奥の院 里見ノ五輪塔案内
高野山金剛峰寺奥の院。
一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道と墓域が続く。古来日本では、この世とあの世の境に「川がある」とする因習がある。この川を橋を渡る事で、あの世へと渡れるのだ。また、川を渡る事で身の穢れを祓い落とすという考えもあった。
奥之院では3本の川を渡り仏の浄土(聖地)へ至ることができる、とされる。俗物でも、最後は綺麗に禊を終えているのは嬉しい。
里見忠義と正室と娘。三基の五輪塔が高野山奥の院に存在していることを知る者は、限りある処である。一般的には知らないし、八犬伝を史実と勘違いしている人からみれば知りたくもない情報。ゆえに周知されることもなく、各種メディアでも取り上げないし、話題にさえされない。よって知らない人だらけ、になる。
そこが、とんでもない一等地だとしても、
顧みられないことが歯痒い
よって、このたびは奥の院里見氏供養塔をご紹介したい。
奥の院とは、高野聖による勧進や納骨の勧めにより参道沿いの約20万基を超す石塔(供養塔、墓碑、歌碑など)が立ち並んだ聖域。最奥の御廟橋を渡ると、空海入定の地となる。無論、撮影禁止だ。伝説によると、空海は62歳で座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入った。今でも高野山奥之院で生きていると信じられている入定信仰があり、お務めとして食事も定刻に運び供えられる。
弘法大師御廟 とは、 空海が入定留身の地。ここが奥の院の特区という観点でいけば、そこに近い場所や見通せる地点は一等地と呼んでいいだろう。
あらためて里見家の五輪塔を検証する。
右側が弘法大師御廟。
玉川にかかる、通称「無明橋」とされる御廟ノ橋も描かれている。
それを正面として、左手へ入る区画がある。手前左手に「最上里見家」があるが、これは本命ではない。
ちょっと入って左手にあるのは……!
そこからクランクを繰り返した一番奥に……!
織田信長供養塔の奥。やや山の手。弘法大師御廟や歴代天皇供養塔を見下ろす高台に、里見忠義・その正室・その娘の五輪供養塔があるのです。
このことを、広く知られていないのが残念でなりません。
施主 肥前国唐津
城主 大久保加賀守
藤原朝臣任公之
御姉 東丸殿
桃源院殿
為
仙応妙寿
大禅定尼
第七年忌追善也
(治)
于時万□四辛丑天
八月晦日
(里見忠義室桃源院殿供養塔銘 高野山奥の院)
最後に訪れたのは2016年6月19日。丁度、里見忠義を描いた里見正史の小説「秋の幻」の挿絵原画展の頃です。いい報告をさせていただきました。
場所、分かりましたか?
今度、足を運んでみて下さい。