そこそも読書 いじめ加害者にどう対応するか 処罰と被害者優先のケア 斎藤環 内田良 著
教育に関してはいろいろな問題がありいじめの問題はその一つと言える。
私は漠然とだが被害者だけではなく加害者にどのようにアプローチが出来るのかを考えていた。
結論から言うと加害者になった児童や生徒にどのように対応するのか、という具体的な案の前に、学校構造としての対応限界を感じざるをえなかった。
名古屋大学大学院教授内田先生の指摘は保護者の介入による学校外部への連携の難しさ、出席停止という処罰をする事のハードルの難しさを掲げている。
引きこもり問題に詳しい精神科医である斎藤先生の答えとして、まずは被害者のケアを第一優先にすることを掲げている。
斎藤先生は具体的なアプローチとして、いじめ予防としてスクールカーストを防止するために席替えなどを、起こってしまった処置としては、加害者の謝罪、処罰、被害者の納得の三点とオープンダイアローグを提案している。
処罰とは罰を重くする事ではなく、決まりを作ってそれを守らせることである。いじめをしたら何が待っているのか、という事を淡々と当てはめるだけで良い。その後で指導をするのではなく、オープンダイアローグという手法を提案している。
しかしこれらのアプローチが学校で可能かというと斎藤先生は懐疑的だ。
理由としてはそもそも被害者への支援が圧倒的に不足しているからで、その多くは泣き寝入りであると体感されている。
読んだ感想として、まず、いじめを受けた被害者はそれだけで様々なリスクが上がるという事が研究で明らかになっている事を認識することが重要だ。単なる気のせいではなく、研究結果として理解しておかなければ、個別の問題において毅然とした対応をとることが出来なくなるからだ。お互いにふざけているから、納得しているからという場合において、それが本当かどうかという問題に加え、影響が大したことが無いと錯覚をしてしまいかねない。
そして学校が子供を管理しているという視点を持つべきだと改めて感じた。注意して欲しいのはデメリットを話すのではなく、まずは管理する事のメリットを話さなければいけない。そうでなければ、それぞれの理想が語られるばかりで、現状どの資源が不足しているのか、何を優先していくのかという話が見えてこないからだ。
実現可能かという意味で、加害者支援をどうするかという話以前にまずは被害者支援を充実させるという斎藤先生の指摘はごもっともである。
先生一人に対して三十五人程の子どもを見るとなると、予定通りにカリキュラムを進めていくなら、問題は極力無い事にしたほうが良いし、出来る子の長所を伸ばすより出来ない子を引き上げる方に傾くのも容易に想像できる。不登校等の問題は外部に委託するような形にして、目の前の深刻な非行や犯罪が優先的に対応せざるを得ない。
だが、そのようなカリキュラムがあるのは(教員の熟練度はあるとはいえ)どの学校でも一律の教育を施そうというシステム、少なくとも意思の表れであると言えるし、三十人以上の子どもを一人、サポートの先生を入れても二人で見ている事は、少ない教員で効率的に管理をする事が可能となっているという事だろう。
これらは、何かしらのルールや制限のなかで公教育という制度を維持するための結果かもしれない。理想を叶える為には公教育システムの方から考え直さなければいけない可能性もある。
システムとしての改善が無ければしわ寄せは当然現場に影響を与える。
教育現場の質は教員の熱意や技量、体力に大きく左右されてしまうのは当然だ。最終的には時間外の労働がどれだけ可能なのかという話になってくる。
色々好き勝手に省略して書いたが、所詮は教育現場の現状を知らない素人の勝手な意見であるのはご留意いただきたい。