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note記事の評価について
さて、モチベーションに関わる、評価をどう考えるか。
noteで記事を書いていて、どういう形になればゴールかという疑問にぶち当たってしまう。
「全体レビュー」と言うのは、あまり意味がない数字だという記事を読んだ。
実際そうなのかもしれない。ただ表示されるだけで、あまり意味のあるものではない、と書いてあるのをよく読んでいる。
けれども、それはそれで1つの価値があるものではあると僕は思っている。
表示されてなんぼであるからだ。
その表示のされ方は、様々な方法があって、単純に運が良かったと言うこともあるだろうし、みんなが注目する話題であれば、すぐにその数は増えていく。
そればかりを追求しようとすると、結局自分が何を書いているのか、何のためにこの記事を書いているのかという問題に突き当たる。
だからそこを突き詰めてはいけない。
あくまでも書く動機がある状態をキープしながら、その中で記事をたくさんの人に届けるという発想で間違いないと思う。
次にピックアップされるのは、「スキ」の数である。
それとともに、「コメント」の数もあるかもしれない。
これは毎日更新している人でも、何週間に1回更新すると言う人でも、フォロワー数によっても、かなり変わってくる数値である。
この数が多いから、多くの人に読まれている、受け入れられているというのもやや違う。
暗礁に乗り上げている。
では、一体どうなれば、noteを書いて良かったと思えるのか。
それは、結局のところ、自分がこの記事を書いてよかったと思えたこと、それに過ぎないのではないか。
noteを書き始めて、1年ちょっと経つが、最初の頃、ほとんどその全体レビュー数もスキの数も何もなかった。(いやそれでも無名のものが書く文章に対してちゃんと読んでくれる人がいることがnoteのすごいところだ)
それが続けていくにつれ、徐々に増えていくから、それはそれで楽しいと思うか、結局のところ、いくら数が増えようかの初期の頃の、ほとんど10人ぐらいしか読んでいないのではないか、いや、あるいは誰も読んでいないのではないかという状態の頃の1つのスキと、コメントとその嬉しさは同じものであると今でも思う。
この記事を書いてよかった、と思えるのは、自分が読み返して、その時の気持ちや、その時考えていたことを、その時聞いていた音楽を思い出したなら、それはこの文章がこの世に残ったと思える。