新興アジア経済論
どうも、犬井です。
今回紹介する本は、末廣昭先生の「新興アジア経済論――キャッチアップを超えて」(2014)です。本書では、新興アジア諸国の経済発展に焦点を当てているのは勿論ですが、社会発展にも光を当てることで、「躍動するアジア」というイメージとは異なるアジアの現実を示すことを課題としています。
終章では、日本がアジア諸国といかに協力していくのかにも言及しており、「疲弊するアジア」と真摯に向き合った著書となっています。それでは、以下で、簡単に内容を書き綴っていこうと思います。
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歴史の中のアジア、世界のアジア
19世紀前半は、アジア経済が世界を圧倒していた。1820年当時、アジアは世界のGDPの59%を占め、欧州の32%を大幅に上回っていた。当時、大半の国は付加価値生産の低い農業に依存していたため、世界人口の68%を占めた人口のサイズが、そのまま経済規模の大きさに直結したことが起因している。
やがて、工業の著しい進展が、人口のサイズと経済規模の緊密な結びつきを断ち切り、1950年にはアジア地域は世界の15%と、過去最低の数字を記録した。
その後、日本の躍進で73年には20%台にまで回復し、輸出の拡大、特に製造業の発展により、98年には北米と肩を並べ、2015年にはアジアは、北米・欧州を抜いて再び世界最大の経済地域になるとされている。
したがって、21世紀前半は「アジアの世紀」の到来ではなく、「アジアの世紀」の再来と呼ぶのが適切である。
キャッチアップ再考
キャッチアップとは、後発工業国が主として技術面で、「後発性の利益」をうまく利用しながら、先進国の所得水準との格差を縮めていくプロセスを指す。特に、IT分野では、新製品や新技術を開発した先導企業が10年や20年は享受するはずの「先行者の利益」より「後発性の利益」が優先する現象が起きている。下の図でいう、左上から右下への移行が起こる傾向にあるからである。
例えば、日本企業がこれまで競争力を発揮してきた他分野は「クローズド・インテグラル」の世界であったが、部品のモジュール化と業界企画の標準化の進行により、「オープン・モジュラー」の世界では、例外なくNIESの後発企業や中国の後々発企業に日本企業はグローバル市場で敗退し、シェアを失っていった。
また、かつては製品知識と生産技術のノウハウは、設計と製造を同時に担当する特定のメーカーが独占していたが、企業独自のコア技術の製品知識と製造ノウハウをカプセル化して、汎用品として外部に提供すると同時に、コア技術と関連製品を結びつけるインターフェイスの標準化とその仕組みのオープン化も進めていった。
加えて、それまで企業内に秘匿していた技術ノウハウを、リファテンス・デザイン、パラメーター・リストの形で外部メーカーに提供していった。その結果、それほど高い技術力や製品知識を持っていない企業でも、組み立て工程に容易に参入できるようになった。
こうして、ブラック・ボックス型の技術体系を持つプラットフォーム・リーダーを除く従来の設計・製造企業は、利益厳選の領域を大幅に狭められた上、業界規格の標準化によって大挙参入してきた新興アジア諸国の後発企業と、熾烈な競争を迫られることとなった。
しかも、組み立てレベルでの激しい競争は価格の急速な下落を引き起こし、巨大なグローバル市場が誕生するという因果関係が生まれた。
社会発展なき成長
新興アジア諸国は、ここ30年の間で着実に貧困人口を減らしてきた。特に中国の貧困人口比率の低下ぶりは目覚ましく、1980年の84%から2000年には36%、2008年には13%と劇的な低下を示した。
しかし、貧困の問題は解決しても、経済不平等の問題は解決していない。最上位20%の所得合計を最下位20%のそれで割った倍率(クズネッツ比率)は、この20年の間で、NIESも、新興アジアも、拡大してたことがわかる。特に中国では1990年の5.1倍から2008年の9.6倍に大幅に悪化した。
また、NIESと新興アジア諸国に限ったことではないが、正規・非正規労働者間の経済的不平等の問題もある。これらの国々では、「圧縮された工業化」に由来する原因、例えば、労働者保護の適用の不徹底さや労働契約概念の未定着などの問題もあり、より深刻化している。これによる所得格差は、教育費などでより顕著に現れ、「教育機会へのアクセスの不平等」も引き起こしている。
「課題先進国」日本の役割
2011年現在、先進国の代名詞であるOECD加盟国の一人当たりGDPは3万6000ドルである。もし仮に、アジア諸国が7%という相対的に高い成長率を今後続けた場合、韓国は9年後、マレーシアは22年後、中国は30年後、タイは31年後、ベトナムとインドは48年後となる。思った以上に時間がかかるのである。
成長率7%を維持するためには、絶え間ないイノベーション、産業構造の高度化、生産と労働の効率性の向上など、不断の努力が必要になる。一方、この期間に、新興アジア諸国は、進行する高齢化社会に対応し、経済的不平等の拡大を解消し、多様化するリスクを管理することが求められる。
アジアは高い経済成長率の追求ではなく、「社会発展を伴った成長」を目指していくことが求められるであろう。
また、こうしたアジアの情勢の中で、日本はどう位置取りすべきであろうか。「工業先進国」として先導的な役割を果たすと言い切るには無理があるが、「課題先進国」としての協力というのは可能ではないだろうか。
日本はエネルギー利用について、世界最先端の効率性を誇る。また、産業公害や環境問題では試行錯誤を繰り返してきた。高齢化社会への以降もアジアの中でもは最も早く、そのため医療技術を発展させてきた。過去、様々な問題に直面し、失敗も経験してきた日本の姿は未来の地球の縮図であり、その意味で「課題先進国」である。
課題に対して、ただ傍観するのではなく、解決策を追求する「課題解決型先進国」に転換していくこと、これこそがアジアにおける日本の役割だと考えられる。
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あとがき
新興アジア諸国がいかにして技術と生産能力を獲得してきたかの議論は、私にとっては目新しいものであり、大変興味深かったです。坂本雅子先生の「空洞化と属国化―日本経済グローバル化の顚末」と合わせて読むと、日本企業の現状について、より理解が深まると思われます。
ところで、先日、衝撃的な記事を読みました。韓国に1人当たりGDPや労働生産性で日本が追い抜かれたという記事です。あと数年もすれば追い抜くだろうとは思っていましたが、こんなに早いとは想定外でした。
経済成長だけでなく、社会発展にも目を向けるべきであるというのが本書の主張であり、私も同意するところですが、それでもやはり、この記事の内容には動揺せずにはいられませんでした。
しかし、考えてみれば、本書が出版された2014年以降、「課題解決型先進国」に転換することもなく、それどころか、直面している課題の原因を議論することもなく、橋本_小泉_第一次・安倍政権下で追求された政策を、なおも推し進めてきた結果であるとすれば、当然の帰結なのだと思われます。
処方箋とは〈pre-scription〉 、つまり、あらかじめの規定(過去や歴史)があってはじめて、分析や方針が生まれるのです。
我が国がこのような状態に陥っている原因を、複雑に絡み合った過去や歴史の中から一つずつ精査して解明していくという、地道で難解な取り組みがなくては、課題の解決策など生まれるわけがないのです。
では。
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