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ずっと応援していたい
前回noteでは、成功体験によって長男が加速したことを書いた。
その直後、次男が悔しい経験をしたことによって、奮起した出来事があったので書いてみたい。
この2つの出来事を通して、何がきっかけで人が加速するかは分らないものだということを子供達から学んだ気がした。
文章を書くことに苦手意識があった
遡ること1年前、次男は作文や読書感想文で苦戦していた。正解のないもの全般に抵抗が見られた頃で、作文は正解がないにも関わらず添削があるということは正解があるはずと意識し過ぎたのか手が止まってしまっていた。
国語の授業でねずみ2匹に適当な名前をつけて物語を創作する課題でも、まず、ねずみに名前をつけるところで苦戦したようだ。チュー太とチュー子とか何でも良いのだ。ネズミAとBでも構わない。この課題では先生に名前を決めてもらってようやく書くことができたと聞いている。
心理的なものがストッパーになっている気もしたが、そこはどうしてよいかすぐには分らなかったため、取りあえずテンプレートに沿って書く練習をさせてみようと夫が型を作ってみた。いつ、誰が、何を、どうした、そして自分はどう思ったのか、のような型である。
すると次男はこの型にはめる”処理”はすぐに出来るようになった。しかし困ったことに、「どう思ったのか」の部分が「面白かった」の一辺倒になってしまった。
「面白かった」以外の言葉を使って書くようにと伝えると、また手が止まっていたと思う。語彙力の問題かと思わなくもなかったが、一度”正解”したものなら安心して使えるという安心を優先させている様だった。
正解はないということを伝えて、しばらく練習を続けたのだったと思う。休んでは再開してを繰り返し、一進一退だった記憶だ。
読書感想文の鬼現る
この鬼とは夫のことなのだが、夫は日頃より次男の読書量が少ないことを気にしていた。正確には嘆いていた。読書さえしていれば書けるし語彙力も上がるのにと言っていたと思う。
そしてその夫がこの夏、次男に一日2冊の読書と感想文を書くことを課したのである。ちょうど学校からの夏休みの宿題で読書感想文が含まれていたこともあり、宿題は2,3冊書けばよかったが、目標50冊でスタートした。
次男は漫画であれば没頭して読んでいたが、読書感想文に際しては漫画以外の本を選んだ。漫画だと夫が首を縦に振らないということもあったが、目的が絵に頼らずしっかり文章理解をすることであったため、一般的な本を選んでいる。
本選びも夫が熱心にやっていた。一冊の分量があまり長くないものを選んでいたと思う。次男が楽しんで読めて読書感想文もすらすらと書けていたのは以下のキダマッチ先生シリーズだった。大人が読んでも面白い本だ。
書けている
去年の今頃のことを思うと、次男はずいぶんと文章が書けるようになっていた。年齢に伴う成長もあるのだと思うが、型に囚われすぎていた昨年とは違った。
もしかしたら夫がコツを教えた効果もあるのかもしれないが、基本的には最初に次男が書いたものにアドバイスするという順番であったため、何も書けなかった頃からは大幅に成長していた。もしかしたら去年から積み重ねてきた読書も多少効果があったのかもしれない。
上達を感じた理由の1つは、冒頭に書く本の要約がよくまとまっていたこと。それを読めば、最後の感想がなるほどと思えるようになっていた。
実際の感想文は現在提出してしまって手元にないが、例えば「Aさんは自分も〇〇だったにもかかわらず、Bさんのことを心配して△△していました。Aさんは自分のことよりも友達のことを大切に思っていて、□□だと思いました。」のように本の内容と感想がよくわかるようにまとまっていた。
親からは接続詞の使い方や、「Aさんは〇〇しました。」を「〇〇したAさんは、」とすると展開し易い事もあるといった運び方のアドバイスをしたまでで、次男の一番最初の原文でも言いたいことは十分わかるレベルに達していた。
また次男自身、語彙に気を遣うようになっていた。例えば、自分の言葉で要約するときに、「竜巻に飲み込まれた?巻き込まれた?竜巻だと何て言うんだっけ?」という質問をしてきたことがあった。アウトプットを迫られたことで意識に上ったのだと思う。
そこから「竜巻に襲われた」という表現もあることや、津波の場合だと「飲まれる」や「流される」と表現するという話もできたのは成長を感じた瞬間だった。
執念
ここまでできるようになったら上等と気を抜きそうになる所だが、夫はそのようなことはなかった。この夏オーストラリアに旅行に行ったのだが、まさかの旅行中も感想文を継続したのである。
旅行に本を持っていくと重いため、事前にタブレットに電子書籍を入れておいて、それを現地のホテルで次男に読ませていた。
旅先での読書感想文の相談を夫から受けた際にはうっと思ったけれど言わなかった。もうここまでくると本気と言うか執念であろう。
肝心の次男が嫌がらないのであれば問題はない。旅先では1日2冊のペースは難しいが、2、3冊は読んで感想文を書いていた。でもやっぱり次男は私にこっそり心のうちを伝えに来たけれど。
次男:あのさ、読書感想文いいんだけどさ、旅行の時にも書くってのは、ほんのちょっとだけ旅行の気分を害しちゃうよね・・w
私 :だよね~wでも、それ言うと、もっと旅行の気分を害することになるから言わなかったんでしょ?w
次男:(ニヤニヤ)
奮起のきっかけ
読書感想文は夏休みが終わるまでが一旦の目途であった。ところが、次男がある日、本を読み終えた後に読書感想文を書いている姿があった。そして父親にこんな話をしたそうである。
次男:僕、どうしてまだ読書感想文書いてるかわかる?
夫 :どうして?
次男:読書感想文、学年で選ばれた人のが文集に載るんだって。そこに僕選ばれなかったんだ。
夫 :そっか。でもすごくよく頑張ったし、よく書けてたよ。間違いなく上達してたよ。
50冊以上も読んで書き上げたわけだから、やりきった感と頑張った自負があったのだろう。
親からの働きかけでやり始めたことだったにも関わらず、よく頑張ったし、悔しいと思えたという事はいつの間にか自分事になっていたのかなとも思った。
悔しさをバネに前を向ける次男はこれからも大丈夫だろう。