社会はなぜ左と右にわかれるのか
どうも、犬井です。
今回紹介する本は、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』(2014)です。この本は、2012年に出版された『The Righteous Mind: Why Good People are Divided by Politics and Religion』を全訳した書となっています。
本書の構成は、第一部では、道徳的な判断が理性と情動のどちらに主軸が置かれているかを分析し、第二部では、第一部をもとに、自身の「道徳基盤理論」を提唱し、これを用いて、保守のリベラルに対する優位性を指摘し、第三部では、道徳がどのような進化過程を通じて発達してきたかを考察し、さらに道徳の持つ長所と短所を明確にしています。
それでは以下で、簡単に内容を書き綴っていきたいと思います。
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まず直観、それから戦略的な思考
人は理性的に思考する能力と、文化的な学習や手引きに大きく影響を受けた道徳的な直観(情動も含む)能力を持ち合わせている。これら二つのプロセスはどのような関係にあるのだろうか。プラトンは「理性が主人」と、ジェファーソンは「<頭>と<心>は、平等なパートナーである」と、ヒュームは「理性は情熱の召使である」と主張する。私や他者の研究の結果は、ヒュームの考え方が正しいことを示すものが多かった。
以下、わかったこととして、
1. 心は、「乗り手(=理性に制御されたプロセス)」と「象(=直観的なプロセス)」という二つに分かれる。「乗り手」は「象」に仕えるために進化した。
2. 直観で判断した正誤を、理性で正当化しようとする。理性の正当化が失敗したとしても、直観の判断を変えようとはしない。
3. 道徳的な思考は、仲間を獲得したり、人々に影響を与えようとする。
4. 道徳や政治に関して、誰かの考えを変えたければ、まず「象」に語りかけるべきである。直観に反することを信じさせようとしても、その人は、あなたの論拠を疑う理由を見つけようとする。
しかし、直観的にこれらのことに嫌悪を感じている人にとっては、これからいかなる証拠を持ってしても、「直観主義は正しい」という主張を受け入れないであろう。
道徳基盤理論
味覚が下を刺激する甘さ、辛さなどの基本成分からなるように、道徳は人の心に訴えるいくつかの基本要素から構成されると考えられる。その基本要素は、社会生活における重要な「適応課題」に結びついている。その適応課題とは、「子供を保護する」「相互依存の恩恵を得るために、親族以外と協力関係を結ぶ」「他の連合体に対抗するために自分たちの連合体を形成する」「階層別のもとで自らの地位を確保する」「人々が密集してクラスと急速に伝播する病原体や寄生虫から自分や親族を守る」の五つである。
これら適応課題をもとに、私たちの道徳基盤の受容器は、
1. <ケア/危害>・・・例)介護、親切
2. <公正/欺瞞>・・・例)公正、正義、信頼性
3. <忠誠/背信>・・・例)忠誠、愛国心、自己犠牲
4. <権威/転覆>・・・例)服従、敬意
5. <神聖/堕落>・・・例)節制、貞節、敬虔、清潔さ
によって、構成されていると考えるのが有力である。
また、とりわけ近代以降の適応課題として、「機会さえあれば他人を支配し、脅し、抑制しようとする個体とともに、小集団を形成して生きていかねばならない」が挙げられる。これをもとにして、
6. <自由/抑圧>・・・例)博愛、平等、自由
も追加する。
リベラルはなぜ勝てないのか
共和党政治家や民主党政治家のスピーチによく使われる言葉の分析と、保守主義者やリベラルが重んじる道徳基盤の分析の結果、上の道徳基盤理論をもとに、リベラルがなぜ勝てないかを説明できる。以下では、保守主義者とリベラルの道徳基盤の違いを説明する。
<ケア/危害>、<自由/抑圧>基盤は左右を問わないが、とりわけ政治的左派に見出される様々な道徳観が、強く依存する傾向を持つ。これら二つの基盤は、貧者に対する思いやりと、社会を構成するサブグループ間の政治的な平等の追求を重視する、社会正義の理想を支持する。
<公正/欺瞞>は、比例配分と因果応報に関するものであり、人々が努力に見合った利益を確実に手にできるように、そして働かざるものが分不相応な利益を得られないように配慮することと関係する。この特性は、左右問わず配慮するが、とりわけ、保守主義者が重視して、比例配分に限定した意味での<公正>基盤に大きな比重をおく。
残り三つの道徳基盤、すなわち、 <忠誠/背信>、<権威/転覆>、<神聖/堕落>基盤は、党派による違いが大きく現れる。リベラルはこれら三つの基盤に関して、よくて曖昧な態度をとる程度だが、保守主義者はそれらを強く擁護する。
これより、リベラルは<ケア/危害>、<自由/抑圧>、<公正/欺瞞>の三つ、保守主義者は六つ全ての基盤に依存すると言うことができる。
