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入学式で感じた強烈な違和感「漢字が書けても書かせないでください」(2)

面談で訊いた

小学校という場所での親としての初めての面談だ。印象が悪くならないようにと最大限に気を遣いつつ、夫が切り出した。「ところで、テストに漢字で名前を書いたらひらがなに直すようにと書かれていて・・・」

すると先生から、漢字で書くとまだ読めない子がいて、当番でノートを子供たちが配る際などに、漢字だと読めないために配れなくて困るのだということを教えてもらった。

色々こちらも想像していた。それで、あぁやっぱり他の子が読めないというのが一番の理由かと思うと同時に、想像したけどやっぱり腑に落ちなくて確認せずにはいられなかった我々は間抜けかもしれないとも思った。

でもしかしだ、それならふりがなを付けるように声かけをすれば済むはずで、なぜ漢字を禁じるのだ?

先生からはさらに、「次の学期からは漢字も習いますので、習った漢字は使って名前も書けるようになります」と伝えられた。

ん?ということは、高学年にならないと習わない漢字が入っている子は、ずっとひらがなで名前を書き続けると言うことなのだろうか?ふと疑問に思った。高学年になっても、まだ中学で習う漢字だから書いてはいけない等とやるのだろうか?自分の小学生の頃を思い出してもどうだったか思い出せなかった。

小学校の間に1,000字くらい漢字は習うわけで、そのうち習ったか習っていないか把握不可能になるだろう。うっかり中学校で習う漢字を書いてしまったらどうなってしまうのだっけ?

なんとなくこんな疑問が浮かんできて、参考までにという感じで訊いてみた。先生としては、高学年にもなるとさすがにそこまで細かく管理しないのではないかと言っていた。

我が家としては、とにかくこれでは学びたい意欲を削いでしまうのではないかと懸念していることだけは伝えた。先生はこの点について分からなくはなかったのだろうが、さて困ったなぁという感じで対処方法が分からないと言った空気感を出していた。

この件については、長男には当面の間ひらがなで書くようにさせますと言っておしまいにした。

これが我が家にとっての初めての学校カルチャーショックだったのかもしれない。みんな一斉にスタートすることが正しく、遅れても進みすぎてもいけない。それが出来ない人は問題のある人として見られることになる。

目の敵ではなく右腕に

因みに、まだ習っていないことをやったりすると、出来ることをひけらかしていると思われることがあると思う。感情的にこれが嫌だなと感じて指導したくなることもあるのだろう。でもその感情って優先して良いのだっけと考える必要がある。逆の立場でそれをされて嬉しいだろうか。それに、大人が名前を書いてと言われたら当たり前に漢字で書くのと同じ感覚で、小学生だって書いているかもしれない。

また、どんどんできてしまう子に対して、ネガティブな感情を持つというのは教育者としてあってはならないと思う。先生が肩身が狭く感じることもあるだろうし、教えづらいこともあると思う。例えば英語なんて、教えられない先生が今はほとんどか、教えていても力不足に悩んでいる先生は多いのではないかと思う。教室内に外国語ネイティブの子がいたり、子供の方が発音も何もかも習得が早くて教える側が毎回恥ずかしい気持ちになるなんて事はあちこちで起きているのではないかと思うのだ。

それでこういうことは予め想定した上で、教師には覚悟を持って挑んでもらいたいのだ。こういう時は、出来る生徒を目の敵にするのではなくて、どんどん活躍してもらって右腕にすると(もちろん目立ちたくない生徒の場合はまた別途考えるとして)。Win-Winだろう。日本全体にとってもこっちの方がよほど良いと思っている。

先生が素直に力のある生徒を認めて活躍の場を与えれば、人格者としての一面を見せるチャンスにもなる。不毛な争いも発生しなくて済むとも思う。生徒に頼ってみれば良いじゃないかと思っている。

(3)につづく