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シングルマザーががんサバイバーになった話-1

冬休みにしたいことをホワイトボードに書き出したせっかちな小学生の息子とふたりで暮らすシングルマザーのわがぶたです。

リモートワークをしている我が家は、小学校から帰宅後、私が仕事を終えるまでの息子への連絡事項をホワイトボードに記入しています。
この時間には宿題をしてね、この時間にはお風呂に入っておいてね、とタイムスケジュールを記入できるホワイトボードのおかげで急な残業が発生した日でも19時には息子は寝る準備まで終わっています…!
ホワイトボードにも息子にも感謝の日々です。

さて、今回からは私の身体にがん細胞が見つかってから手術・入院を終え、日常に戻るまでの闘いを綴っていきたいと思います。

とはいえ前回記載の通り、未だに後遺症の治療も予防治療も続いてますので、闘いは継続しています。
私の経験が、どなたかのお気持ちを楽にしたり、寄り添えたりできれば、これほどうれしいことはございません。

今のところ何部構成になるか明確に申し上げることはむずかしいですが、お付き合いいただけますと幸いです。


11.10
市のがん検診に行きました。
持病はありましたが、比較的ここまで健康体で過ごしてきたので、お恥ずかしながら初めてのがん検診でした。

実はこの頃、購入マンションの下見に行っていた時期でした。
賃貸で痛い目を見たので、雀の涙ほどの貯金しかありませんでしたが数年の内に小学校と中学校の学区内への引越しを余儀なくされている我が家としては、早めに持ち家を買おうとすぐに動き出していたのです。

転職の時期的に健康診断も1年しておらず、団信への加入のためにも、と市からの健診封筒を初めて開きました。

すると近くの総合病院で、ちょうど子どもの学校行事で半休を取っていた日が空いているとのことで、予約を取りました。
1時間ほどで検診を終え、あとは数日後に迫ってきていた子どもの誕生日の準備をしようとしていました。

そして訪れた検診日。
子どもの学校行事で、引っ越してきて数ヶ月でお友達と戯れ、歌って踊っている姿に感動してからの病院です。
もうさっさと検診を終わらせて、プレゼント購入のために行くべき場所も決めていました。検診までの時間に飾り付けも買ってあり、風船膨らませるの久しぶりだな、できるかなぁ、なんて待合室で仕事を進めていました。


名前が呼ばれ、超音波検査です。
妊娠時のあれか〜くらいで、すぐに終わるだろうと思っていました。
右胸のエコーがすぐに終わり、左胸も同じくらいの時間だろう、と。

待てど暮らせど、超音波検査が終わらない。
挙句の果てに、看護師?さんが入れ替わり立ち代り、少なくとも3人の方が超音波検査をしてくださいました。

パソコンに出ている時計を盗み見たところ、検査が始まって既に30分以上経過していました。
そしてジェルを拭き取り、「このまま乳腺外科外来を受診しましょう」と言われました。

パソコンの画面には、黒くて丸い影がありました。

「ここでは、悪性腫瘍だと決められません。検査をして、大丈夫であればそれでいいので」

急にそんなことを言われても、と私はまだ子どもの誕生日プレゼントを買いに行くことを諦めていませんでした。
事の重大さが全くわかっていなかったし、悪性腫瘍?なにそれ、治る?レベルの知識しか持ち合わせていなかったのです。(本当に無知でお恥ずかしい…)

結果的に当日急には外来の予約もできず、1週間後に再検査となりました。
とはいえ本当にこのときは「我が子頑張ってたし、ドーナツ買って帰ろ〜」くらいの余裕がありました。
なんなら手術までは本当に元気で、国家が私をはめてるんじゃないか、とまで思っていました。(ミステリー小説の読みすぎです)

看護師さんに「来週までネットで検索はしないでください」と釘を刺されたことは私の意識に深く残りました。
恐怖で病院に来れなくなって、結果的に治療が遅れてしまうことが割とあるそうです。
心配をしていただいた上で申し訳ないのが、私、心配性ですが、それほど繊細な性格をしていないので翌週まで「間違いでしょう。授乳中に何度か乳腺炎なったしね」くらいの気持ちでした。
それよりも誕生日!と我が子が好きなハリーポッターの飾り付けに勤しんでいました。


11.16
この日はマンモグラフィでの検査をしたのですが、めっちゃ痛かったです。
元より肉付きなく、ない肉をかき集めて機材でプレスするという文字に起こしてても痛みが蘇ってきます……。

そして結果が出て、女性の先生だったのですが端的に説明をしてくれました。

「腫瘍であることには間違いありません。ただ1cmにもなっていない小さな腫瘍で、また悪性とも言いきれません。次に行うべきは細胞検診です」

付近で細胞検診をしている場所が1つしかなく、今からそこへ行ってくれ、と言われました。
正直、結果と治療スケジュールを聞いてこの日は終わると思っていたので、職場には2〜3時間ほど遅刻しますと伝えていたのですが、それを全休に変更いただき、細胞を取りに行きました。

なぜお医者さんが診察スケジュールを焦っていたのか、その理由を後で私は知ることになるのですが、この時点で通院のため1日半休んでいるので内心かなりヒヤヒヤイライラしていました。


細胞検診は、乳腺クリニックで行いました。
がん検診をした病院の先生が開業したクリニックで、普段はそこに居るとのこと即日予約が可能だったわけです。

麻酔をして、菜箸ほどの太さの針を胸に刺し、内部でバチン!と破裂したような感覚がします。
麻酔が効いていたのでその時は痛くなかったのですが、身体の中でなにかがゴソゴソ動いている君の悪さがありました。
そして麻酔が切れた当日の夜から、痛みが走り、翌日は左腕を使わずに仕事をしました。

このとき細胞検診をしてくださった先生に
「血縁者にがん罹患した人がいないんですが、なにがいけなかったんですか?」と聞きました。
すると先生は、「そうだねぇ、その質問よくもらうんだけど」とエコー画面を見ながら話をしてくれました。

「誰も、なにもいけなくないんですよ。細胞って、コピーを続けているの。仕事で100枚とか1000枚コピーしてたら1枚くらいは変なの混ざるでしょ?それと一緒で、細胞のコピーのバグなんだよ」

「なにかのせいにした方が楽なら一緒に探しますけど、それで幸せになった人見た事ないので。コピーのバグなら『仕方ないかぁ』って治療に前向きになれませんか?」

2回言ってもらったくらい、このお話にささえられました。
正直、治療つらかったです。
検査薬も合わずに病院で4時間寝ていたときもありました。手術前の検査の段階で、です。
手術後の生活もしんどいです。

でも、このときの先生の言葉思い出して「誰のせいでもないし、やるしかないか」と思えます。
 

細胞検診から2週間、無事に(?)悪性腫瘍と診断がおりました。
治療は築地の国立がんセンターでお世話になることになりました。

この日から、私の長い闘病生活が始まります。
風邪をひくのも2〜3年で1回、体調不良で休んだのはインフルエンザ罹患時くらいでした。

今では、月に半分出勤できていれば御の字です。薬が合わなさ過ぎて、リンパ浮腫もひどく、副作用と後遺症と戦う毎日です。

でも、誰のせいでもないので!
子どもの成人式を見届けるまでは、なんとか生きます。遠くを見すぎると疲れちゃうので、それくらいの力の入れ具合です。

次回は、子どもに打ち明けたときの話をしようかな、と思います。


お読みいただき、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!
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