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今日のぼくの良かったところどーこ?(2)

満たされている子

次男は年中や年長の頃など、親が手一杯になっていると、気がついたら一人で布団にくるまって、両手を頭の下にして、天井を眺めてはニコニコしているような子だった。

次男は良く言えば全く手がかからず、助かることも多かった。しかし、それにかまけて放置していてはいけないと、次男が布団にくるまっていると、夫が「ぼーっとしていないでもっと本を読みなさい」と声をかけるようになっていた。

私はこのぼーっとしていられることが逆にすごいことの様に思えて、子供の特権というか、子供の時くらいしかぼーっとしていられないのだから、思う存分ぼーっとしたら良いではないかと思っていた。

それに次男はそれが心地良いわけだ。布団にくるまって天井を眺めて幸せそうにしている保育園児というのは、なかなか可愛い光景でもあった。

親の方がぼーっとする才能がなくて、あくせくしてばっかりだ。むしろ次男を見習っても良いのではないかとすら思っていた。

次男には長男とは別のアプローチを取る

次男については現在、親が最大限のリソースを使って家庭での学習をみてやっている。次男は反復練習や復習も大切にしながら、忘却曲線を意識して2日後、数週間後、数ヶ月後、と少し間隔をあけて記憶の定着を図るような学習方法が有効だと考えている。

夫のほうは次男が保育園児である頃に、ひらがなやカタカナを教え始め、音読もさせながら一人で本が読めるようにと取り組んでくれていた。

次男は今は小学校の低学年で、最近だと『銭天童』を音読するのを夫が横で聞いてやって、内容が取れているか質問して確認したりしている。夫の働きかけのおかげで、次男は上手に本が読めるようになり、理解も申し分なく質問にもしっかり回答できるようになった。

夫は常々、次男は親の方から働きかけて、きっかけを作ってやったほうが学習の効率が良いだろうと言い、実際に実行に移していた。

少しでも興味を示したら、鉄は熱いうちに打てで、あらゆることをしてくれていたと思う。例えば次男が保育園児の頃に、戦国武将に興味を示したら、『レジェンド48』というカードを買って、このカードに書かれた数字を使って対戦し、数の大小や合計の出し方を教えてくれていた。

我が家は長男を育てた経験上、漢字もなるべく早く読めた方が、読みたい本も自由に読めて幅が広がると思っていたため、次男が漢字に興味が出てきた頃に、『モジカルモンスター』というゲームを買って遊んでやっていた。他にも遊びながら学べるものはいくつか購入した。どれも夫が一緒になって遊んでやっていた。


もともと次男は左利きだったこともあり、私の勝手な思い込みかも知れないが、親にはない感性を持っているような気がしている。

次男は、アート的と言えば良いのだろうか、絵を描いた際の色彩、文字を書いた時の書体そのものに心を和ませるものがあって、親としてはそこに何か感じる物があった。

それで、一体これを、どこにどう繋げてやれば良いのか親の方に土地勘がない。それに、次男がそこを同じように発展させたいと望むかどうかも不明だ。

そんな中でも直感的に、これは良いかもと思うものは取り入れていた。例えば、NHKの『デザインあ』はよく見ていた。

この番組から着想を得て、「文字ハンティング」を夫と次男が実際にやってみた。これは、街にある文字を探すアクティビティで、例えば、「ゆ」なら、郵便局の「ゆ」を写真に撮る。ひらがなを全て異なるお店の看板や標識等々から見つけていく遊びだ。

これを丸一日かけてやった。最終的には全写真を印刷して切り抜いて50音に並べて、台紙に張り、表紙には街の絵を描いて一つの作品に仕上げた。

実際、圧巻である。色とりどりの、様々な書体による50音表ができた。父親の愛情と、この時間を共に過ごしたことが何よりの思い出になったのではないかと思う。

(3)につづく