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ある日のレトロ映画館         銀座花伝MAGAZINE Vol.52

#レトロ映画館 #シネスイッチ#食卓#ベルエポック#美食ポトフ

この街にはいくつもの顔があるけれど、かつて「映画の街」だった面影は今は遠い日の記憶になりつつある。
名画座がすでに消えた現代にあって、「ミニシアター」の申し子として再登場し、世界の隠れた名画を発掘し上映する老舗映画館がこの街には今も在る。銀座4丁目のガス灯通りにある「シネスイッチ」である。
映画好き女子ならば足繁く通わずにはいられない、時代を超えたレトロな薫りが充満している場所がそこにはある。

この映画館には、世界の埋もれた美意識を彷彿とさせる作品が度々登場する。フラッと螺旋階段を降りたが最後、知らない街から持ち込まれた世界観に没入する感覚がたまらない興奮に変わるのだ。
今回は、フランスの片田舎で生きる、「美食家と料理人の物語」をご紹介しよう。驚くのは「音楽のない映画」に息づく自然な音色から聞こえる「人生の喜び」である。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。




◆ある日のレトロ映画館 ー音楽のないベル・エポックの世界ー


・老舗映画館で


不思議な体験をした。

その老舗映画館(今はミニシアターと呼ばれる)の螺旋階段を地階に降りていくと、仄暗い小さな受付に一人の女性が立っていた。白いブラウスがきりりと彼女の横顔を照らすように眩しい。

「こちらをどうぞ」

差し出しされたプログラムには、「De Dodin Bouffant」と、金の印字が刻まれている。レトロなレザーの感触がどこか懐かしい。映画のプログラムとは思えないほど立派な作りだ。



赤い革のレザー プログラム


赤煉瓦色のやや煤けた床と地続きに、これまたほとんどブラウンに近い赤茶けた背もたれのあるビニール貼りの椅子が200席弱ほど並んでいた。この映画館には、100年を超える時間の薫りが漂っている。スクリーンがほとんど正面に視える位置にあるいつもの通路側座席に体を沈める。


・味わい尽くす、愛と人生


スクリーンに映し出される物語は、ベル・エポックの世界だ。


時は19世紀末、フランスの片田舎。静謐な森の中に佇む美しいシャトーに暮らす、〈食〉を芸術にまで高めた美食家ドダン(実在の人物)と彼が閃いたメニューを完璧に再現させる料理人ウージェニー。二人が生み出した極上の料理の数々は人々を驚かせていた。その類まれなる才能への熱狂はヨーロッパ各国にまで広がるほどで、二人のお互いの深い人間性に根ざした絆と信頼で結ばれているパートナーシップは、誰もがリスペクトし憧れていた。

芳醇なエレガントさに満ちているウージェニーは、その魅力とともに料理人のプロフェッショナルとして自立している女性だった。ドダンはそんな彼女にプロポーズをするが、断わられ続けていた。それは「私たちは婚姻によらずともすでにパートナーだ」という信念が彼女を貫いていたからだった。

ある時、ユーラシア皇太子から晩餐会に招待されたロダンは、煌びやかな宮殿の中で豪華なだけで論理もテーマもない料理を披露され、うんざりするという体験をする。それを契機に、自らが信じる〈食〉の真髄を示すべく、最もシンプルな料理〈ポトフ〉で皇太子をもてなすことをウージェニーとともに企画する。二人の力を合わせてこそ実現できる世界最高の「ポトフ」を完成させることが愛情の結晶であると信じるからだった。

しかし晩餐会の直前、ウージェニーは病に倒れてしまう。ロダンは人生初の挑戦として、終末の彼女を救うために、全てを自分の手だけで作った渾身の料理を彼女に捧げようとするのだったー。



豆知識:シャトー
主にフランスのボルドー地方で使用される言葉。元々は『城』を意味する言葉で、ブルゴーニュ地方の『ドメーヌ』と同じように葡萄栽培から醸造、熟成、瓶詰めまでを自分たちで行う生産者を指す。

豆知識:ベル・エポック(仏: Belle Époque:「美しい時代」)
主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリの華やかな時代。ビジュアルアート時代とも呼ばれる。19世紀中頃のフランスは普仏戦争に敗れ、パリコミューン成立などの混乱が続き、第三共和制も不安定な政治体制であったが、19世紀末までには産業革命も進み、ボン・マルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになった。1900年の第五回パリ万国博覧会はその一つの頂点であった。

豆知識:ポトフ
フランスの家庭料理の一つ。鍋に塊のままの牛肉、野菜類に香辛料を入れて長時間煮込んだもの。ポトフーと表記される場合もある。フランス語でpotは鍋や壺、feuは火を示すため、「火にかけた鍋」といった意味になる。




・ほとばしる食卓の美意識


様々な調理器具や陶器の食器がアート作品のように並ぶ厨房、季節の花に囲まれたダイニング。ウージェニーが纏うオーガニックコットン生地のドレス、太陽の光とキャンドルの灯り、暖炉の薪、百年前の豊かでナチュラルなライフスタイルがスクリーンを優しく包む。

