗かれている。それを背中で感じながら行動している雰囲気。これって本来地域コミュニティにかつて当たり前のように根付いていた意識だと思う。  覗くというと語弊があるのかもしれないが、つまり今大人も

料理と真摯に向き合うこと

 先日マレーシアの友達がFacebook上にて、「Western foodは本当に早く作れるから、最近はWestern foodばかり作っている lol」みたいなことを書いていて、いやいや何言ってんだ君!って書き込みたかったところをグッと堪えた。しかし言いたいことを言わないとかえって疲れる気がしたのでここに書く。  私は声を大にして言いたい。あなた何言ってんの!!イタリア人とか、どんだけ時間かけて夕食作ってると思ってんの!夕食のために1日が始まると言っても過言ではない。(イ

カプチーノの間違い

最近の若い世代は私たちの世代よりもずっとずっと多くの文章に触れている。何百倍もの”文字”に多く触れているとも言うべきか。それはもちろんSNS普及のためである。一方で触れる文章の長さは短い。つまり携帯の小さい画面で情報処理できる程度の文字量に慣れているということだ。現に例えば、このnoteのいろんな方の文章を見ていると、年代が若めの人の方が文章が短く、年配の方々は長い傾向にあるとみえる。よって若い世代は長い文章の読解力は平均的に低いのではないか、と言う意見もある。だが私はこれも