これからも出会うことがないあなたへ。
こんばんは。
本日、8月12日。ちょうど2年前に私は初めて心療内科を受診し、「適応障害」の診断を受けました。
2年前の今日はどん底を這うように生きていました。
どうして自分は普通に仕事ができないんだろう。他の同期はいいな。今日はどうやって仕事休もうかな。何もやる気がしないな。生きててもしょうがない。死にたい—。
そんなようなことを毎日思いながら辛うじて呼吸をしている状態でした。
そして、ついに心身共に限界を迎え、受診する運びとなったのです。
あの頃は本当につらかった。
私は心の隙間や慰めを求めるように本を読んだり、音楽を聴いたりしました。
でもそこに書かれてあるものは、「止まない雨はない」のようなものばかり。決してその本や歌、言葉が悪いわけではない。その言葉を受け止められるだけの心の余裕すら、その時の私にはなかった。
気分転換にとYoutubeを観るも、検索履歴には「適応障害」「うつ病」「休職期間 過ごし方」「自殺方法」などが残されていました。
今思えば考えられないのだけど、麻ロープの括り方を調べるほどには追い詰められていました。
これを読んでいるあなたが、もし死を考えるほどに追い詰められているとしたら、「死にたい」と思うことは悪いことじゃないと思うのです。
日々が、人々が全て敵に見えてしまう。
この夜がずっと続けばいいのに。朝なんて来なければいいのに。と思う夜。
あ、この言葉をかけてほしかったんだ。と気づくこと。
自分を何度殺してやろうと思ったことか。
生きている意味や価値。己の無力さ。
雨の日は自分の心とシンクロしているようで落ち着いたこと。
様々な思いがその時にはありました。
この経験をしたからこそ、簡単に「生きていればいいことがある」なんて生半可な言葉は書けません。だからといってこの世になくなってもいい命なんてあるはずがありません。
もしこれを読んでいて、今どうしようもなく辛いという方に何か届くものがあれば幸いです。
もしよかったら、眠れない夜に、またここで会いましょう。
それでは。