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秋ピリカ蔵出し大放出と、おまけ

はじめに

 秋ピリカグランプリでは過去最多189作品をご応募いただきまして、まことにありがとうございました。まさに実りの秋となりました。今回は読者賞もあって、よりたくさんの方が参加できたように思います。
 全作品拝見しまして、選ぶのは本当に悩ましかったです。
 とはいえ。
 「悩ましかった」とか「良い作品が目白押し」と言ったところで、それを社交辞令と受け取られる可能性も世間にはあるのです。ここじゃなくても、そういうことってあるでしょ? そこで、今回蔵出しをやるにあたりまして前々回、前回よりもたくさん放出します。アレだ、大放出します。
 なぜならば。
悩ましさを共有したいからご応募いただいた作品に改めて触れていただきたいし、タイムラインの過去へ流れ去るだけのものであってほしくないからです。

 ということで「このフレーズはあの作品じゃないか?」と思ったら、ぜひ思い出してみてください。読んでみてください。新しい発見があるかもしれません。やっぱりいい作品だな、と思うかもしれません(そうは言っても、探すのはちょっと大変かも?)。
 創作するものどうし、同じイベントに参加したことをきっかけに交流するのもまた、お祭りのおもしろさだとわたしは思うのです。

作品一覧はこちらから


 さて、参りましょうか。
 順不同でわたしのメモを並べていきます。今回は1作品あたりつぶやき約1回分(141.4文字)でした。昨日履歴をみましたら10/14には全作品へのメモ書きまでは終えていたようです。遠い昔のように思えますが1ヶ月も経ってないんですね。
 メモからの抜粋を大きく3つのカテゴリに分けましたが、厳密に分けられるものではない点、ご承知おきください。

※以下のメモはわたし個人のもので、ピリカグランプリ運営および他審査員の意見ではありません。

●メモ

- 作品の表現に関するもの

・紙という形ある存在があってこそ届くものがあり、見えるものもある。それが届くことでコミュニケーションにつながる。だれかの思いを掬い取ってつなげるのが紙の役割でもあり人の役割か。

・これは文学だ。ここではない世界観の構築。その世界観を読み手が体感すること。文学には自分が感知できる世界が全てではない、というメッセージが込められている。ありそうでなさそうな、なさそうでありそうなあわいの世界。

・作品は都度上書きされ、それは後戻りできない時間の堆積にも思われる。そのもっとも表層に上書きされるものがなにかによって現在の価値が決まると考えると、作品が人生のメタファーと解釈することも可能になる。

・人の性とはこういうものではないか。五感がバランス良く配置されていている。

・紙には人に言えないこと、言ってみたいこと、自分の中だけに秘めておきたいことが告白される。それが無邪気さや刹那的な感覚とも重なり、自分がかつてこどもであったという郷愁をも想起させる。そこに川はあるのに遣る瀬はない。

・紙の捉え方としておもしろいし、独自のストーリー性もある。最後の場面で音を想起させるところが幻想的であって、読後の余韻を残す狙いがある。

・中高生の精神世界がうまく描写されている。カミュの異邦人ではムルソーが自分の行動を「太陽のせい」にしたが、この主人公の振る舞いは「月のせい」なのかもしれない。「僕はゆっくり紙を下りることにした」という表現はおもしろいと思う。

・静かだった店内が賑やかになる展開には華やかさもある。

・描写にリアリティがある。過度に情緒的にならないひとときのやりとりにも過不足がない。最後のやりとりはお互いにその頃に返ったふたりだからできたものだろう。

・初めて聞くと「そういう話があるのか」と思ってしまう。切り絵とともに絵本とすれば印象深い作品になりそう。

・行動を正当化する自分と、そうは見ない他者とのギャップが書かれている。

・シリアスさからあっけらかんとした結末へ向かうプロセスに振幅があり面白い。

・ルサンチマンのようなものがうまく表現されている。視野狭窄に陥った立場からこのような決めつけが生じるのは世間でもよくある話か。

・天災によって紙の利便性に気付かされる着想と構成にはリアリティがある。

・自分のやりたいことに一生懸命取り組む姿勢が周りの共感を呼ぶことがある。その思いの一滴があればこそ願いが成就する。

・カレンダーを千切る様子は私の心情をよく表していて、「紙を千切る」という行為に感情を重ねる。その重なりが切ない読後感を生んでいる。

・「折り鶴の束をいくつか手に掬った」はうつくしい表現。

・白紙の意味が最後に明らかになるあたり、おもしろいと感じる。実写化するとよいものになりそう。そうなるとポスターには決め台詞が大きく印刷されることだろう。

・思いはさまざまなかたちで紙に乗るし、それが他人に届くこともある。紙や思いが別の形を持つとき、他人の心を打つ作品となった。紙に込めた念は人に通じるのかもしれない。

