ひと色さんの向こう側
金沢で生まれたひと色展が、大成功を収めた福岡開催を経て、横浜にやってきます。
いよいよ9/27から!
そもそものきっかけは金沢でのひと色展。
その次に、新聞記事にもなった福岡展。
先日、ご縁ありましてラジオに呼んでいただきました。ありがとうございました。「開催目前ス"ペ"シ"ャ"ル"」の形でひと色展に関するお話を少々させていただきました。
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収録から間をおいて、思ったことを少し。
たくさんの方がひと色展の原画に魅力を感じて、そこから新しいものがたりを生み出していきました。そのものがたりは文字の世界は言わずもがな、そこを軽く飛び越えて五感で感じられるものたちです。
イシノアサミさんの絵を描く技術がそうさせたのか、キャラクターの佇まいや単色のわかりやすさがひと目を引いたのか、あるいはそこに添えられたキャプションが心を動かしたのか。
振り返ってみますとたくさんの作品がイシノアサミさんの原画を介して緩く、あるいは強くつながっています。そこから新しい関係が生まれたり、思わぬ発見があったり。
SNSという場では、まず作品を目にします。ある意味「それを創ったのは誰か」が二の次になるようなひろびろとした空間において、作品そのものに直接ふれることがあたらしい創作へつながる、ということがあるのです。わたしにはそう思えるのです。
それは、現実世界において創り手を規定する、家庭での立場、社会での立場、年齢、背格好……といったいろんな部品とは無関係に、作品に直接ふれる体験がまずあるということです。
次に、作品にふれた体験が直接的にその人のこころを動かして、それがつぎの創作意欲につながるということです。
どういうことかというと、鑑賞者は作品にふれることで自然と創り手の人間性を想像します。なぜならそれを知ろうとしても作品以外にてがかりがないからです。そこで想像される(あるいは鑑賞者に創作された)創り手の人間性が、鑑賞者につぎの新しい創作をうながすのです。
ひとつのきっかけから自由に広がる創作がまた創作を呼んで、そのつらなりがひとつのコミュニティとなる。その中心には強いエネルギーをもった作品があるのです。
ちがう言い方をすれば、自分がだれかの作品に共鳴することによって、その作品に縁のあるひとたちと、ある種の共同体を自然発生的に形成することになるのです。その共同体は、作品の向こう側にある人間性をそれぞれに感じて、会ったこともない人とふれあうことの驚きやよろこびを共有するものになるでしょう。
わたしは、ひと色展を通じて、原画の向こう側、アートを生み出す源を垣間見たような気がしました。