そこそこ読書  「中高年ひきこもり」斎藤環 著

 著者である斎藤環さんはひきこもりに長年携わっている精神科医である。
 前半部はひきこもりの特徴を世間が抱えている勘違いに答える形で紹介し、後半はその具体的なケアやなぜそれが効果的なのかについて説明をしている。

 ひきこもりに限った話ではないが、社会的な問題点を取り上げる際に気をつけなければいけない事として二つほど考えられる。それは一部のインパクトの強いニュースや噂話によって事実が誤認されてしまう事。
 そして、「自分の時はこうだったからこうしたほうが良い」というように一部の個人の経験によって、それ自体があたかも正解であると勘違いを起こしてしまう事である。

 一つ目の方は皆、おそらく頭ではわかっているはずである。メディアは信用ならないと。同時にどれが本当でどこまでが誇張でどこまでが嘘でという判断を根拠をもって否定することは非常に難しい。私のような素人に出来る事は、鵜呑みにせずに、あくまでこんなことがあるのだと入り口に立つかどうかの判断をするだけだ。ある程度本を読んで勉強、研究をすれば、この人のこの部分との主張のズレがあると差を見出す事は出来るかもしれない。
 中途半端な知識は間違った思い込みになりかねない。使いこなす技術が求められる。

 二つ目は経験として語られる分、説得力は高いかもしれない。結局のところデータというのはそういった一つ一つの経験や証言から成り立つものだからだ。しかし、個人の経験で語られるものが一定の集団における特徴に当てはまるかどうかは別問題である。
 例えば「自分がいじめられた時、やりかえしたらいじめられなくなった」というような話をどう思うだろうか。
 それをばねにして成功しているように見える有名人が語ると、感覚として納得してしまいそうになる。
 しかしこれは危険である。程度や時代、直面している人も相手も違うのである。だが、危険である事を感じるのは難しい。そして感化されて行った間違った行動が問題を深刻にさせる事もある。
 さらにこの場合の落とし穴として自分や当事者を責めてしまう事がある。やり方が間違っているかもしれないと疑えないと、成果が出ないのは自分の技術不足か相手が怠けているかという犯人探しをしなければいけなくなるからだ。

 事実を集めるのも事実に近づくのも、それを行なっている人を見極めるのも難しい。そんなことを改めて認識させられる。

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