・書き手のまなざしはおそらく紙の向こうに向けられていて、それが作品全体の雰囲気を形作っているように思える。

・「ちいさい秋」の曲調を思わせる文体で、他の作品も読みたくなる。

・紙の名前を登場人物に当てはめる着想は個性的。こういうところから紙への興味が出ることがあってもいい。

・傍から見たら謎のスタンドプレーに見えることも、本人の中では十分筋が通っている。そして、つまらないことをやる者はいつも遠くからただへらへらするものだ。

・一見ムダなことに価値を感じる、そこにちょっとした背徳感やタブーのスパイスを効かせれば、ロマンという捉え方になるか。

・望みの方向がどちらに向くかによって希望と欲望との境目がわからなくなってしまうのかもしれないが、それは世の中においてよくあることで、決して滑稽ばなしではない。

・ショートフィルムとするとおもしろいものができそう。淡々とながれていく景色に感情もながされそうになる点が、後悔にも似た気だるさと心地よさを感じさせる。

・折り紙は鮮やかな思い出とともにあり、過去と現在をつなぐ道具でもある。

・紙は思いの伝達手段だがそうなるには言葉が付随する。そして言葉を静かに贈るためには紙が必要になる。

・こういう紙の見せ方もあるのか。「不安の雲が空気を食べている」はおもしろい表現。

・体験や経験を語りたくないという心情をわずかながらであっても想像させる文章であった。

・自分は他人から気に懸けられる存在であってほしいという人間の普遍的な願いが込められているように思われる。共感を生むとすればそこではないか。

・日常とは淡々とした営みの積み重ねである、という言い方もできる。袖ふれあうも多生の縁とは言ったものか。

・盗むという言葉を意図的に使っていて、これを一貫して使用することで全体からある種の緊張感が感じられる。

・紙がさまざまなものごとの間に入り込み緩衝材としてはたらくという発想は新鮮。

・地に足ついた文章に爽やかさがある。紙吹雪の降って来る様子が目に浮かび、その場に参加した気持ちになる。

・作品を書いて世の中へ放つことがそのまま、宛先のない花束をだれかに贈ることにもなるだろう。人間らしい知の営みを記述したともいえる。

・紙というところからその厚み、重さを日々の価値と結びつけようとした点は他の作品と異なっている。喪失から再生へのプロセスも時間とともにある。

・和紙を作る労力と、下されるおちゃめな指令とのギャップに脱力して笑ってしまう。そこがいい。

・紙で作られた街、そこでの出来事を通じて主人公自身に気づきがあった。最後の締めが効いている。

・献血ルームのパンフレットに載せると目を惹くものになるかもしれない。善意はひろがっていく。

・親の不満と子供の個性との対比。 共感する人は多いだろう。

・紙は過去であり証拠であり、形あるもののメタファーでもある。

・秘密を伝えようとすると、プリミティヴな手法がじつはバレないのかもしれない。

・ちょっとセコく、ちょっと優しいあたりが書き手の匙加減か。漫画になると面白い作品に昇華できそう。

・紙の本は過去と現在をつなげてくれるものであり、そのくたびれ具合が時間に実感を持たせる。

・紙を、書き留める対象ではなく、さまざまなものを吸収し受け止める対象として描かれた点が新鮮。

・認知症への理解は「恍惚の人」の絶望感からここまで来たか、と思わせる。

・「本当のところ」というのが厄介で、夫自身も何が本当なのか見定められていない。本当なんてないのだ、ということ自体が本当なのかもしれない。

・紙を通じて、束ねるということへの拒絶、しずかな熱が伏流している。世の中への眼差しでもあるし、他人への態度でもある。

・手紙のやりとりに要する時間は、相手のことを思う時間でもあり、自分を省みる時間でもある。紙を前にすると静かな時間を過ごすように思えてくる。

・このまま漫画にすると世界観が伝わるように思う。紙の捉え方としてこのような発想があったとは。予想の外側からものがたりがやってきた。

・人間に情緒はあるがそれを切り取って提示できるわけではない。であれば人間以外の存在に情緒が備わっているとしたところでそれを提示するのは極めて困難だと言わざるを得ない。

