市民を雇わない国家
どうも、犬井です。
今回紹介する本は前田健太郎先生の「市民を雇わない国家: 日本が公務員の少ない国へと至った道」(2014)です。本書では日本の公的雇用が欧米先進国と比較して極めて小さいことを指摘し、その理由を政治制度や経済制度の違いに求める制度論の切り口から説明しています。また、公的雇用と女性の社会進出の関係にも言及し、その内容は非常に充実したものとなっています。それでは、以下で簡単に内容を書き綴っていきたいと思います。
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日本の小さな政府への道
特殊法人、独立行政法人、地方公社、非常勤職員なども含めた日本の公務員の数は、他国先進諸国と比較しても非常に低い水準にある。(野村総合研究所 2005)
このことは、日本の公務員が他の国よりも何倍も働いているということではなくて、公的部門以外の主体が公共サービスの供給を担っているということ意味している。
実のところ、公的雇用が少ないという傾向は、すでに1960年代から始まっていた。人口当たりの公務員の数が、他国先進国は1990年ほどまで上昇傾向にあったにも関わらず、日本は1960年代からほぼ横ばいである。
では何故日本が公的雇用の拡大を抑えるという政治選択を行ってきたのだろうか。これには、二つの方向から考えることができる。
それは政府による上から働きかけと、国民による下からの働きかけである。しかし、戦前は経済の発展とともに公的雇用が拡大しているのを鑑みるに、ここでは下からの圧力というよりは、上からによるものだとする考え方を採用する。
それを次章で詳しくみていく。
人事院勧告の給与制度
公務員数の拡大が抑制されてきた理由として、日本が人事院勧告を中心とする公務員の給与制度を採用しているため、他国のように政府が財政上の都合で一方的に公務員の給与を抑制することができなかったことが考えられる。
この給与制度は、マッカーサー書簡と政令201号に基づく官公労組の弾圧を通じて作られたものである。それではなぜこの制度が定着したのだろうか。占領終結後に人事院を廃止することはできなかったのだろうか。
実際に、人事院は政府・与党にも野党の政治基盤である労働組合にも評判は悪かった。それにも関わらず、この制度が生き残ったのは、改組の方向性が与野党で一致しなかったことにある。
政府は公務員の労働基本権を制約したまま人事院の独立性を弱めることを提案したが、野党は労働基本権と団体交渉を復活させることを求めて反対した。政府側は労働基本権を回復した場合に労働運動の攻勢が強まることに対する懸念から、こうした要求に応じることはなかった。その結果、与野党ともに人事院勧告制度には不満でありながら、現状を変更する提案には同意することができなかった。
そのため、高度経済成長期、度々国際収支が赤字となっていた日本は、為替制度を維持するために政府支出を抑える際は、公務員の給与を抑制が難しいことから、総定員法などで公務員の数を抑制する選択を取ることとなった。
ブレトン・ウッズ体制以後の行政改革の維持
ブレトン・ウッズ体制下において、為替制度を維持するために、公務員数の抑制が選択されたのはみた。それにもかかわらず、国際収支問題が解消された後も行政改革が進められたのだろうか。
その理由は二つ考えられる。
一つ目は、石油危機を契機とする1970年代の世界的な不況に伴う財政状況の悪化である。つまり、不況対策として巨額の財政出動が行われた結果、公務員の人件費増加に伴う財政の硬直化を避ける必要があるという状況は変わらなかったのである。
二つ目は、早いタイミングで行政改革が開始されたこと自体の影響である。つまり、行政需要の拡大に対して、民間企業や公益法人に業務を委託するなどの間接的な手段による公共サービスの供給を行う仕組みを確立したことが、引き続き公務員を低い水準に維持することを可能にしたのである。
前者は財政状況が好転しだい解消するが、後者のメカニズムは一度開始されればサービスを供給する主体が生み出され、その仕組みの維持がしやすくなる。つまり、後者のメカニズムが働く限り、行政改革の成果は持続しやすくなるのである。
公的雇用と女性の社会進出
