入学式で感じた強烈な違和感「漢字が書けても書かせないでください」(3)
違和感の所在
入学したばかりの一年生が困らないように、周りがひらがなを使うことはもっともなことだと思う。問題は、漢字の読み書きができる子に対して、読めない子のために制限をかけているが、その事について先生たちが何ら問題として捉えていないことだ。むしろ正当化しているし、漢字を書くことは悪と考えている印象すらある。
それは、漢字を書いた子に注意をしたり、叱るということが起きていることからも明らかだと思う。子供が「漢字を書いてた子が怒られてたよ」、「漢字で書いたらひらがなにしてくださいねって言われるんだよ」と言うのだ。
(※次男の話によると、休憩時間に自由帳に漢字を書いていたら、それは褒めてもらったことがあるらしい)
Win-Winより学校の考える正しさを優先することの弊害
漢字が書けても書かないのと、漢字で書くけどふりがなをつけるのと、どちらがWin-Winかと言えば、後者だと思っている。けれど、ふりがなをいちいち書くのも面倒で子供たちはやらないだろう。そうすると漢字禁止令を出すしかないよねという話になってしまうのかもしれない。
しかし、小学校1年生に、他の子のために漢字を書かないようにとの配慮を迫ることは本当に正しいのだろうか。やる気や喜びを潰してまで禁止して良いとする合理的理由は何だろうか。困るという意味では、読めない子も困るが、やる気を削がれる子も困るわけだ。
しかし、やる気や喜びを潰すことについては必要悪として正当化されているように見えるのだ。学校で漢字を教え始めるまでは、漢字が書けることは表に出すべきではないと考えているように思うのだ。
入学式で配られるノートや教科書は漢字とふりがなで名前を書けば、子供たちが配るときも問題にならないだろう。テストやプリントなどは先生が直接返却すれば、ひらがな、漢字、カタカナ、アルファベット、等、子供たちが日頃相応しいと思っているものを選ばせれば良いのではないだろうか。テストやプリントの答案については、漢字で回答したって良いと思うのだ。
次男の時は親からひらがなでの記名を推奨した
次男の時は、年長の終わりの頃からそれとなく学校の状況を説明しつつ、最初はひらがなを使おうねと伝えるようにしていた。次男も自分の名前や1年生で習うような漢字は年長さんのときに書きたがったし、自分から練習して少し書けるようになっていた。「名前」は特別なものがあるのだろう、我が家だけではなく、他のお友達も名前だけは漢字で書ける子が少なからずいた。
それで次男には、漢字で書けることはすごいことだと褒めに褒めた上で、事情を説明して教科書やノート、テストもひらがなで書こうねと話をしていた。
ひらがなを推奨したのは、端的に、説明もなくあたかも漢字を書くことが悪いことであるかのように先生から注意される状況を防ぎたかったからだ。せっかくの意欲が損なわれることだけは親としては避けたかった。それにどうせ禁止されるなら、予め丁寧に説明して、想像させて、というプロセスを踏んだ方が良いと思ったのだ。
本当は葛藤もあった。周りの子も含めて漢字で書いていたら、お互いに興味を持つようになって、そこから自然に漢字が読めるようになるといったこともあっただろうと思う。
杞憂かもしれないと思っていた
それでもここまでのことをする必要はなくて、もしかしたら次男のときは漢字で色々書いたからといってとやかく言われないのではないかとも思っていた。なので、入学式で全体への要請がされた時は、これが学校という組織全体での一貫した価値観なのだということを本格的に知ることになって大きな衝撃を受けたのだった。
それに、今や直接先生たちが子供に説明しなくて済むように、入学式で親に要請してしまっていた。このやり方に誰も何も疑問を感じないのだろうかと、とても違和感を感じた。
(4)につづく