・紙は理解を深めるにあたり欠かせない背景として描かれている。表面だけの理解をしてもそれは「質感が違う」。


- 作品構成に関するもの

・今 - 過去 - 今とつなぐ構成で今を肯定する背景を読み手に見せる手法。

・心象風景を描写することで一見変わらない場面を以前と違って見せる、というのは伝える技術のある書き手だからできる。

・現実と非現実のあわいを感じさせ、終わりが冒頭につながる構造は面白い。安部公房的な雰囲気も感じる。

・同じフレーズを繰り返すことで、読み手のなかでは最初の風景が頭に残ったままだが、ものがたりは先へ進んでいる状況になる。同じフレーズなのに気づけばまったく異なる世界が広がっている。

・同じ行動、同じセリフが異なる時間、異なる立場から現れることで読み手へ印象付けることに成功している。

・ショートショートとしてどんでん返しがあり、読後感のインパクトもある。平気な顔をしていながら豹変するのは映画「ミザリー」を思い出す。

・記憶と今をつなぐ道具として紙が機能しており、さらに時間の流れを取り込んでいる。

・紙を介した心のやり取りの背後に第三者がいるというのは普遍的な構図だが、この手のやり取りを持ちかけるのは女性しかない気がする。

・紙を千切るのは、カタルシスをもたらすための一つの儀式と解釈できる。その音からか、破壊しているというある種の全能感あるいは背徳感からなのかもしれない。

・異なる印象を重ねることによって作品の世界観を作り出すのは創作におけるひとつの技術になる。

・緊張感を感じさせる展開。最後にその緊張が緩和する構成となっていて、読み手にものがたりがひと段落したと知らせる。この作品を読んだ人はみんな「おお、がんばれ」と思ったに違いない。

