そこそこ読書感想文2 中高年ひきこもり 斎藤環

 前回はこの本を読んでの私の気づきを書いたが、今回は実際の支援についての難しさについて書いていこうと思う。
 その前に改めてこの本について紹介しておこう。
 ひきこもりについての実体や具体的なアプローチがいくつも紹介されている。どれも一見すると仰天するものが多いが、そこには私達の偏見や勘違いがあるからだ。ひきこもりがどういう状態について誤解に答える形でしっかり紹介されているので是非読んでもらいたい。

 その上で支援は本を読んだだけでは分からない大変さがある。
 まず、大前提としてひきこもりは平均して二年以上は付き合っていかなければいけないということだ。この二年という数字は本の中で出て来る数字である。要は長期戦なのだ。この二年という数字、文字として読んだり振り返れば一瞬だが先を考えると長い。その期間、いくつかの問題と向き合う事になる。

 潜在的な偏見を直したり自分の時代の常識と別な手法をとるというのは並大抵のことではない。引きこもりの支援には母、父だけではなく夫婦で足並みをそろえなければいけないが、子育てを妻に任せっきりだった父が介入できるのか。(そういった意味で家庭に困難を抱えているのは父でもあると言えなくもない)要は相手をしなければいけないのはひきこもりの本人だけではないかもしれない。早速頭が痛くなる。

 そして技術の問題。知っている知識が上手く扱えるかどうかはまた別である。分かっていても気持ちが追い付かなかったり、つい感情的になってしまう事もあるだろう。

 最後に体力である。当たり前だが支援だけを考えて生活できるわけではない。慣れないことをするとそれだけで精神的にも身体的にも疲れてしまう。

 そんな時は引きこもりの支援ゼロ年目だ、と考えていただきたい。最初は上手くいかなくて当然であり、間違いながら反省しながら進んでいく。そしてしっかりと自分の人生を楽しむ事である。子供の為ではなく自分だけの時間を確保できなければ息切れをしてしまう。そもそも子供と自分は別な人間なのである。支援のために息抜きをするのではない。
 自分の人生の為に時間を使う事に抵抗があるかも知れないが、順番的には自分の人生の次に誰かの手助けである。それは決して慰めの意味合いではない。現実を見据えた考え方である。
 
 勿論、支援を蔑ろにしていいわけではない。一番近いところにいるのは家庭であり親なのである。何度もいうが長期戦だ。就労がゴールでもなければ、親として傷つく言葉を言われたり、時には我慢をして耳を傾ける必要も謝罪をする必要も出て来る。上手くいったと思ってもまた、同じことを繰り返してしまい、打ちのめされるかもしれない。自分との戦いを強いられる。
 正直、私が同じ状況になった時に続けられる自信はどこにもないし、ひとりでははっきり言って無理だと言わざるを得ない。

 そんな時は一人で戦わない事だ。そういった話が出来る家族会への参加や市に相談する事をお勧めする。
 これもハードルが高いと感じる人は多いのではないだろうか。だが、ひきこもりに限った話ではないが、困った時に困ったと言って助けを求めるのは、悪い事ではない。時には勇気をもって、時には開き直って、時には間違いを犯すつもりで。動機はなんでもいいと思う。そして良いと感じたら関係性を継続していただきたい。
 
 本全般に言える事だが、知が血となり肉となるのはある程度の実践が必要になる。読んだだけで満足することを悪いとは言わない。しかし、成果が出ないと疲弊してしまうだろう。そんな時に出来なくても余計に自分を責める事をしなくてもいい。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集