場面は、使い込まれた調理台と、シャトーの森にある自然に溶け込んだテーブルと椅子たちだけである。フランスの森や、海や、川や、山で採れた食材の数々を見事な感性と手捌きで料理に仕上げていくその様が、丹念に描かれていく。これほどに食材というものはみずみずしかったのか、こんなに麗しかったのか。そして彼ら二人の美意識の全てを注がれ、出来上がった料理を友人たちが食す時の喜びが身体中から迸る時、観る者までがその食卓に同席しているゲストであるかのような心躍る体験をするのだ。



新たな文化が繁栄した時代 “ベル・エポック”に、〈食〉の美を芸術にまで高め、その食卓を再現し、追求していく様子を具に描き切った驚きの映画である。
そして、そこで観客が味わうのは、シンプルにして芳醇な料理「ポトフ」に込められた、「愛と人生」の物語だ。

この色濃い表出が伝えるものを考える時、それは人生の美しさではないかという気がしてくる。愛すること、失うこと、そうした悲喜こもごもの中に人生はある。そうやって心に刻まれた人生の色や手触りや味わいは、決して消えることはない、とこの映画が伝えている。

最後にロダンが語る、アウグスティヌス(ローマ帝国時代の司教)の言葉。

『人間は、自分の持っているものを深く掘れる人こそ幸せである』

人間の幸福とは何かを伝えている。



・自然な「音」が全て


見終わって気がついたことがある。この映画には、背景音楽(劇伴)がない、ということ。耳は、調理の際の包丁のリズミカルな音や、鍋を振る金属音、何気ない環境音、そしてロダンとウージェニーの語らいのやり取りの声だけを聴き取る。

魚の下処理をする、野菜を炒める、肉を焼く、湯が煮立つ、熱した鍋に食材を入れる、調理器具がぶつかり合う、そういった時に厨房に響く音。

それは音の彩りとも感じられるシンフォニーを奏でていた。この音以外に何が必要だったろう、と思えるほどにその世界は完璧だった。
ジュウジュウ、、ジュワジュワ、グツグツ、カンカン・・・。なんと耳に心地好い音だろうか。

そして日々の生活の中で無意識のうちに耳にしている音。鳥の囀り一つとっても、一体いく種類の鳥の鳴き声が聞こえてきたことだろう。鳥の囀りの聞き分けなどに無頓着な筆者にしてもだ。そして、虫の音、犬の吠え声、遠くで打ち鳴らされている鐘の響き。それら全ての豊かさが観客を美の薄膜で包み込むようだ。

それらだけで音の彩豊かなシンフォニーを奏でていた。この音以外に何が必要だったろう、と思えるほどにその世界は完璧だった。

四季の推移を光と影のあわいに映し出す映像は陶酔するほど美しく、19世紀フランスの片田舎を細部まで再現してあまりある。この映像美があったからこその、仔細な音を前景化できたに違いない。



この音楽のない映画の中で、最後に一曲だけ、メロディーが流れる。ピアノ曲にアレンジしたジュール・マスネーのオペラ「タイス」のメインテーマ「タイスの瞑想曲」だ。叙情的、流麗、優美なその曲想は、古代の伝説的な女性を描いた「タイス」そのままに、映画が解き放った芳香とともに、筆者の心に永く震えるビブラードとして響き続けた。


映画「ポトフー美食家と料理人」



百年の歴史を感じさせるレトロ感がやさしい



常に稀なる名画を届け続ける「シネスイッチ」




◆編集後記(editor profile)


銀座にある「シネスイッチ」の名称の由来は、1980年代後半には2館のうち1館はそのまま『銀座文化劇場』として古いハリウッド作品を上映し、もう1館は各国から選りすぐった洋画と邦画を切替(スイッチ)しながら上映するということから「シネスイッチ銀座」と命名された。

1988年公開の『モーリス』と1989年公開の『ニュー・シネマ・パラダイス』がミニシアターブームに大きく貢献したことを知る人は多いだろう。
特に、『ニュー・シネマ・パラダイス』の40週ロングランで打ち立てた30億6,000万の興行収入は、ミニシアター最大のヒット記録として未だ破られていない。今は当たり前になった「レディース・デー」割引を始めた映画館としても認知されている。その他にも銀座文化時代、女優の片桐はいりが学生時代を含め7年の間、同館入り口のもぎり担当としてアルバイトをしていた、というのも楽しいエピソードだ。(その間の同館のエピソードは著作「もぎりよ今夜も有難う」に詳しい)

今回のフランス映画「美食家と料理人」には、心底驚かされた。私たちの生活の中にある「音」こそが、「音楽になり得る」という事実にである。「生きる」こと=「音」だからこそ、私たちは日常の素晴らしさに耳を澄ますべきなのだ、と使い込まれた映画館の椅子に座りながら深く唸ったのである。

本日も最後までお読みくださりありがとうございます。

           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊


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