イデアとは永遠の実在:その意味
イデア論というのは有名です。古代ギリシャのプラトンが考えた理論です。大づかみですが、それは次のような内容です。
Ⅰ.感覚が捉えるものは、同一を保つことがない。
Ⅱ.感覚を伴わない思考が捉えるものは、常に同一を保つ。
Ⅲ.だが、実在とは、同一を保つもののことである。
Ⅳ.ゆえに、感覚的性格を伴うものは、実在ではなく、実在とは、純粋な思考によってのみ、把握される。
言い換えてみましょう。今度は、「xはFである」という命題の場合です。
ⅰ.「xはFである」という命題において、xとは、Fであるもの、である。
ⅱ.この際、xは、「xはFである」という命題の措定する、存在にあたる。
ⅲ.だが、何らかのFは、Fとして成り立つかぎり、恒常的にFとして成り立っている。
ⅳ.すると、Fが恒常的である以上、Fであるものも、恒常的でなければならない(「である」と言われているため)。
ⅴ.すると、ⅰにより、「xはFである」という命題におけるxは、Fであるもの、なのだから、ⅳにより、xは恒常的でなければならない。
ⅵ.そして、ⅱにより、xは、「xはFである」という命題の措定する、存在にあたるのだから、ⅴにより、この命題の措定する、xという存在は、恒常的でなければならない。
この、恒常的にFであるものであるxが、Fのイデアです。そのようなxは、感覚が捉えるところには成立せず(Ⅰです!)、ただ純粋な思考の捉えるところに成立します(Ⅱです!)。プラトンは、xが恒常するときにのみ、正しく「Fである」と言われる、と主張したのです。
でも、どんな場合でもいつでも「Fである」ところのxなんて、世界には存在しません。そのため、プラトンの結論は、恒常的に「Fである」ところのxからなる、別の世界があって、それは神様のみが知っている、というものでした。それは、純粋な永遠において恒常する、理想のxなのです。