実際に、共和党政治家や民主党政治家のスピーチの中でも、共和党政治家は全ての道徳基盤に訴えるのに対して、民主党政治家は、とりわけ<ケア/危害>や<自由/抑圧>に訴える傾向にある。また、民主党政治家は、直観的な「象」に訴えるよりも、理性的な「乗り手」に訴える傾向が強く、特定の政策やその恩恵を強調することが多い。そのため、共和党政治家の方が民主党政治家よりも、全ての道徳基盤に依拠して人々の直観に訴える術を心得ていると言うことができる。
建設的な議論をするために
道徳は、人々を結びつけると同時に盲目にする。「それは反対陣営に属する人々のことだ」と思う人もいるだろうが、そうではない。わたしたちはみな、部族的な道徳共同体に取り込まれてしまうのだ。一つの神聖な価値観の周りに肩を組んで集い、なぜ自分たちはかくも正しく、彼らはいかに間違っているかを説明し、合理化する議論を繰り返す。わたしたちは、異なる見解を持つ人々が、心理、理性、科学、常識に対し盲目だと考えたがるが、実のところ、自分たちが神聖とみなす何かに話が及ぶと、誰であれ目がくらんでしまうのだ。
もし、よその集団を理解したいのなら、彼らが神聖視しているものを追うとよい。まずは六つの道徳基盤を考慮し、議論の中でどの議論が大きなウエイトを占めているかを考えるのだ。多集団のメンバーと、少なくとも何か一つの物事に関して交流を持てば、彼らの意見にもっと耳を傾けるようになり、もしかすると集団間の争点を新たな光の下で見られるようになるかもしれない。
当然、同意できない場合もあろう。だがそれによって、たとえ見解の不一致は残ったとしても、二極化を脱して、より違いを尊重し合える建設的な関係を築けるのではないだろうか。
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あとがき
著者のハイト自身は生粋のリベラルではありますが、保守主義の研究のためにデイヴィッド・ヒュームやエドマンド・バークなどを読んで、彼らの考え方に同意せざるを得ない部分が多々あることを認めており、研究対象に関して非常にフェアな態度を貫いています。そうした態度が、彼の知性に裏付けられた記述力の高さもさることながら、彼の主張の正当性をより強化しているように思えます。
さて、実際にハイトの研究の成果を用いて、日本の政局の分析を行ってみるとどうなるでしょうか。
まず、前提として、日本ではどの党が、保守政党、リベラル政党に当てはまるかを確定させることが必要です。その場合、日本では、自民党がいわゆる保守政党であり、その補完勢力が日本維新の会となるでしょう。一方で、日本共産党がいわゆるリベラル政党であり、その補完勢力がれいわ新選組となるでしょう。
また、もう一つの前提として、言葉の再定義が必要です。私は、ハイトが用いた「乗り手(=理性に制御されたプロセス)」と「象(=直観的なプロセス)」という言葉を、「政策のポール」と「ナショナリズムのポール」に言い換えて考えてみたいと思います。
これらを前提とした上で考えると、やはり自民党が「ナショナリズムのポール」を55年体制以降、維持していると言うことができるでしょう。自民党は、長い間、他国ではリベラル的な政策とされるものも上手く取り込みながら、与党としてその地位を維持しています。一方で、「政策のポール」は日本共産党が持ち続けています。1990年代以降、自民党や旧民主党などの政党が、新自由主義を軸に中道化していった中で、一貫して労働者のための政策と、アメリカからの独立を主張し続けてきました。
こうした二つのポールを自民党、日本共産党の両党が持ち続けているために、他の政党は差別化を図っても勢力を維持できなかったり、日本維新の会やれいわ新撰組のように補完勢力以上の地位を獲得することができません。
勿論、今の自民党が保守政党かという疑念はあると思います。平成以後の、新自由主義改革路線の延長線上に今の自民党があるのは明白であり、現政権は歴代の自民党政権でも一、二を争うほどの対米従属をとっています。政策だけを鑑みれば、日本共産党の方がよっぽど保守政党と呼ぶにふさわしい。それでも、各党首の中で誰が一番ナショナリストにふさわしいかと問われれば、多くの人が「安倍首相」と答えるのではないでしょうか。
天皇制などの伝統を尊重し(=権威)、改憲を試み、韓国にも強く出て、左翼と対峙している様(=忠誠)は、確かに一見するとナショナリストに見えます。そして、世論にそう思われるための演出も十分であり、だからこその長期政権なのでしょう。これらを踏まえれば、国民のナショナリスティックな道徳基盤に訴え、政権を維持している今の自民党はクレバーと言えます。
一方で、日本共産党は、掲げる政策はどの政党よりも優れていますが、急速に力をつける中国を前にして、憲法9条に拘り、国民が抱いている危機意識の直観に反している限り、支持を拡大させることはできないでしょう。支持層的にも、その姿勢は崩さないでしょうから、日本共産党が政権を取るのは難しいでしょう。
これらを踏まえれば、今の日本には、日本共産党のような政策を携えつつ、自民党のように、国民感情に訴える主張をする政党に欠けていると言えます。そして、望むらくはそうした政党が次の政権を担ってほしいと考えています。
では。
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