・言葉の捌き方には巧さを感じさせる。

・一生という観点でみたとき、モノローグから視点が人間に移ることで、恋文が魂をもった存在からモノとなったことを示している。


- 上記にあてはまらない感想

・まいった。シュールさと最後の落とし方が。参った。

・クリエイターの心の声を体現した文章にも思える。

・お祭りには、こういうわかりやすさがあってもいい。

・落ち着いた文章を読むと無彩色の淡い記憶をともに辿るような感覚になる。

・内情を知らない立場からするとほんとうにありそうな話にも思えてくる。

・時代が時代なら柳田國男が書き記しただろう。

・これは一本取られた。この作品にこそ和田誠の絵が必要だ。

・打首獄門同好会が頭をかすめた。

・深沢七郎的なものを感じる。

・実体をもった紙のことがみんな好きなんじゃないか、と思えてくる。

・のどかな風景の思い浮かぶ読後感。これが書き手の愛か。

・ここにあるような場は実在したんじゃないかと思ってしまう。昔なら実際に成り立ったのかもしれない。

・読み手を誘う文章になっている。

・瑞々しい景色が描写されている。

・深夜ドラマとしてみると、このあと何回シリーズになるだろうと想像させる。

・わかりやすさも読む上では大事な要素。

・紙の繋いだ不思議な縁は、読み手に人生の不思議さや豊かさを思わせる。

・創作とは文章に限らない。他人から提示されることで気づきが得られることもあるのではないか。

・登場人物が妙なところにこだわるあたり、読んでいて微笑ましく感じた。他にも良い作品を書かれることと思う。

・絵本のテイストで着地させている。おもしろい。

・紙には思いがこもるものだという印象を強くする。

・自分の手の届くところでものがたりを創作する楽しさがある。

・このような仕事をしてもらえる人はきっとしあわせだろう。

・ものがたりの海を泳いでいる気になる。

・書けるというのはこういうことを指すのではないか。紙には人の思いがこもるものなのだろう。

・筆力とはこういうレベルにあることをいうのではないか。

・楽しんで書かれたであろうと想像した。

・筆致のやさしさは登場人物の性格によるものとはいえ、書き手の文章への向き合い方でもあると想像する。

・このような高いレベルで書ける人が参加してくれることがありがたい。

・これから書こうとする一歩を踏み出せたとしたのならエントリーしてくれたことをありがたく思う。





●おまけ


「紙」から、昔ながらの風景に着想を得て少し書いてみました。皆さんの投稿前に仕上げていたものです。



紙漉きの朝

 曇りガラスを指でぬぐうと、青空の下に雪をいただいた山々が見える。今日も紙を干せばすぐ乾くだろう。冬晴れの日が続くと、柿も芋も干しているものがおいしくなる。

「おはようございます」
「あらおはよう、眠れた?」
 台所から声だけが聞こえる。保の妻だ。
「あっ、はい。ありがとうございます」
 早苗は朝の膳についた。向かいにはすでに保が座っている。
「少しは慣れてきたか」
「いえ、あの……はい、少しは」

「何がおもしろい?」
 言葉の少ない保から聞かれて、早苗はぐっと口ごもりそうになる。保の妻が茹でたほうれん草と卵焼きの乗った皿を持ってきた。寒い食卓で湯気が立っている。
「はい、あの……」
 早苗が黙ると食卓は箸を動かす音だけになった。保は卵焼きをひと切れ取って口へ運んだ。何か言わないと。
「あの……好きなんです」
 箸の動きが止まった。台所にいる保の妻の動きまでが止まって、聞き耳を立てているように思える。
「いや、えっとその、和紙を、紙を作るときの音が、……好き、なんです」
 言い訳じみた口調の自分が途中でいやになって、最後まで言えたかどうかわからない。
「そうか。どんな音がある?」
 ほうれん草に醤油をたらした。
「あの、楮をさらす水の音、さらさら流れ続ける音とか。ずっと聞いてたら、自分もさらさらってすすいでるみたいで。あと、漉き舟をかき混ぜてるとき。トロロアオイ、あっ、ねりって言うんですよね。ねりを入れたら、今まで元気よくジャッジャッて混ぜられてたのが少し落ち着いた音になって、漉かれるのを待ってるなって。そうやって静かになったのに、保さんの簀桁の上で、しゃーって滑るような音が鳴るんです」
 保は早苗の方を見ようともせず、たくあんで茶碗に残る白米を食べようとしている。変なことを言っただろうか。
「……あの音を聞いたら、背筋が、伸びます。いま紙が生まれるな、木だったものからいま生まれてるんだなって。だから」
 茶碗は空になった。熱い茶をひと口飲んで、保は鼻から息を吐いた。
「だから、そんな風に、なりたいなって、思い、……ます」
 早苗は握った両手をひざの上に置いたままそこまで言って、小さなため息をついた。肩がこわばっていた。保は思案顔で食卓を立ち、伸びをするとうなずきながら作業場へ消えた。朝食は早苗の前で冷めている。
「大丈夫よ早苗ちゃん。リラックス、リラックス」
 保の妻は早苗に茶を出して、保の食べ終わった食器を下げた。

 作業場の灯りがついて保の仕事が始まった。簾を水に馴染ませる音が聞こえてくる。
 食卓の早苗は簾桁の重みを感じながら一心に紙を漉いていく、頭の中で。さっき溶いてかき混ぜた紙料液を掬い、簾の目が詰まらないよう手前から奥へすーっと鏡のような面を作って、次に左右へ揺らして強さを与えるように。
 紙の生まれる様子を早苗はありありと思い浮かべている。

「早くしろ」
保の声が聞こえた。

(本文1186文字)



 紙漉きにクリエイターの創作プロセスを重ね合わせることを試みました。紫乃さんの連作にも後押しいただいて仕上げられました。

 また、これまでのピリカグランプリのお題(睡眠、灯り、指、鏡)を入れてみました。



わたしの秋ピリカはここまでです。
書くことで、読むことで、紹介することでご参加いただいた皆さま、改めましてありがとうございました。わたしも多くの優れた作品に学ばせていただきまして、感謝いたします。
また、運営の皆さま方は新しい試みも含めてさまざまなご苦労があったと思います。お疲れさまでした。ありがとう。そして、ちゃんと寝てください、マジで。


それでは皆さま、
よい創作ライフをお送りください。


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