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【考えることを考える】
【はじめに】
「考えなさい」「考えなさい」と
よく先輩等に言われたものですが
考えるとは一体なんなのか?
考えるという
よくわからないものを
頭の中でこねくり回しても
わからないまま時間だけ過ぎていく
よく考えるとはなにか
考えずに生きてきた
わからないなりに以下の問題を考えてみた
・知識と考察はまぜない
・考えるとはなにか
・どこまでを考えるというのか
・考えるとはどんなことをすればよいのか
【思うと考える違い】
・思うは「情緒的、一時的な思考」
・考えるは「論理的・継続的な思考」
思うは主観的な気持ちを思うこと。
好きな人とか故郷を思うとか
一時的に思い出すような印象
考えるは客観的に出た数字などを元に
自分の意見を述べること。
持続的な印象
【考えるとは「問い」が在ること】
「思う、感じる」と「考える」の違いは、“問い”が在ることが違いと言えそうです。
私たちは学校教育の過程で、問題集を解く宿題やテストなど“問い”があらかじめ用意された場面が当たり前に多すぎたため、“答え”を調べたり、暗記したりすることには慣れていても、自分で一から“問い”を立てることには、あまり慣れていないように思います。しかし、ここまでいろんな視点から探ってみた結果、「考える」ことの本質は、“問い”を立てることにあります。
教育課程で用意された問いに対しての
回答を用意するのではなく
日常生活で存在する「問い」を
自ら生み出し、答えることは考えることの本質と述べている。
新書や専門書でよくみる
What:そもそも考えるとは何なのか?
Why:考える力はなぜ必要なのか?その背景は?
So What:考える力を身に付けると結局何がいいのか?
How:具体的に考える力を鍛えるにはどうすればいいのか?
上記の思考の型は自身に問いかけるため
問いを生み出すための方法であると理解することができる
【「知識」と「考察」はまぜない】
考察は「知識や客観的事実から生み出した問い」であり、知識は「過去に他人が生み出した問い・問いに対する答え」であり、他人の考察となる。
他人の考察を用いて述べても
その人ではないので個性や深みがない
他人の考察と自分の考察を混ぜないことが
考察を深める上で必要なことだと思う。
【どこまで考えればよいのか】
考えるとは
「自ら生み出した問い」であると仮定すると
問いを生み出した時点まで良さそうであるが
一般的には問いに対して
自分なりの答えを求められることが多い
その答えの意味合いは
問い自体の質を高めるような意味があると
思われる。
考えるのは問いまででよさそうであるが
答えを用いることで良い問いができるのでは
ないかと考える。
【まとめ】
・考えることは客観的、持続的
・考えることの本質は問いをつくること(what,whyなど)
・考えることは他人からでた知識を用いて構成される
・考えるのは問いをつくるまで考える
【参考図書】
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