塾のあれこれ(6)厳しい世界
厳しい世界
受験は試験一発勝負で決まる。厳しいなと思う。狭き門に向かって大勢の子達が何年間も勉強して挑むわけだ。この光景を思うと何か異様なものすら感じる。恐らく、その裏にいる親の狂気を感じ取ってしまうからだろう。
我が家は長男の場合は、最終結果がどうなるかは別として、本人の自主性に任せて見守るのが今は一番良い状態になっている。しかし、隠れてゲームをすることがこれ以上増えると監視が必要になるかもしれないし、他にもやりたいことがある中で、勉強と息抜きとのバランスが難しいなと感じる。
厳しさという意味では、受験以前に塾が既に厳しい世界であることを知った。希望したら入塾出来るわけではなく、体験授業では塾側も生徒を選んでいる。
長男が通う個人塾については、一学年10人前後しか取らない。講師の数を考えると、これが限界のようだ。よって、体験授業の後に、入塾を許可される子と、断られる子がいる。ある意味では誠実な対応だろう。
また入塾した後に辞める子もいる。宿題は多いし先生も厳しい。食らいついていける子のほうが少ないかもしれない。長男は塾から帰ると「今日も大いに楽しんだ」と言うが、通い始めてから一年くらいは辛い辛いという日の方が多かったかもしれない。
我が家には下にまだ二人いるが、この子たちが受験する場合には、それぞれの適性や希望も踏まえて改めて塾選びのところから考えてやらないといけないと思っている。
トレードオフ
塾に通うと膨大な時間を塾に関することに費やすことになる。
宿題が多すぎやしないか、他の習い事や遊びの時間が取れないが、子供の体が持たないぞ?と何度も思った。
過去問から考えて網羅すべき範囲を特定したら、これくらいやらないと間に合わないということなのだろうが、小学校3年生くらいから毎日勉強ばかりするというのは少々異常だよなと思う。
それに、受験する学校側も、別にこういった状態を望んでいるわけではないと思うのだが、違うだろうか。様々な要因で結果的に過熱が避けられない事態になっているのだろうと思う。
長男は、もともとピアノ、水泳、英語、バスケをやっていたが、塾が始まってからはピアノと水泳を辞めた。ピアノは塾に関係なく続けるのが難しそうだった。水泳は四泳法をマスターしてタイムを競うレベルまで来ていたので、一応目標達成だった。塾からはバスケも難色を示されたことがあるようだが、親の方で運動を続けさせたくて辞めていない。
それでも週末にテストが入ったり、塾の授業があったり、どうしても宿題が終わらないからと、英語とバスケも休まなくてはいけないことが増えた。一旦辞めた方が負担が少ないかもしれないと考え始めている。
本当は、もっと他の経験もさせたいと思っているが、なかなかできない。勉強するだけが勉強じゃないというのが我の家が考えるところで、基礎学力はもちろん大切なのだが、本物に触れる体験や、実験なり、自然と触れるなりの時間を、本当はもっと作りたいと思っている。
例えば城に興味があるなら城めぐり、化学実験がしたければ材料を買ってやってみる、電子顕微鏡でさまざまな鉱物や素材を拡大して観察する、料理をする、一緒に絵を描く、等々、子供がやりたいと言えばやっていたことは、長男については現在ほとんどお預けになった。
読書の時間も圧倒的に減ってしまった。塾は子供が暇にならないように終わるか終わらないかのぎりぎりの量の宿題を出す。よって読む暇が無い。
長男は宿題をやる前に、「今日もし早く終わったら、僕料理したい!」とか、色々言うのだが、99%できない。でも「まぁ中学入ったら色々やれば良いからね」と自分で納得するように切り替えている。
本当は、長男については、そんなに机にかじりついていなくても、読書するだけで様々なことを吸収するため、読書時間が減ることはもったいないなと思うことがある。理科や社会で先生から「なんでそんなに知ってるの?」と訊かれるそうだが、間違いなく読書の効果だろう。
それに、反復練習も、長男にとっては必要以上の分量をやっているのだろうと思うと、ここが減らせたらもっと違う事に時間を使えるのになと思うこともある。
もし今でも反復練習に苦しみ続けていたら、塾に様子を伝えて量が減らせないかと相談していたかもしれない。実際、塾の他のご家庭で、宿題の量について相談された方もいたようだ。
一方で、塾に行くことで、自分だけで勉強していたら、きっとやっていなかったであろう分野を学べることもあるそうだ。長男に訊いてみたところ、同じ勉強するなら、もくもくと一人でやるより、先生の話を聞いて進める方が圧倒的に楽しいのだそうだ。
息抜き
長男が息抜きで勤しんでいるものがいくつかある。最近はコーヒー豆を挽きたがる。ある時、挽いてあるコーヒー豆を買ったつもりが、間違って豆を買ってしまった。ならばと燕三条で作られたコーヒーミルを買ってみたら、挽き心地が良かったようで、長男はこれを挽くのが好きになった。
少し前までは、滑石(高蝋石かもしれない)を切り出すのをよくやっていた。よく図工でハンコ(てんこく)を作るのに使われる石だと思う。彫刻刀とやすりも揃えて黙々とやっていた。
手のひらサイズの重量感のある石を買っていたので、何を作るのかと訊いたら、小さく切り出したいと言う。ならば最初から小さい石を買ったら?と言うと、夫と長男に白い目で見られて「切り出したいの」と言われた。
一生懸命切り出して、やすりでつるつるにしていた。こういう無になれる行為は心が落ち着くらしい。私の誕生日に「お母さんプレゼント」と言って渡してくれたのが、この石で作った小さな小さな棒だった。爪楊枝くらいの太さで、長さは2センチくらいのものだった。柔らかくて折れやすい石を、丁寧にやすりがけしてプレゼントしてくれたようだ。
粉が飛び散るからいい加減にしてくれとか、整理整頓が苦手な長男に毎回片付けるようにうるさく声かけをしていたのだが、長男がプレゼントを一生懸命作っていたのかと思うとじーんときた。
石の方は、やはり粉が問題となって、申し訳ないが代替案を探してくれとお願いした。あとは彫刻刀も出しっぱなしになることがあって、下の子が踏んだりでもしたら非常に危険だった。この辺りは長男も理解してくれたようだ。そんなこともあり、たまたま間違ってだが、コーヒーを豆で買って良かったと思っている。