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函館 冬旅 〜 啄木 教会 五稜郭

ずいぶん前の旅の話。

冬の函館を訪れた。 
啄木の足跡をたどった。 
この日、函館は零下二度という寒い日で、積もった雪に慣れない私たちは、タクシーで函館の町を巡った。


立待岬たちまちみさき、青柳町、弥生小学校をまわり、最後に訪れたのが津軽海峡を望む大森浜にある啄木小公園。

きんきんに冷える空気の中、啄木の坐像が、昼下がりの強烈な冬の陽射しを浴びて、たたずんでいる。海の向こうには下北半島が、どうにか見えた。

午後3時、夕暮れが早い函館の太陽は、すでに西に傾きかけている。


函館の寒き浜辺に啄木が
ロダンのごとく
うずくまりけり



一日目。 
午前11時すぎに函館空港に着き、ホテルにむかい荷物を預かってもらう。それからラッキーピエロで 土方歳三ひじかたとしぞうバーガー~ホタテバーガーの昼食をとり、タクシーをひろって足跡めぐりは始まった。


函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢車の花

石川啄木 一握の砂より



青柳街、 谷地頭やちがしらを通り、 立待岬たちまちみさきの入口でタクシーを降り、目的の場所へ向かう。

少し待っていてもらうことにして、夫と雪の積もった坂道をのぼる。

「あっあそこだ」と先に行く夫の後をついて滑らないように一歩一歩雪の坂道をのぼる。
はるばる石川啄木一族の墓参りにやってきたというわけだ。


手を合わせ拝む。

「あっ啄木の筆跡だね」と特徴のある字で彫られた短歌をよむ。

少し気どった感じで、インテリっぽいモダンな感じの彼の字を私は好きだ。


夫が少し高い場所にあがり「あっ海が見える」という。私も上がってみると、津軽海峡がひろがっていた。

急に曇り、風が吹く。ひらひら時たま舞っていた雪が、瞬間激しく降りかかる。

「啄木が、節子がよろこんでいる!よくここまでおいでくださったってね」と夫と話す妄想夫婦。


啄木よ おまえも見たか この海を
立待岬
雪は降りつつ



墓参りをすませ、坂を少し下って 立待岬たちまちみさきへと寄り、来た道を引き返してタクシーへともどった。タクシー運転手の方の案内で、啄木一家がひと時暮らした青柳町の住居跡、代用教員を務めた弥生小学校を見て、それから啄木座像のある啄木小公園へとむかった。
渋民村、盛岡、札幌、小樽、東京と足跡をめぐり、これですべてめぐったと、感慨深げな夫。


追われるように渋民村を出で、津軽海峡を渡ったここ函館で、函館大火で札幌へと移るまでの132日間を過ごす。 啄木21歳。 


午後5時すぎ 函館山 

山頂展望台からの夜景   
それから4時間、夜景を眺め続けることになった
今でも目を閉じると浮かび上がる夜景


二日目。 
柔らかな午前の光射す元町を散策。
 

カトリック元町教会の次に函館ハリストス正教会へむかう
凛とした午前の光が函館の風景にやわらかな陰影を与えていて 
それは素晴らしく美しい


この後、ランチに立ち寄る五島軒と興味深い関わりがあることは、
この時点ではまだ私たちは知っていない
歴史の織りなすストーリー多き町


前日タクシーで前を通りかかり、ここは内部まで見学したいと思った旧函館区公会堂


落ち着いたイエローとブルーグレイのコロニアル様式の建物は 
明治40年の大火による焼失後、住民と豪商・相馬哲平氏の寄付により建築されたものだそうだ


大広間はコンサートホールとして使われているということで
何とも羨ましい話


今回の函館への旅の一番の目的は、 五稜郭ごりょうかくを訪れることで、特にこれは夫の強い要望。
五島軒でランチを食べてすぐに、タクシーでまずは 土方歳三ひじかたとしぞう最期の地碑(若松緑地公園内)へ向かう。

手を合わせ、夫、壮烈な死を遂げた土方歳三への追慕に浸る
東京・日野、京都と足跡をたどり、五稜郭を訪れることで、ひとつの区切りになったと言う


旅の最大の目的の地、 五稜郭ごりょうかくを訪れる。
まず五稜郭タワーに上がり、眼下の星形要塞をながめる。 
歴史のスパンで考えると、たかだか150年前の壮絶な歴史を思う。

展望台からは函館山や津軽海峡、横津連峰の山並み、星形の五稜郭を見ることができる

五稜郭の歴史が学べる展示スペース五稜郭歴史回廊

お茶を飲んでから、わずかに残る雪をふみしめ五稜郭を散策。 
函館奉行所を見学する。 

 

幕末の烈士の血しぶき五稜郭
見届けし松
月たちのぼる


150年前の戰の詳細を知るのは、赤松のみという

午後4時 
五稜郭から向かったのが金森赤レンガ倉庫群

もうすぐ日没で黄昏たそがれと灯りの共演がそれは見事


ゆっくりベイエリアを通ってホテルへと帰り、5時半のシャトルバスで空港にむかった 

トラピストバターなどのお土産を買って午後7時35分函館空港を発ち、午後9時には羽田空港着。 

は~~るばる来たぜ函館 ♪
ではなく、函館はものすご~く近かった!

一泊二日 
幕末から明治の歴史煌めく函館への旅は、想像以上に深いものだった。帰ってから私たちは再び啄木や函館戦争の本を読みなおしている。

函館の地名を見ると、旅する前までは漢字表記された、ただそれだけの記号のような地名が、情景を伴って映像として記憶に残る。

旅はやっぱりいいものだ。


※日本における欧州料理の歴史の面白さに感動した五島軒の記事です。↯


※note 記事の短歌は夫が詠んだ短歌です。

※2016年12月11日~12日に旅したときの記事です。


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