セ虐から分かるペットの気持ち

セ虐とは何か

 セ虐という言葉はご存じだろうか。セヤナー虐待の略称で、セヤナーという空想上の生物を虐待する描写に対して言われる表現である。
百聞は一見に如かず、下記の動画を見て頂ければ、意味が理解できると思う。一部グロ描写があるので、視聴には注意していただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=oUtTDT92k80

 上記の動画は既に3.1万回再生されており、Youtubeやニコニコ動画では、このようなセ虐の動画が複数上がっている。一つのジャンルとして確立しているのである。
 これらの動画ではある程度、世界観が共有されている。共有されているのは下記の事項だ。
・セヤナーは現実世界に生息しているという事
・女性のボーカロイドが声を当てている事
・一定の知性を持ち、個体間で言葉の意思疎通ができる事
・小動物的な特徴を持つ事
 ゴキブリに近い生態を持ったり、無性生殖を行うような特徴を持つ等々動画によって生態は異なる
・セヤナーの生態を踏まえた上でのストーリーになっている事

これらの共通の世界観は誰かが決めたわけでなく、複数の作者が創作活動を行う上で、自然と共通認識となっていったものだと思われる。そのため、その設定が採用されるにはそれなりの理由があると考えられ、それを支持する視聴者がいるのであり、考察する意味のあるものだと筆者は考える。

セ虐の面白さ

 ではなぜ作者はこのような動画を作り、視聴者はこの動画を見てしまうのだろうか。セ虐に近いジャンルとして、虐待やリョナなどがある。

 人間は誰しもが攻撃性を秘めている。嫌いな人が傷つけばざまあみろと思うし、時に誰かを攻撃したくなる事はある。その欲望を満たすために、勧善懲悪の物語を楽しむことはある。勧善懲悪を物語ではなく、より直接的に物理的に楽しみたいために、虐待動画を見るのは納得のできるものだと思う。
そしてそれが性的なものに屈折し、虐待される対象が女性になったリョナである。

ではセ虐は何が良いのだろうか。もちろんボーカロイドに好きな事を言わせて、虐待好きやリョナ好きの人も多少は見ているだろうが、それならば、わざわざ架空の生物セヤナーを題材とする必要はないはずである。

私はこの理由はこれが我々の持っている世界観に認知的不協和をもたらすものだからと考えている。作品を通して、現実世界のありようを問いかける、ようは現代アートと同じだ。セヤナーを通して、我々のありようを問いかけているのだ。

セヤナーは現実を舞台にしてストーリーが進む、セヤナーはものにもよるが、現実の動物をモチーフにした特徴を持っている。紹介した動画では3点の生物的な特徴がある。
・野良セヤナーとしてもいるがペットとしても愛されている⇒犬や猫の特徴
・殺セ剤を用いて駆除されている⇒ゴキブリの特徴
・街のごみ捨て場のごみを食べている⇒カラス等の害鳥の特徴

犬、ゴキブリ、カラス、いづれも我々の身近な生物だ。そのような身近な生物がある日、言葉を話し始めたら我々はどう感じるかというのがテーマである。しかしながら、犬猫がそのまま日本語を喋っていては、あまりに直接的でつまらないので、エビフライが好物等、ユーモアでカモフラージュをしている。 

他者の気持ちは分からない

 我々は他者の心理を真に理解できない。同じ人間なら、同じ身体的特徴があるので、想像力が働くが、犬の感情を人間は本当に理解できるだろうか。
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは環世界という、概念を提唱した。

すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。
(事例)
 マダニというダニの一種には視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚がすぐれている。この生き物は森や茂みで血を吸う相手が通りかかるのを待ち構える。相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸の匂いによって感知される。そして鋭敏な温度感覚によって動物の体温を感じ取り、温度の方向に身を投じる。うまく相手の体表に着地できたら手探りで毛の少ない皮膚を探り当て、生き血というごちそうにありつく。この生き物にとっての世界は見えるものでも聞こえるものでもなく、温度と匂いと触った感じでできているわけである。しかし血を提供する動物は、ダニの下をそう頻繁に通りがかるわけではない。マダニは長期にわたって絶食したままエサを待ち続ける必要がある。ある研究所ではダニが18年間絶食しながら生きていたという記録がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C

 餌の為に18年間待つマダニの気持ちを我々は分かるだろうか。人間だったら、18年も布団の上にいるのは気が狂うだろう。マダニの脳波を測定する等科学的な手段をもってすれば、睡眠をとっているから、何も考えていないだろうと推測はできるだろうが、マダニの専門家でもなければ、何を考えているのか分からないだろう。
 では、ペットに対してはどうだろうか。答えは否である。我々は猫の気持ちに寄り添っているようで、猫の気持ち、環世界は理解できないのである。
 スコテッシュフィールドという猫がいる。この猫は耳が折れ曲がっており、丸い顔をしているため、可愛いと評判の猫であり、HIKAKINにも飼われている有名な猫である。

 しかしながらHIKAKINがこの猫を飼い始めたことで炎上した。理由は猫がかわいそうだからである。この猫の耳が折れ曲がっているのは、遺伝性の欠陥を持っているからで、生物本来の特徴ではないのである。また、スコティッシュフォールドは熊のプーさんのような後ろ脚を前にだし、背中を丸めた姿勢をよくとる。この姿勢が可愛いとまた評判らしい。しかしながらこの姿勢は骨が弱く、足の痛みから逃れるために普通の猫とは異なるこの姿勢を取るらしい。飼い主は可愛いと感じるが、普通の座り方をしたいのにわざわざ座りにくい座り方をしなければならない。
 人間に例えるならば、会社でその方が可愛いからと言って、ヒールを履くことを強要されるものだろうか。加えて例を挙げるならば、中国には纏足という文化がある。幼少期から足に布を巻かせて、大人になっても足が小さくなるようにするのである。当時の人は小さい脚は美しいからという理由でやっていたらしい。

 どうやら我々人間は、愛らしさを感じる時に当人の感情はあまり優先していないようだ。

ペットの気持ちが分かっても飼い続けられるだろうか

セ虐は我々が動物の気持ちを分かっていないという事を突き付ける。身近な生物のモチーフであるセヤナーが日本語を通じて、犬やゴキブリ、カラスの気持ちを代弁する。その時、あなたの愛犬を家族だと思う事ができるだろうか。クジラや家畜が人間と同じ感情を持っているとしても、食べ続けるのだろうか。

 筆者は20年間飼育を続けていた亀がいた。池の中で飼育していたので不自由はさせておらず、大切にしていたつもりだったのだが、先日大雨によって池の水が冠水した時に逃げ出してしまった。飼育環境に不満を持っていたから逃げ出したか、あるいは何も考えず本能として出ていったのか、しばらくしたら戻ってくるつもりだったのかはもはや不明だが、結局何年経とうと他の生物の気持ちなど分からないのである。



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