日本の公務員は数は少ないものの、人事院勧告が機能する限りは金銭的には不利益を被ったわけではない。むしろ、最も不利益を被ったと考えられるのは、他の国であれば公務員になれたにも関わらず、日本で公務員になることのできなかった女性たちである。
なぜなら、資本主義経済下では、個人間の不平等に加えて、エスニシティやジェンダーなどの社会的属性に基づく集団間の不平等も生じる。そのため、国家が公務員として身分保障を与えることは、家庭内での男性に対する従属的関係によって出産や育児による労働市場からの退出を強いられる女性に持続的な雇用機会を提供すること意味する。
また、長期的な男女の平等化が推進されるためには、女性全体の政治的な組織力を向上させる必要がある。そして、そのような組織の基盤として戦後の先進諸国において最も重要な役割を担った勢力は、間違いなく女性労働者であった。
女性の組織化を行う上で、公共部門の雇用は非常に大きな役割を果たす。保育所や介護施設などの福祉サービスの供給拡大によって女性の労働参加が可能になれば、それらのサービスに対する需要が一層増大し、その需要は主として女性の雇用を通じて満たされるからである。
さらに、公共部門においては労働組合組織率が高いため、女性の組織化を推進し、それによる女性の政治的動員可能性を高める。
ところが、日本は公務員の数が少ないことに加え、公共事業や農業部門の保護など、受益者が男性に偏っている。また、我が国の場合は、民間企業の解雇規制による正社員の保護が、逆説的にではあるが、長期勤続の難しい女性を労働市場から締め出す働きを持ってきた。
OECD労働力統計のデータでは、やはり、公務員数の多い国において労働参加率が高く、家事労働が少ないことが示されている。公務員が少ない日本が、先進国で最も女性の社会進出が遅れていることは決して偶然ではないのである。
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あとがき
日本の公務員の数が少ないメカニズムと、そのことが女性の社会進出を妨げていることを示す、大変素晴らしい著作でした。
ところで以前、京都で、ジェンダー論で著名な方が講演なさるということで、実際にその講演会に足を運んだことがありました。その際、先生は、女性の労働参加率の低さは日本型雇用に原因があり、そのシステムを変える必要があるとおっしゃっていました。
ありがたいことに、講演の最後、質問の機会を得ることができ、私は以下の質問を投げかけました。
「日本型雇用にはしっかりとした利点があるのにも関わらず、新自由主義者が政権を握っている現在、日本型雇用を変えようと動けば、正規職員の賃金を非正規職員の賃金に合わせるとったネガティブ方向に改革がなされるのではないか。また、女性の社会進出を促すには、公務員を増やすことが有効ではないか」
私の質問に対し、先生は、
「そうした方向に改革を進めないようにするのが政治の役割であり、また、公務員を増やすというなら、その財源はどこにあるのか。そして、公務員が増えたら女性の社会進出が進むという主張は、風が吹けば桶屋が儲かるような主張である。こうした改革は民間を通して広めていくのが必要である」
という反論をいただきました。私はその反論に対し、時間の制約から反駁する機会を得ることができませんでした。しかし、私は先生のこの反論に対し、どうも納得ができませんでした。
第一に、新自由主義者の改革(=構造改革、小さな政府など)を止めることができていないのが今の政治ではないか。
第二に、財政制約の問題は存在しないのではないか。(このことはまた後日noteで詳しく書こうと思います)
第三に、公務員の数の少なさが女性の労働参加率の低さと関係があるという研究が実際になされているではないか。
第四に、民間を使って広めていくという発想は、新自由主義者と変わらないではないか。
と考えてしまうからです。勿論、私が勉強不足であることから生じる稚拙な反駁ということはあるのかもしれません。
先生から最後に、
「それだけの問題意識を持っているのなら、これからもっとしっかりした答えにたどり着くことができるよ」
という、励ましの言葉をいただきました。これからも、公的雇用のみならず、女性の社会進出についても、もっと理解を深めようと思います。
では。
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