母の内なる花。
私が幼い頃、家はたぶん貧乏でした。
父は車のセールスマン、母は兄弟が多く母親がいない家に育ったため、高校も中退して働きに出て、結婚してからもいくつものパートを掛け持ちしながら家庭を支えてきました。
そんなカツカツの共働きの家庭で育ったので、私はなかなか授業参観にも来てもらえなかったですが、来てくれたら、来てくれたらで、煌びやかなお母さんの中に混ざると、うちの母はとりわけみすぼらしい感じがしたのを覚えています。
他のお母さん達は、その頃流行ったカルチャースクールや子供の塾の話をしています。自分には学がないと思っていた母はそんな話についていけず、、、、、、振り返ると教室の後ろの後ろにいる姿はとりわけ小さく見えました。
もう来なくていい
学校帰りの私は残酷でした。
ところが、次の学校行事には親子参加での遠足というものが予定されていました。私の希望は社交的な父の方が良かったのですが、予定が合いません。仕方なしに、母と一緒に家を出ました。
一度学校に集合してから、山に向かっての徒歩遠足なのですが、地味な母が恥ずかしい私は学校に着くまで一言も喋らなかったと思います。
点呼を取り出発してからも私達親子は他のグループに交わらず、少し遅れてついて行きました。母とも距離を取って歩きます。前方から聞こえてくる楽しそうな話し声。
『最近買った電子レンジにはオーブン機能がついていてー』
『うちのミシンにはコンピューターがついてるのよ』
『今から英語を習わすんじゃ遅いかしら』
など、生活に余裕がないうちには入っていけない話題です。
早く頂上につかないかなあ、そしたら友達だけと喋れるチャンスもあるのにと黙々と歩いていたら、
『あ、見たこともない花が咲いている、ちょっとみなさん、見て』と誰かのお母さんが言い出しました。
『手に取ってみたいけど、毒があったら嫌だし、ほら、こないだの栗田さんちの下のお嬢さん、なんかの花触ったら、かぶれて大変なことになったじゃない。』
先生も『気をつけた方がいい、普段見ない植物は触らないでくださいね。』と注意喚起。私はかなり後方から見ていたので、形状がはっきりわからなかったけれど、かなり変わった花でした。
その私のさらに後ろから
『ユキモチソウです』
母の声でした。
『気をつけて。毒があります、里芋の仲間です』
みんなが母に注目しました。『K子(母の名前)さん、よく知ってるわねー』『毒があるってどれくらいの毒?』など、次々に質問が飛んできました。
母はいくつもの職をこなしている中に造園業の手伝いがあって、自然と植物の名前を覚えていたのでした。
その後の道中は母が中心、みんなが目に入る花の名前を母に聞いてきます。それをすらすらと答える母、いつもの引っ込み思案な表情はどこかに行ってしまっていて、、、、、私は母の手を握りました。
目的地についての記念写真、参加した学校行事で、きちんとフレーム内に収まった母を初めて見ました。
私が中学に入る頃、両親は事業を起こし、やっと人並みの収入を得る事ができたようでした。なぜかというとそれまでの借家住まいから自宅購入に至ったからです。家を建てるにあたって母が一番拘ったのは庭でした。造園業に携わったのも元々、花が好きだったからということを後で聞きました。
好きこそ物の上手なれ、
とはよく言ったもので、母は緑の指を持っていました。道の駅で売れ残った萎れかけの花の鉢は、母の指で見事な茂みを作り、なんの種かわからないと言ってもらったものが、グングンのびたて立派なオクラになった時の驚き!(オクラの成長の形状を知らなかったし)近所からは、花のジャングルと呼ばれるほど勢いのあるガーデンを作りあげたのです。
母は言いました。
花を見てると元気が出る。たいして栄養がないような土と雨でよくもまあ、こんなに見事な花をつけるもんだ、と。与えられるものが少なくても、花は咲く。だから貧しかった自分もどうにかなるんじゃないかと思ってきた。
笑って話す母を見ながら、私は授業参観のことを何度も心で謝りました。
時は過ぎ、2000年に私は東京でモロッコレストランを開きました。モロッコ料理にはレモンが不可欠です。それも皮が重要です。開業した頃、無農薬のレモンはとても高価で、これでは経営が成り立たないと困りました。そして、、、、、思い当たったのが
緑の指!
母は快く引き受けてくれ、すぐに苗木を購入、高知県という暖かい気候が適していることもあり、3年のうちに一本のレモンの木から、600個以上の収穫を上げるようになりました。
花を始め植物は人に活力をくれる、とよく聞きます。文字通り、母はあの遠足で、自分の価値を自分で知り、母の内なる花を咲かせたのだと思います。母はどんどん明るく元気なキャラクターになりました。
こんなに花が咲いたんだよ と送ってくれた写真。
600個の花をつけたレモンの木の横の母は、遠足の時と同じ笑顔で、見るたびに私を泣き笑いさせています。